3月3日の礼拝の内容です。
3月3日の礼拝の内容です。讃美歌は、18.298.300.361.91です。
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礼拝説教 使徒8:1~8「悲しみの中で福音を語る」 2024.3.3
3月に入りました。3月の第1の日曜日を迎えました。1週間の始めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から神に感謝したいと思います。この礼拝を通して、私たちの1週間の歩みがより豊かなものとなりますように祈ります。
教会暦は受難節を歩んでいます。イエス様の十字架への道を共に歩みながら過ごしていきたいと願います。礼拝では使徒言行録を読んでいます。この使徒言行録は、教会の最初の様子を生き生きと描いています。イエス様の弟子たちに聖霊がくだり、イエス・キリストの福音を理解することができた弟子たちが、大胆に福音を語っていく姿を見ることができます。多くの人々がイエス・キリストの福音を信じて、洗礼を受けて、教会に加わっていくのです。多くの人々が教会に加わっていきます。教会の活動と共に、その活動に反対する人々もいました。ユダヤ教の指導者、律法学者や祭司などです。ステファノの素晴らしい福音活動がありました。敵対する人々の前で、大胆に神の救いと、ユダヤ人の罪を語り指摘しました。そのことで、ステファノはユダヤ人から石打ちの刑にあい、殉教してしまいました。ステファノの殉教は、教会の歩みの中で最初の殉教者でした。教会にとって大きな悲しみでした。ユダヤ教の指導者たちの迫害もあり、教会の歩みは大きな壁にぶつかっていくはずでした。
初代教会の最初の殉教者が出たことは、とても辛い出来事でした。この初代教会の歩みを見ながら、私は先週の小椋実央牧師の説教の中で、地区の講壇交換で行かれた日進教会の歩みをずっと考えていました。日進教会の歩みは私たちの瀬戸永泉教会から始まった、その関係者が日進教会の中心メンバーとなり、90年の歩みをされてきたということでした。その90年の日進教会の歩みが、この3月末で閉じてしまうということでした。私の小さな経験の中でも、教会の歩みを閉じてしまうということは初めてのことです。日進教会の方々も、いろいろな事情があり、大きな決断をされたと思います。名古屋桜山教会のつながって歩まれるということを知りながら、複雑な思いの中にあります。かつて瀬戸永泉教会も戦時中に、教会の活動をすることができなくて、倉庫になっていたと聞いたことがあります。日進教会の決断が、私たちの教会と無関係なことではないと思います。これから、瀬戸永泉教会もそのような時が来るかもしれません。もちろん、そうならないことを願っていますが、何が起るのか分かりません。ただ、神の導きと憐れみを願うばかりです。日進教会の歩みを、90年に渡って導いてくださった神に感謝したいと思います。また、新しい歩みをされる教会員の方々の歩みが守られますようにと、心から祈るのです。
ステファノの殉教は、教会にとって大きな悲しみであり、大きな困難になっていくといいました。その日に、エルサレムの教会に対して、大迫害が起っています。教会に加わっていた多くの信仰者は皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行ったと書かれてあります。イエス様の弟子たち、つまり使徒たちだけはエルサレム教会に残っています。信仰深い人々はステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんでいます。
使徒8:1では、サウロ、つまり後のパウロが登場して来ます。サウロは、ステファノの殉教について賛成していました。更に、サウロは信仰者の家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず、引き出して牢に送って行くのです。激しい迫害の様子をすることができます。エルサレム教会への大迫害によって、多くの信仰者はユダヤとサマリアの地方に散って行ったとなっています。この教会への大迫害によって、教会の歩みは衰退していかと考えてしまいます。ここで不思議なことが起って来ます。それは、「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いて行く」のです。エルサレム教会への大迫害によって、教会の歩みは衰退していくかと思えば、その逆で、イエス・キリストの福音が広がる大きなきっかけとなっていきます。ユダヤとサマリア地方に散って行ったと書かれてあります。特に、サマリア地方です。
ユダヤ人とサマリア人との関係は、ルカによる福音書の「よきサマリ人へのたとえ」にも出てきますが、ユダヤ人とサマリア人は対立し、敵対関係にあったのです。また、ヨハネによる福音書のイエス様とサマリアの女性の話が出てきます。私たちの瀬戸永泉教会の名前にも関係する内容が触れられています。
