技術者目線らしくないペアレンタルコントロール機能の話 1/2
ペアレンタルコントロールは、PC、スマートフォン、ゲームコンソールなどの個人向けICT機器(以下、貸与ICT機器)の運用ルールの構築において要を成す機能だ。PCやゲームコンソール、スマートフォンにおける当該機能の使い方や設定の手順は、本稿のテーマではない。本稿のテーマは「貸与ICT機器の運用ルール作りを適切に行うために必要となる思想」だ。
これは、子どもに対する教育の姿勢にもつながっている。
残念なことに、著者の故郷の香川県では、この思想を歪めようとする動きが起こっている。歪んだ思想では、歪んだ結果しか導かない。そんな香川県の轍を踏まないためにも、今から20年たっても通用しうる、ペアレンタルコントロール機能に関する「思想」を、ここで学んでいこう。
コントロールとは、どこをどう切っても「制限」
ペアレンタルコントロールや「コントロール(Control)」の意味を辞書やICTエンジニア向け用語集で調べてみた。すると、以下の結果が得られた。
そこからは、コントロールとは「規制や統制をかける」を示す言葉であることが分かる。どのように言い換えても、コントロールという言葉からは、その意味を隠すことができないことも、だ。
これは子どもでもわかる。ペアレンタルコントロールが施されたICT機器を使うと、何らかの制限を課した旨の警告画面にほぼ間違いなく遭遇するからだ。もちろん、それは彼らには不快なものだ。ゆえに、理由として以下のような言い換えをしても全く通じない。後述するが、これはペアレンタルコントロールを適用する理由付けには不適切だ。
それどころか、ペアレンタルコントロールを解除するため、子どもはあらゆる手段を用いる。そのためにWebページを漁る不毛な時間を使うことや、貸与ICT機器の情報セキュリティー強度を弱めることなどに一切の躊躇はしない。実際、Web検索を行うと、以下のような投稿がSNSやBBSで簡単に見つかる。回答の中には「ジェイルブレイク/ルート化をやろう」という、とんでもないものまである。とんでもないと書いた理由については、用語解説を参照されたい。
では、どうすれば、ペアレンタルコントロールを子どもに受け入れてもらえるのだろう。
こどもと戦う!ところで、その戦いに「勝つ」ことで「得るもの」は何ですか?
以下の文章から想起できる場面は、多くの保護者が遭遇されていることだろう。
この文章を書いた保護者は、スマートフォンの運用ルール構築の工程を、バトル、即ち、戦闘行為とみなしている。スマートフォン購入(貸与)時に取り決めた家庭内ルールが形骸化しており、長時間それを使っている我が子の姿を不安に思っている自分がいる。一方で、娯楽や友人とのコミュニケーション以外にも勉学のために使うこともあるから使用に制限をかけないでほしいと思っている我が子がいる。この事例では、双方の思惑が相いれない。スマートフォンをゲームコンソールに置き換えても同じだろう。
では、要素分解してこの場面を考えてみよう。すると、以下の図のようになると考えられる。
ここで、昨今の「ICT機器の使用」に関する背景も交えて、保護者目線の「基本方針」の理由付けになる事柄を個別に検証していきたい。
昨今は、COVID-19の感染拡大によって、子どもが貸与ICT機器を使う時間は増えている。学校で受ける講義がオンライン化している状態なら、なおさらだ。当然、Webを介して調べものをする機会も時間も増えることが想定される。しかしながら、この作業については、Web検索の適切なノウハウや情報の真贋を判定する力がある程度お子様に備わっていればの話だが、他人に聞いたりTVや新聞といった既存のメディアを使ったりするより「目的」達成までの時間を省力化できたり、より質の高い情報を得たりすることもできる。
その点で「学業成績が低下する懸念がある」懸念は、意味がない。適切なICT機器の使い方と情報への接し方を子どもが習得できれば、むしろ学業成績を上げる起爆剤になる。
コミュニケーション環境にしても同様のことが当てはまる。お子様の属する学級の緊急連絡網は、すでに、固定電話よりも携帯電話、いや、電話機などもう使わず、LINEなどのコミュニケーション系アプリに移行している事例も少なくない。当然ながら、それは、お子様含めた家族の誰かが携帯電話を持っていること、当該アプリが使えることが前提になっている。子どもの友人や恋人とのおしゃべりにしても、昔なら固定電話の前で長時間居座って「また長電話し(以下略)」とかつての親に揶揄されていたものが、掌の上にある電話機に、チャットなどのコミュニケーション用アプリに置き換わったと捉えてよいかもしれない。
メディアが発達してもデマに振り回される我々の愚かな行動性向を炙り出したCOVID-19関連の時事に示されたとおり、道具が変わっても、人の行動性向は変わらないものだ。
ここで、保護者としてのあなたに聞きたい。あなたがかつて子どもだった時、親に注意されて頑なに抵抗していたことを、行動性向がその時代と何ら変わっていないであろう今の子どもが聞くのか、と。
外遊びにしても、当の大人が物理的な遊び場所を子どもから奪いつくし、あまつさえ、ボールも使えない、歓声を上げてもいけない、と「世界(この一文のみ日本限定でお考え下さい)」が制限をかけている。
