家に帰れば毛玉があるんだから
いつだったか、『家に帰れば生ハムの原木があるから』云々の一節がネットで流行ったことがあった。
例に漏れず、自分も大多数にマウントをとれるものが家にないかと考えたところ、ひとつだけ思い当たるものがある。
毛玉。
そう、文字通り毛の玉である。
家に帰ればころころと転がって出迎えてくれ、仕事でささくれた心をそのふわふわで癒してくれる。
餌もいらない、特別掃除もしなくていい(むしろそのふわふわは床の埃をいつの間にか絡めとり綺麗にしてくれる)、ただ居るだけの毛玉。
毛玉は、自分が独り暮らしをはじめてから一ヶ月ほどの頃に現れた。
土産物屋で見掛ける「マリモ」ほどの大きさだったそれを見て、すぐに片付けてやろうと掃除機を構えたものの、あまりにも綺麗に整った形だったためやめたのだ。
また次にしよう、そんな怠惰が積み重なり、年も重なり、毛玉もそのふわふわを重ねに重ね、今では成体サイズの猫ほどの大きさになっている。
今日もただころころと、部屋のなかに流れる緩やかな空気の流れにたゆたいながら存在する毛玉。
いつの間にか自分は、毛玉を本当のペットのような、ーーー物言わぬ同居人のような存在として認識していた。
あの『生ハムの原木』のように大多数にささるものではないのかもしれないが、自分にとっては既に、生活に欠かせない存在になっていた。
ある日のこと。
いつものように家に帰ってきた自分を、今日は毛玉が出迎えない。
また部屋の隅で転がっているのかと思いリビングに足を向けると、自分が愛用しているソファーの上に毛玉があった。
...珍しいな。外から強い風でも吹いて、浮き上がったのだろうか。
いや、ここしばらく窓なんて開けていないし、扇風機をつけてもいない。
とにもかくにも、毛玉があると自分が足を伸ばせない...毛玉を掴んで持ち上げようとした、
その時だった。
ふわふわした毛玉の中央部がぱっくりと口を開き、
『ぐるる』
と、無いはずの喉を鳴らしたのだ。
(続く/スペース抜き800)