ここからフィリポが出てきます。このフィリポは使徒6章の教会員の数が増えてきて、食糧への分配の問題が起って、その対応にあたるために7名が選出されています。ステファノもその1人でした。ステファノの次に名前が出てくるのが、このフィリポです。使徒言行録の8章は、このフィリポによるサマリア伝道とエチオピアの女王の全財産を管理していたエチオピア人の宦官への伝道のことが書かれてあります。キリスト教がユダヤ人からサマリア人、そして異邦人へと伝えられていくのです。
ユダヤ人とサマリア人の関係ですが、もともとは同じイスラエルの人々でした。今、祈祷会ではヨシュア記の中で、イスラエルの人々の約束の土地の取得のことをみています。イスラエルの12部族が、それぞれに約束の土地を部族ごとに分けて住んでいきます。ヨシュアから士師時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンとイスラエルの人々の歩みは進んでいきます。ソロモンの死後、イスラエルの国家は南北に分裂していきました。南はユダ族とべニヤミン族のものとなりました。北はそれ以外の部族のものとなっていくのです。北王国はアッシリアによって滅ぼされてしまいます。アッシリアは占領政策として、一部のユダヤ人を自国へ捕囚として連れて行きました。一方、他民族をその土地に移り住むようにしたのです。ここでイスラエルの人々と異邦人の混血が生じました。
後に、南もバビロニアによって滅ぼされてしまい、多くの人々がバビロンへ奴隷として連れて行かれるということになってしまいました。バビロニアが滅んで、ペルシャが起って、南の人々はエルサレムに帰ることができるようになっていくのです。その時がエズラ・ネヘミヤ時代です。バビロンから帰って来たイスラエルの人々が、エルサレムに神殿を再建しようとした時に、妨害したのが北にいたサマリア人でした。最初、サマリア人はエルサレムでの神殿建築に協力しようとしたのですが、帰って来たイスラエルの人々は、純粋なイスラエル人でなければ汚れるとして、それを許さなかったのです。そのようなことがあって、サマリア人は自分たちで聖地をゲリジム山に置くようになり、独自に礼拝を守るようになっていくます。このような経過から、イスラエルの人々とサマリア人は敵対するようになっていくのでした。その敵対関係がずっと続いていったのです。その憎しみと警戒感は大きなものがあったようです。そのような大きな壁があったにも関わらず、何の抵抗もないように、フィリポはサマリア人への伝道に進んでいくのです。
使徒言行録は、イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、ユダヤ、サマリア、ローマへと広がって行くことを書いています。伝道の広がりのきっかけになったのが、ステファノの殉教であり、エルサレム教会への大迫害です。また、ユダヤ人の壁を取り除いて、サマリア、アジア、ヨーロッパに伝えられていきます。このような伝道の力はどこから来るのでしょうか。それは神から送られた聖霊の働きによってです。使徒言行録は、別名、聖霊言行録ともいわれています。
私たちの教会では、今年度のまとめと次年度のことを考えていく時期になっています。私たちの属する日本基督教団は、教会員の高齢化、教会学校の不振、若者が少ないことなど、教会の将来に対する不安ばかりです。ある高齢の方が熱心に礼拝に来られていました。しかし、病気のために、来ることが困難になってしまいました。病院などに入院すると新型コロナの影響で、お会いすることもできなくなってしまいます。本当に不安材料しか見いだせないのです。先程の日進教会の閉鎖も、暗い影を覆う要素になっています。いったい、どこに希望を持てばいいのでしょうか。今こそ、私たちは聖霊の力を知る必要があるのでしょう。神の力といえばいいのでしょう。私たちの信仰が試されるいるのです。私の信仰が試されているのです。自分たちに力に頼るのではなく、神の力に頼るということです。イエス・キリストへの基本的な信仰です。もちろん、私たち自身の様々な努力は求められています。その上で、神にどれほど信じているのかが問われています。私自身、神の導きを信じて歩む、信仰を取り戻していきたいと心から願っています。
祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。初代教会に歩みをしてきました。そこには人の力ではなく、あなたの力である聖霊の働きがあることを知らされました。私たちは、教会の歩みにあたって、自分たちの努力も必要ですが、それ以上に、聖霊の力を信じること、あなたに信頼することが大切さを教えられました。私たちが心からあなたに頼り、信頼して従っていくことができる信仰を豊かに与えてくださいますように願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。