#自己理解プログラム を経て得た気づき⑤:20年前からあったビジョン
こんにちは!
本日はこちらのnoteにて、自己理解プログラム本編のワークにて最後に得られた重要な気づきを取り上げます。受講までの経緯や受講期間を通じての変化などについては別の記事に書きましたので、興味がありましたら読んでいただければと思います!
導入
さて、今回のテーマは私の「ビジョン」です。
自己理解プログラムでは10あるステップのうちステップ8にて自分の「本当にやりたいこと」を定めます。これが本プログラムの主要な目標で、1から7までの各ステップで見つけていった自分の
「大事なこと(価値観)」「得意なこと(才能)」「好きなこと(興味)」
がここで統合されます。
自己理解プログラムの本分であるところの「やりたいこと探し」はこれにて完了。八木さんの著書である『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』もまた、これを見つけて実現に向けて動き出しましょうといったところで完結するようです。
ですが自己理解プログラムには続きがありました。
残る2ステップのうちステップ9では自分の「ビジョン」を定め、最後のステップ10でそれを叶えるための「実現手段」を探して一歩目を踏み出すところまで見届けてもらってから修了を迎えるという構成になっています。
以下ではこの中のビジョンについて書きます。
私のビジョンとは
自己理解プログラムではビジョンという言葉を、自分のやりたいことをやり切った先で実現させたい世界のイメージという意味で使います(言い回しが少々異なるので引用でない形で書きました)。
直前のステップで定めた自分のやりたいことをやり切ったら何が実現するか、世の中がどのように変わり得るかと想像を巡らせて書くのです。
オンラインイベント(Zoomを利用した他の受講生たちとの勉強会・交流会)などでお話を聞くと、ここでも少し頭を悩ませたり決めた後でも迷いを残したりする方が少なくないようでした。
その一方でビジョンをすんなり定めて短時間で最後のステップへと進まれる方もいました。
そうした中で私のビジョンはすぐに決まりました。というよりも、考えるまでもなく初めからあったように思います。それは次の通りです。
生真面目な人でも自信を持って生きられる世の中を作る
これの意味するところを以下に書いていこうと思います。
やりたいことと実現したいこと
ビジョン(≒ 実現したいこと)の前に私の「やりたいこと」の話をしなければなりません。私の本当にやりたいことは次の通り(*)です。
自分の強みを発揮できずにいる人を解放するために
人々を新しい体験へ導くこと
私は自己理解プログラムを通じて「これをやりたい」と思うプランや「こんなふうに生きていきたい」と思える将来像を具体的に思い描いてきました。それらの項目を総合して共通要素を抽出すると上記のようになります。
(*注: 自己理解プログラム内のワークシートでは指定された様式・構文に従ってより長めに・詳しく書きましたが、それだと覚えづらくあまり好きな文体でなかったためワークシート以外では上記の書き方をするようにして話すときもこちらの言い方を選ぶようにしています。)
♢
前回の投稿にて述べたように、これまでに私が夢中になったことや本気になれたことを思い返すと、大抵は何らかの問題解決が関わっていました。もう少し詳しく言えば、障害を取り除くとか効率の悪いところを改善するといったことです。
我流で「やりたいこと探し」をしていればそこで「問題解決マンになろう!」などと思い始めたかもしれませんが、自己理解プログラムでは
「どんな人をどんな状態に変えたいか」
「その人にどのような価値を届けたいか」
といった観点でその動機を深掘りします。
コンテンツ内に明示的に書かれてはいないし私を含め受講生は当たり前に受け入れているかもしれませんが、一度これらの観点で考えてみるのは本心に触れるための決定的な過程だったと振り返ってみて思います。
そうやって自身の「本当にやりたいこと」を定めてからその先で何を実現したいかを考えるという流れになっています。
ですが本noteではそうした実現したいこと(≒ ビジョン)の前に、私の動機付けを明らかにしておきます。
動機について
一口に問題解決をしたいといっても、その動機として複数通りのパターンが考えられます。難しい問題を解決して目立ちたいとか、高い評価を得て収入を上げたいとか、誰かの喜ぶ顔を見たいとか。
果たして私はどうだったかな?と振り返ると、評価や収入などへの期待感はあったものの、それらが主たる目的ではありませんでした。
ならば問題を解消することで誰かを喜ばせたかったのか?と思っても少し違ったような気がします。
この答えは私にとって大事なこと(価値観)と照らし合わせればすぐに分かりました。過去に問題解決に取り組んだときの動機を思い返すと、私は
「せっかく良いもの(素質や心がけなど)を持っているのに活躍できないでいる人にもっと活躍して欲しい」
