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10月9日の祈祷会の内容です。

祈祷会     士師記12章「エフライム人のおごり」    2024.10.9

 士師エフタの物語は、士師記10:6~12:7まであります。エフタはアンモン人との戦いの前に神に誓ってしまいました。「アンモン人との戦いに勝利して、無事に家に帰る時、わたしの家の戸口から出て来る者を主のものとします。わたしはその者を、焼き尽くすささげものといたします」と。エフタはアンモン人との戦いに勝利し、家に帰ります。家の戸口から出て来た者は一人娘でした。鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来たのです。エフタは、自分が誓ったことの意味を深く悲しく味わったのです。エフタは自分が神に誓った通りに、一人娘を神に焼き尽くすささげものとしてささげたのです。エフタの悲しみはどれほどのものだったのでしょうか。

 アンモン人との戦いに勝利したエフタのもとに、エフライム人が勢ぞろいでやってきます。エフライム人はエフタに「アンモン人との戦いに出向いた時、なぜあなたは、わたしたちに同行を呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも焼き払ってやる」と、突然のことをいいます。エフタはエフライム人に「わたしとわたしの民がアンモン人と激しく争っていた時、あなたたちに助けを求めたが、敵の手からわたしを救ってくれなかった。あなたたちが救ってくれることはないと思い、わたしは命がけでアンモン人に向かって行った。主は、わたしの手にアンモン人を渡してくれた。どうして今日になってわたしに向かって攻め上り、戦おうとするのか」と答えます。

 エフタとギレアドの人々がアンモン人と戦い、勝利した後で、すぐにエフライム人がやって来て、エフタに文句をいっています。それは、どうしてアンモン人との戦いで、自分たちに声をかけてくれなかったのかということでした。エフタの説明によると、エフタは、エフライム人に戦いの協力を求めたが、応じてくれなかったということでした。どちらが正しいことをいっているのでしょうか。エフタの方が正しいと私は思います。命をかけて、アンモン人と戦ったエフタ、そのために一人娘を失ってしまったのです。この時に、エフライム人がやって来て、エフタに文句をいい、そして戦おうまでしているのです。

 さて、エフライム人はどうして、このような行動にでるのでしょうか。エフライム人は約束の地の中心に土地を得ています。自分たちは12部族の中で、重要な地位を占めているという自負があったということです。それで、エフタにこのようなことをいっているのです。エフライムはヨセフの息子の一人です。エルライム人のおごりというのは、いくつかの場面で出てきます。

ヨシュア17:14~15
ヨセフの子らがヨシュアに、「あなたはなぜ、ただ一つのくじによる嗣業の土地、一つの割り当てしかくださらないのですか。わたしの民は、主に祝福されて、これほど数多くなりました」と言うと、ヨシュアは答えた。「あなたの民の数が多くて、エフライムの山地が手狭なら、森林地帯に入って行き、ペリジ人やレファイム人の地域を開拓するがよい。」

 ここではヨセフの子らとなっています。彼らはヨシュアに「どうして、1つのくじによる土地しか与えてくれないのか。私たちは主に祝福されて、これほど多くなったから、もっと土地を与えてくれてもいいはずだ」と文句をいっているのです。ヨシュアは彼らに、「ならば、自分たちの手で土地を開拓するがいい」といって、答えています。そして、今日の聖書の箇所と同じようなことがギデオンの時も起っています。

士師記8:1~3
エフライムの人々はギデオンに、「あなたはミディアンとの戦いに行くとき、わたしたちを呼ばなかったが、それはどういうことか」と言って、激しく彼を責めた。ギデオンは答えた。「あなたたちと比べて、わたしが特に何をしたというのか。エフライムに残ったぶどうは、アビエゼルが取ったぶどうよりも良かったではないか。神はミディアンの将軍オレブとゼエブをあなたたちの手に、お渡しになったのだ。あなたたちと比べて、わたしに特に何ができたというのか。」彼がこう語ったので、彼らの憤りは和らいだ。

 ギデオンと300人がミディアン人と戦い、勝利した後で、エフライム人はやって来て、ギデオンに「あなたはミディアン人との戦いに行く時に、どうして私たちを呼ばなかったが、それはどういうことか」といって、激しくギデオンを責めています。この時、ギデオンはエフライム人がミディアン人の2人の将軍を倒したことを評価して、エフライム人の憤りを和らげています。しかし、今日の聖書の箇所では、エフタはエフライム人の行動に激しく怒り、戦うのです。ある意味で、イスラエルの中での戦いです。悲しいことです。この時、エフライム人42000人が倒されたと書かれてあります。エフタは6年間、士師としてイスラエルを裁いたとあります。こうして、エフタは死んでいきます。今日の聖書の箇所では、エフライム人のおごりが問題になっています。自分たちは他の部族よりも、偉いのだと思うこと、それが、このような悲劇につながっていくのです。

箴言16:18~19
痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊。貧しい人と共に心を低くしている方が傲慢な者と分捕り物を分け合うよりよい。

 私たちは、この聖書の言葉をどのように受け取ることができるでしょうか。自分の心の中に、このような思いがあるのか、もう一度、点検してみたいと思います。イエス・キリストの十字架を見上げる時に、そこから何が見えてくるのでしょうか。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。エフライム人のおごりについて見てきました。エフライム人のおごりが、自分たちに悲劇を受けることになります。私自身の心の中を見ると、このようなおごりがあります。悲しいかな、これが私の現実でしょうか。どうか、そのような思いにあることに気づき、イエス・キリストの十字架を見上げることができますように、導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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