利己とは本質的に利他である

人間が人間である限りにおいて、利己とは突き詰めて考えれば利他である。なぜなら人間を己一人でのみ生きることはできない。他者と共生関係あって初めて”人間らしい”生活・人生を送ることができるからである。ここで、単純に生物としてのみ生きることを想定するならば、一人でも生活を送ることができるであろう。この場合は利己はどこまで突き詰めても利己であろう。しかし、己一人のみで生きることが人間的であると言えるだろうか。また、己一人のみの生活を送ることで真に充足を得られる存在を我々は人間と認識できるだろうか。己自身がその立場に置かれた時、そこに満たされた感覚はあるだろうか。わたしは違うと思う。他者がいて初めて”人間らしい”人生は成立するであろう。では、他者が存在するしないで言えば存在するが良いとして、他者との関係性はどうであろうか。共生関係に場合と競争関係(敵対関係)にある場合、どちらがより”人間らしく”在れるであろうか。直感的に前者であるとわたし考える。理屈であれこれ考えることもできるが、その必要性を感じないので割愛する。
まぁ要するに、人間が“人間らしく”生きるには他者の存在が不可欠。そんで、他者が幸せであることが自己にとっても幸せであるってのが人間の生の根底にあると考える次第である。だからこそ、利己の為には利他が必要で、利他の先には利己があると言える。利己と利他は循環しているとも言えるかな。

※”人間らしい”とは何かは大いに意見が分かれるところだろうが、その議論はまた別の機会に置いておく

(情けは人の為ならずってのはこういった考え方も含んでいるのだろうな。)

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