と思っていたのでした。
♢
前々回の投稿に書いたように、私は「自分一人で一通りのことができるようになった」状態を自立と呼び、それを果たしたらそのスキルや能力を活かして自由に創意工夫する躍動の段階に入りたがります。それが私の価値観を可視化したものの中でも特に好きな部分だというのが前々回の主旨でした。
そして私がしようとした問題解決とは、思い返せば私以外の人をも躍動できる状態にするための活動でした。
何らかの苦手なことにつまづいて強みを発揮できず、その不甲斐ない状況を理由に自信を持てない人、少し自虐的になっている人を見ると放っておけなくなります。
特につまづくポイントが私の得意とすることなら(言い換えると自分の守備範囲内であれば)、そこで手助けしたり支障を取り除いたりしたいと思うのです。過去の学校生活・学校行事やこれまでの仕事でとりわけ熱心に取り組んだこととはそのような種類の活動でした。
再び「やりたいこと」について
そうした動機付けを踏まえ、私は自らのやりたいことを
自分の強みを発揮できずにいる人を解放するために
人々を新しい体験へ導くこと
と定めました。これを私の好きな分野において得意な形で実現させれば自己理解メソッドで言うところの
「大事なこと(価値観)」「得意なこと(才能)」「好きなこと(興味)」
の全てが活かされることになります。
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このように理想を見出してから私は現実の有様と対比し、
☑ 今の仕事のどこが好きで何が不満か
☑ 職を選び直すとしたら何を軸にしたいか
がはっきり分かるようになりました。
そうしてからはそれまでに得た知見などを積極的に他の人へ伝えたいと思うようになったのでした。
もし私との対話で重要なヒントを得て新しい感覚を味わえたなら、まさしくそれは人を新しい体験に導いたことになるので、実は私のやりたいことも細やかな規模で実現したことになるのです。
私のビジョンの意味
さて、ここからが今回最も書きたかった部分です。
上記のように「自分のやりたいこと」をやり遂げたとして、つまり私から見て良いものを持っている人がしっかりその強みを活かせるようになったとして、その先で何が実現して欲しいか。
その答えは瞬時に出ました。その人に自信を持って欲しいのだと。
一瞬でこれが浮かんだことには自分でも驚きました。何しろこれは自己理解プログラムに出会うより遥か昔の20年前に抱いた思いでもあったのです。
回想
中学生だった当時の私には好きな女の子がいました。その子は見た目が可愛らしく魅力的だっただけでなく、自分にない素質や人間性を備えているように見えました。
野球をしていたが実は持久走以外のあらゆる運動が苦手だった私に対して、その子はダンスが好きで得意なようでした。
話したいことを話して相手の言うことをあまり聞こうとしない私と対照的に、その子は真剣な顔をして友達の話を話を聞き相手に共感して一緒に悩んだり憤ったりしているように見えました。
どちらも私にはできないというか、しようとしたことがありませんでした。そのために私は彼女に恋愛感情と別の人間的に惹かれるような想いを抱いていたように記憶しています。
しかしその子は周りから軽く見られているようでした。言動があまり賢そうでなかったり数学などの教科が不得意だったり、表に出ている部分を見れば少々バカっぽかったからかもしれません。
そして本人もまた自虐的なことを言ったり時折陰気そうな顔をしたりして、どこか自信がないように見受けられました。人前では明るく健気に振る舞っても、それが全てではないようでした。
♢
私から見れば、そのバカにされやすいキャラや振る舞い方は同級生の友達に合わせて最適化したものに思えました。つまり自身に求められる立ち振る舞いを察知してその通りにしているような気がしたのです。「それができるならむしろ頭は良い方ではないか?」とすら私には思えました。
そしてそのような表層の言動のために周りから軽く見られ、それによって自信を持てずにいるなら本当に可哀想だと思いました。
そういう私も当時は自信を持っていませんでしたが、理由が少々異なっていたこともあり自分のことを差し置いてその女の子にもっと自信をつけさせてあげたいと夢想したのでした。
加えて数学などについても、私も決して初めから得意でなかったもののコツを掴んでから面白くなった体験をしていたので、それをあの子に伝えられれば苦手でなくなるだろうと想像しました。
おそらくは早い段階でつまづいたために難しい、自分にはできないと思ってしまったのだろうと思いました。私も運動や音楽においてそのように感じたため、「苦手に思っていたことが不自由なくできるようになれば自信をつけられるはず」と考えていました。
本当にやりたいこととのつながり
残念ながらこうした想像は想像のままとなってしまいましたが、時が流れても相手が変わってもこうした思いを私は抱き続けていました。
