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強みを知ることが自分を知ることなのか、それは必要なことか
昨年はストレングスファインダーの診断を受けて、そこから自己理解プログラムで自分の強みとは何だろうと模索してきた。
その結果この記事に書いたようなパターンを見出せて、「そっかー自分はこういうことを得意としているんだな」と納得できた。
しかし強みを知ることが、そのまま自分自身を知ることにはならない。
元より自己理解メソッドでも価値観・才能・興味の全てが重なりあったところに「やりたいこと」があると言われている。強みとはこの中の才能を言い換えたものであるが、それは「やりたいこと」を定める要素の一つであって全てではなかった。
さらに最近つくづく思うのが、どうやら強みとは必ずしも先天的なものでなく、後天的にこれまでの人生で培ってきたものである可能性が高いらしいということだ。それは自己理解メソッドで見出した「長所パターン」然り、ストレングスファインダーの上位資質然り。
だからそこだけをいくら深掘っても、先天的な性格・志向(いわゆる「本来の自分」)はなかなか見出せない。自己理解メソッドでいえば価値観ピラミッドがそれに近いが、結局これも後天的に獲得した教訓や思想で書かれることが多いのではないかと思う(私はそうだった)。
もちろんこれは「本当に思っていないことを書いた」という意味ではない。表層に近いところでは本当に価値を感じていても、より深いところには別のものが埋まっているかもしれない。そこの理解がまだ足りない。
この前の段階で、自分の強みを見つけようとした過程は実に意義深かった。ただ、それ以上にしっかり直視して見つけ出さねばならないものがあった。いま私はそれを見つけ出そうとしている。