8月20日の礼拝の内容です。
8月20日の礼拝の内容です。讃美歌は、210.467.483.507.26です。
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礼拝説教 使徒4:15~22「神に従うこと」 2023.8.20
1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から神に感謝します。この礼拝を通して、私たち1人1人が、よりよい1週間の歩みをすることができますことを心から願います。
今日は、次の聖書の箇所から、神に従うことについて考えていきたいと思っています。
使徒4:19~20
しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」
いきなりですが、「たいせつなきみ」という絵本を知っていますか。マックス・ルケードという人が書いた絵本です。主人公はパンチネロという小さな木の小人の1人です。彫刻家のエリがつくったものです。木の小人たちは、毎日、金ぴかの星シールや灰色のダメしるしシールを貼り合いながら暮らしていました。可愛い小人、才能のある小人は、いつも金の星シールです。主人公のパンチネロは、ダメシールをたくさん貼られています。他の小人からも「あいつには、ダメシールだらけがお似合いなのさ」といわれています。パンチネロはつぶやきます。「どうせ、ぼくはダメな小人さ」と。ある日のこと、パンチネロは不思議な女の子ルシアに出会います。金の星シールもダメじるしのシールもついていないのです。ルシアは彫刻家のエリに会いなさいとアドバイスします。パンチネロは、そのアドバイスを聞いて彫刻家のエリに会いに行きます。エリに会ったパンチネロ。パンチネロに向かってエリはいいます。「どんなシールがもらえるかってことを気にしていると、シールの方もおまえにくっついてくるんだ。おまえが、わたしの愛を信じるなら、シールなんて、どうでもよくなるんだよ」と。パンチネロが、その言葉を聞いた時に、パンチネロのダメじるしのシールが1つ、地面に落ちたのです。
この絵本の話は、よく中学生や高校生の聖書の時間に、生徒たちに話したものでした。学校には1つの基準があります。それは成績です。いろいろな教科があります。そして、その教科にもテストがあります。中間試験や期末試験などがあります。聖書科もテストがありました。そのテストの結果ができる生徒とできない生徒に分けてしまいます。テストの成績が、その生徒のすべてではないのですが、良い生徒と悪い生徒に分けられてしまうことがあります。特に、大学受験などがありますと、その成績で、その生徒の大学が決まり、人生が決まるなどとなってしまうこともあります。人間というものは、1人1人違い、個性も違い、その違いがよりよい社会をつくるものだと思いますが、現実には難しいものがあります。学校で、社会で、ある基準があり、よいものとわるいものとに分けてしまう傾向があります。人間の価値基準といいますか、その渦の中で、私たちは生きているのです。そして、苦しみ悩み悲しみながら生きていくのです。
使徒言行録に入っていきます。イエス・キリストは十字架につけられて殺されてしまいました。墓に葬られました。しかし、3日後に墓の中から復活されたのです。復活されたイエス様は、弟子たちのその復活の姿を現してくださいました。40日間、弟子たちと共に過ごされました。そして、神のみもとに帰って行かれたのです。そして、10日後、神のみもとから聖霊が、イエス様の弟子たちに下りました。聖霊が下ったことにより、弟子たちは、イエス様の十字架の意味、人間の救いに関することを理解することができるようになりました。弟子のリーダであるペトロが、エルサレムの大通りに出て、大きな声で、イエス・キリストの十字架の救いのことを語り始めました。ペトロの説教を聞いた多くのユダヤ人約3000人がイエス様を信じて、教会に加わっていきました。更に、ペトロによって、神殿の入り口の1つである美しい門の側にいた生まれながら足の不自由な男を癒されたのです。ペトロの導きによって、生まれた時から一度も歩いたことのその男が、急に立ち上がって踊ることができたのです。それを目撃した多くのユダヤ人が、ペトロのもとに集まって来ます。ここでペトロは、イエス・キリストのことを大胆に語り始めます。目の前にいるユダヤ人に向かって、あなたがたが、イエス・キリストを十字架につけて殺してしまった。あなたがたは、神に対して大きな罪を犯しました。でも、それは神の御計画でした。私たちのすべての人々の罪を赦すためでした。あなたがたの犯した罪によって、あなたがたの罪が赦されるのです。今、あなたがたは神の前で、悔い改めなさい。そうすれば救われます。更に、5000人の人々が信じて教会に加わっていきました。
それをにがにがしく見ていた人々がいました。ユダヤ教の指導者たちです。イエス・キリストを十字架につけた人々です。ペトロたちは、このユダヤ教の指導者たちに逮捕されました。そして、一夜牢に閉じ込められてしまうのです。次の日に、ユダヤ人の最高議会が開かれて、ペトロたちの裁判が始まります。ユダヤ教の指導者たちにとって、ペトロの行動は赦すことができないものでした。自分たちが十字架で殺したイエス様が復活したことを語り、そして、まことの救い主だといい、そのイエス・キリストの名の力が、生まれながらに足の不自由な男の足を癒したということを、多くの人々に広めていることです。しかし、ペトロたちと共に、その癒された男がいるので、ユダヤ教の指導者たちは、反論することができませんでした。
ペトロたちを釈放するにあたり、脅すことしかできませんでした。でも、彼らの脅しは簡単に無視することができるものではありません。実際に、イエス・キリストを十字架につけて殺すことができたのです。彼らの脅しを無視することは、命を捨てる覚悟が必要なのです。その上で、ペトロたちが、ユダヤ教の指導者たちにいった言葉が最初にふれたものです。
使徒4:19~20
しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」
8月は平和を考える時です。78年前の戦争の悲劇を忘れてはならないためです。8月6日の広島、9日の長崎に原爆の投下、15日の終戦記念日です。そして、この戦争に対して、私たちの教会はどのような対応をしたのかということです。私たちの信仰の先輩たちは、この戦争に対して、どのような行動をとったのかということです。私たちの教団の「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」というものがあります。その一部を取り上げてみます。
「しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。
心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。」
この文章を読んで、果たして、自分は、この戦争の時代に生きて、戦争反対をいうことができるだろうかと考えてしまいます。戦争反対といって、捕えられ、殺されていった人たちがいたからです。あなたに命をかける覚悟がありますかと問われたら、分からないと正直に答えてしまいます。その弱さを思いつつも、一方で同じ過ちを犯してしまっていいのだろうかとも考えます。人間の言葉に従うか、神の言葉に従うかと問われた時に、どう判断することができるでしょうか。神の言葉に従うことができる信仰を持ちたいと願います。
祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。私たちは人間社会の中で生きています。生活しています。当然、人間の価値基準があり、そのことを優先して考えて行動していきます。その価値基準によって、時には喜び、時には悲しみや苦しみ、自分の存在価値を疑い、悩んでしまうこともあります。そのような人間の判断基準を乗り越えて、あなたのみ言葉に聞くことができますように、導いてください。あなたの声を聞く信仰を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
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