思えば20年前に想像していたことは、人に新しい体験を届けたいという思いの萌芽でした。それどころか自らの強みを発揮できないでいる人に手助けをしてより自由に生きられるようにしたいと、自己理解プログラムで見出した「仕事の目的」そのままのことをこの頃から思っていました。
♢
このことに気づいたのは、自己理解プログラムを受け始めて他の受講生と交流するようになってからのことでした。
私より明るくポジティブで人間関係を築くことを得意としながら自己肯定感が低いという人が何人もいました。そうした方々と私自身とのストレングスファインダー資質を見比べると、私が上位に持っている「戦略的思考力」や「影響力」の項目が軒並み下位でしたし、話してみてもやはり私の得意とすることを苦手としていると分かりました。
それが理由で仕事で苦労したり行き詰まりを感じたりして自己肯定感を下げているような印象が伝わってくるわけです。
「まさにそのような人を解放するようなことをしたい!」と私は内心で思いました。この思いは新鮮なものではなく、むしろ懐かしい感覚でした。
自己理解プログラムのステップ9において私は、この思いをよく吟味して言葉にするだけよかったのです。これは先述の通り20年前に抱いたのと同じものでした。
言葉に込めた思い
ここで私がなぜビジョンの中でこのような言葉を用いたか説明したいと思います。キーワードは「生真面目」と「自信」です。
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まず「自信」について。
正確には自信という言葉自体ではなく、仕事の目的などに登場しなかった自信という単語がビジョンの中にだけ現れる理由についてです。
私は自分の好きな分野で得意なことをして何らかの問題を解決することで人々を新しい体験に導きたい、人それぞれの強みを発揮できるようになってもらいたいと思っています。その先でその人たちにどのようになって欲しいかと問えば即座に「自信を持って生きられるようになって欲しい」と答えられたのでした。
この話をすると担当コーチが、
「では"人々に自信を与えること"が仕事の目的ではないのか」
「人に届けたい価値を一言で言うなら"自信"になりはしないか」
という問いかけをしてくださりました。これが結構重要な質問でした。
これに対して私は反射的に「そうはしたくない」と思いました。
私の仕事の目的はあくまで人々が自らの強みを発揮して躍動できるようにすることであり、そうすることで提供する価値を一言で言うなら"解放"であると思っていました。
自己理解プログラムを受講されている方なら察しがつくかもしれませんが、ここでもう一歩踏み込んで
「何故そう思うのですか?」
との質問が投げかけられます。
そこで「なぜって言われても、、、」と困惑するのがお決まり、というか自己理解プログラムの醍醐味であるとすら勝手に思っているのですが、ここまで自己理解を十分深めていたおかげで私はすぐに理由を答えられました。
私はその人が自信を持つのを妨げる要因を取り除きたいのであり、その先で実際に自信をつけるかはその人の意思次第だと思っています。
私にない良いところを持つ人が自信を持てずにいるのは勿体ないとか可哀想だと感じますが、自信に満ちた生き方を強く奨めたいわけではありません。
どのような生き方をしたいかは人それぞれ違っていて良いと私は思っています。これは自由に創意工夫することで実現する”躍動”にとりわけ価値を置いているからです。私自身が自由に創意工夫していたいから特定の生き方を奨められたくないし、他の人にもそれを求めないということです。
しかしながらそうは言ってもできれば私が関わった人には自信を持って生きて欲しいと思っています。だからこそ
「私以外の人をも躍動できる状態にする」ことを仕事の目的とし、
「人々を新しい体験へ導く」ことを本当にやりたいことと位置付け、
その先では「自信を持って生きられるように」なって欲しいと思ってビジョンを定めたのでした。
これはそのままやりたいことの守備範囲の区別の話にもつながります。
人の良いところを伸ばしてあげたいとか、それこそ自信を持たせてあげたいとの思いを抱いてそれを仕事の目的と位置付ける人もいて、その思いもまた尊いものだと私は思っています。ただ私はそうした人と守備範囲が異なるというわけです。
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続いて「生真面目」について。これもまたワークシートに自分のビジョンとして考えたことを書き込むときに咄嗟に浮かんだ言葉でした。
「誰でも自信を持って生きられる」にしてもいい気もしました。しかし私が何かをするまでもなく自信を持って生きられる人も世の中にはいて、そうした人々を含めない形で自分のビジョンを書こうと思いました。
では私はどのような人に自信を持って生きられるようになって欲しいかと自問すると、すぐさま生真面目という言葉が浮かびました。
「真面目とはどう異なるのでしょうか?」
