雲を見ていたら
「風評被害」(ふうひょうひがい)という言葉は、放射線(ほうしゃのう)について、原発(げんぱつ)について語ることをタブーにする。
たとえば私が、
「森は除染(じょせん)できないんだよね。今年の秋もキノコ狩りは無理かな。」
などと言おうものなら、非難がゲリラ豪雨のときの雹(ひょう)のように降ってくるにちがいない。
私たちは、もう原発を批判(ひはん)することはできないのだろうか。
「放射線?そんなの無いよ(ないよ)。」と言わなければならないのだろうか。
辞書(じしょ)をめくってみる。紙の辞書を。
「風評」(ふうひょう)
世間のうわさ。取り沙汰(ざた)。評判。(ひょうばん)
「うわさ」
世間で言いふらされている話。風説(ふうせつ)
「言いふらす」
言い広める。吹聴(ふいちょう)する。
「評判」が気になる。
「評判」
① 世間で批評(ひひょう)すること。
② うわさ
③ 有名なこと。名高いこと。
では「批評」とは?
「批評」
物事の善悪、美醜(びしゅう)を見きわめ、意見を言うこと。
「批判」も調べておこう。
「批判」
① 物事の是非(ぜひ)・価値などを検討し、評価・判定すること。
② 欠点などを指摘し論ずること。
辞書っておもしろいね。
なかなかやめられない。
「是非」
ものごとのあることとないこと。よいことと悪いこと。
「批判」より「批評」の方が主観的な感じがする。
「批評」大切なことだと思います。
「心の感じるままに。」大切なことだと思います。
よく耳をすませてみて。
「悪い風評」「良い風評」がある。
「正しくないうわさ」「正しいうわさ」がある。
これはどうだろうか。
「福島の平目(ヒラメ)食べてみたけれど、おいしかったよ。」
これは良い風評だ。正しいうわさだ。
なぜかといえば、まず第一に、実際に食べているから。そして、きちんと批評しているからだ。
うまいまずいに「批評」なんて硬い言いかただけれども。
批評の基本は「良心」だ。世界がこうあってほしいという「理想」だ。
だが、「良心」も「理想」もときにはゆがむことがある。常に己(おのれ)を正してゆく覚悟が必要だ。
それををきちんと踏まえれば、疑問に思ったことは素直につぶやいていいのだ。声を上げて(あげて)いいのだ。
さっきのキノコの話。
とっさの思いつきで言ったのではありません。
きちんと資料を読んだ上で言ったのです。
今年の6月に東京新聞が発表。
山菜に含まれる放射性(ほうしゃせい)セシウムの量を、福島県浜通り(はまどおり)、飯舘村(いいだてむら)と楢葉町(ならはまち)で調査した記事。
去年(2022年)の10月に東京新聞が発表。
野生の食用キノコに含まれる放射性セシウムの量を、福島県飯舘村で調査した記事。
まず、山菜に関する記事を読みました。
その後、記録をたどって、野生の食用キノコに関する記事を読みました。
東京電力福島第一原子力発電所の原子炉建屋(たてや)が爆発してから12年が経つ(たつ)。
山菜に関しては、ワラビやゼンマイは、しっかり「あく抜き」すれば放射性セシウムはほとんど抜ける。
この頃は、もうあまり気にせずに食べているいる人がいるという。
それでも、コシアブラ(山菜の名前)は注意した方がいい。
一方の野生の食用キノコだが、食品基準(「安全」とされる基準)の100倍近い放射性セシウムが残っていた。
野生のキノコは生育している土壌(どじょう)や木に含まれる放射性セシウムを吸収しやすい性質があるようだ。
福島の秋を思う。
福島県浜通りの人達は、どんな気持ちで紅葉の森を見るのだろうか。
(2023年9月27日(水) 記)