これも担当コーチから受けた問いかけです。真面目さと生真面目さについて私は次のように捉えています。
まず「真面目」とは約束した事を守り、やると決めたことに真剣に取り組むような姿勢を指します。対して「生真面目」とは辞書的な説明をすれば度を越して真面目である、真面目過ぎるという意味合いの言葉です。
単に真面目なだけでなく生真面目な人には「融通が利かない」とか「考え方が枠に囚われている」「自分に厳し過ぎる」といった特徴があります。能力の面では優秀でも、自由に創意工夫することは難しくなかなか自信を持つことができません。
そうした人にこそ自信を持って生きられるようになって欲しいとの思いが私のビジョンには込められています。
対象をほんのり絞ることの意味
では「生真面目な人でも」とビジョンに書くことで含まれなくなるのはどのような人たちでしょうか。
これは端的に言うと自己確信の資質を持つ人です。
ストレングスファインダーで自己確信と言えば、以前の投稿でも述べたようにこれからやることに関して「私ならできる」と自然に確信を持てるという特徴を指します。
具体的な根拠や勝算がなくても「うまくいく」と、己の中に根拠の代わりになるものを見出して信じ込むということです。まさに「自信」です。そしてこうした人々には生真面目でない真面目さがあるように思います。
自己確信の資質の持ち主は、たとえ一時的に打ちひしがれても自分で根拠を見つけて自信を持ち直せます。それなら私は彼らに"お好きにどうぞ"というスタンスをとりたいと思います。
さすがに自己確信の強い人は”どうでも良い”と言ったら言い過ぎですが、積極的に働きかけたい対象からは外れます。これはふざけて言っているのではなく、私自身もある程度「自己確信」が強いからこそ本気で思うのです。
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もし世の中に「もう一人の僕」がいたなら、より正確には私と同じ内容の「仕事の目的」と「本当にやりたいこと」を標榜する人がいたなら、おそらく私は鬱陶しいと感じるでしょう。
己の性質を嫌悪しているわけではなく、ただ「もう一人の僕」がいても
「余計なお世話だ」「好きにさせろ」「放っておいてくれ」
等と思いそうだと予感するのです。そしておそらくは自己確信の資質がそうさせています。自己確信ができれば己の中で理由を見つけて自信をつけ直せるから、わざわざ自信を持たせようとしてくれる人を必要としません。
だから私と同等以上に自己確信の傾向がある人を「本当にやりたいこと」の主たる対象から外そうと思いました。これを言い表すのは簡単で、ビジョンに「生真面目な人でも」と書くことで実現しました。
しかもこのようにしたことで、これから積極的に働きかけたい人物像が一気に明瞭になりました。これが敢えて「誰でも」と書かずにほんのりと対象を限定したことの意味だったと思います。
終わりに
さて、言い回しはこの歳になって自己理解プログラムを受講して考えられるようになったものでしたが、それの意味するところはなんと20年も前から抱いていた思いでした。
受講期間中にいくつものことを学んで、様々な気づきを得て、その末に遠い過去から抱いていた思いに回帰するとは感慨深く驚きでもありました。
プログラム内の動画では繰り返し「あなたのビジョンはあなたの中にある」と言われていました。これは全くその通りでした。
私の場合は本当に長い間ビジョンが見失われたまま己の中で眠っていて、ビジョンを言い表す言葉もなかなか見つけられませんでした。それを再発見したところで私の「自己理解」は一つの区切りを迎えたように思います。
♢
ここまで5回に分けて私は自己理解プログラムの中で発見したこと、気づいたことを書いてきました。さらには受講までの経緯と修了時に実感した受講前からの変化についても個別の記事を作成して詳しく書きました。
受講期間中の気づきとして書くことにした5つのテーマは、ちょうどひと月前の6月21日に決めて担当コーチとのLINEの中で宣言したものでした。
初めは5つとも7月5日の修了日までに書くつもりでいましたが、どれもこれも背景や補足情報も含めるとかなりの文量となり、普段の仕事をしながらではその日程で書き上げられませんでした。しかしながらそれでも構想からちょうどひと月で全てを書き終えられたことには達成感があります。
♢
これにて自己理解プログラム内での体験を主題として書くことを終わりとします。今後はそれ以外のことをテーマとし、適宜自己理解プログラムにも言及してこれらの記事を引用するつもりでいます。
以下には今回のビジョンに関するトピック以外の気づきについて書いた記事を掲載します。もしご興味を持って開いていただければ嬉しいです。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!!
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