このことから、今の子どもには、自由奔放に物理的に身体を動かして遊べる場所は、今の保護者の時と比べれば恐ろしいほどに少ない。YouTube見過(以下略)、ゲーム遊び過(以下略)と保護者は子どもに注意するが、前述の背景を鑑みると、後ろから子どもを小突いてそのビデオゲームやYouTubeに向かわせている犯人は、大人なのだ。子ども視点で見れば「不当な理由で俺たちの外遊びの空間を徹底的に潰し家の中へ追いやった先でさらに余暇活動に制限を課すとは!てめえらの血はなに色だーっ!!」と立腹し、反抗したくなる行為だろう。
それが、今のこどもの「世界」であり、子どものICT機器の使い方だ。それが、保護者の持っている「世界」、つまり、ICT機器の想定されている使用方法、子どもの遊びの環境、そして、コミュニケーションの環境とずれていれば、保護者は、誰もいない空間に向かって注意をしていることになる。
一方、時間制限をかける理由の1つに「子どもの健康、特に視力や姿勢に悪影響が懸念される」があるが、実際は、それも理由にならない。それなら、生物学的に子どもが成長した大人に対しても、同様の理由を挙げて制限しないといけないはずだ。しかし、大人はそうはいかない。業務でICT機器を長時間使うことがあるからだ。業務だから、健康を損ねるわけにはいかない。ゆえに、厚生労働省によって、長時間ICT機器を使っても健康、特に視力や姿勢に悪影響が出ることを抑止するためのガイドが作られている。その環境づくりが家でも出来たらどうだろうか。実はかなりのレベルで可能だ。そうだとすれば、前述の制限理由も形骸化してしまう。
「ゲーム行動症になる恐れがあるから時間制限を課す」は、さらに根拠がない。これについては本稿の扱う内容ではないので割愛するが、一つだけ挙げるとすれば、家庭や学校の環境で深刻な人間関係構築にかかるトラブルがお子様にないのであれば、それは「杞憂」だ。
戦闘行為とみなした時点で、教育ではなくなる
以上、保護者が貸与ICT機器に対して制限を課す理由を、厳密に要素分解して考えた。すると、すべてが決定的な理由になっていなかった。
では、何が戦う理由なのか。
それは「子どもが自分の言うことに従う姿を見て、親としての自分の矜持や立場を堅持したい」となる。
戦って勝利し、精神的に平伏させることによって、子どもを完全に自分のコントロール下に置きたいのだ。そして、その姿を見たいのだ。その姿が「我が子の将来を考えた末の結果」と自分に言い聞かせて自分の中だけで納得したいのだ。
「我が子のこと」と称して自分がもつ子どもに対しての理想を、子どもに対して押し付けることが、戦う理由なのだ。戦いで勝つために腐心する理由だのだ。保護者としてのあなたの心の奥深くに、そのような思惟が根を張っていることを、子どもは直感で認識しているのかもしれない。
貸与ICT機器の運用ルールの作成は戦闘行為ではない
貸与ICT機器の運用ルールの作成とは、その機器の「使用許諾契約」を子どもと締結する「契約交渉」だ。
その「契約」とは何か。
契約とは「お互いに何をどうするかについて決めて合意した約束事」のことだ。契約において重要な点は、以下の2点とされる。
先ほど見たような「親の独善的な思想を子どもに対して押し付ける」とは真逆の思想だ。そもそも、子どもにICT機器はどのように与えるのか。貸与のはずだ。機器の使用権「だけ」を子どもに許諾するのであり、機器の完全制御を行う権利は保護者だけが持つ。
さて、契約内容には、してよいこととしてはいけないことを明記するものだ。家電量販店などで販売されているPCやWindows 10などのコンピューターソフトウェアには、ソフトウェアそのものやPCにプレインストールされているコンピューターソフトウェアに関する使用許諾契約書が同梱されている。それには「お客様がしてよい行為」「お客様がしてはいけない行為」が明記されている。
ご家庭で決める貸与ICT機器の使用許諾契約についてもそこは同じで、「子どもがしてよいこと」「子どもがしてはいけないこと」を明記しなければいけない。口頭でも可能だが、余計なトラブルを回避するためにも書面で作っておくほうが無難だ。
貸与ICT機器の使用許諾契約については、「してはいけないこと」に関して、その根拠を子どもに説明しなければならない。説明者自身が客観的に見て説明責任を十分に果たせるものであり、子どもも納得ができる根拠だ。貸与ICT機器の使用に制限を課す主軸である「ペアレンタルコントロール」機能を実質的に機能させるには、人格のある個人としての子どもに対して、制限内容に関してきちんとした説明を行い、それについて了解を得ないとならない。
ここで、冒頭に書いたことを思い出していただきたい。
ゆえに、この言葉にどのようなオブラートを施してもすべて無効化される。中途半端な説明をしてしまうとすぐに子どもにばれる、と言い換えてもよい。自分が納得しないものについては、まず子どもは守らない。ペアレンタルコントロール機能についていえば、高確率でコントロール権の奪取へ走る。納得しないからだ。それが自分の自由を「不当に」制限する存在とみなすからだ。
ゆえに、保護者は、契約の取り決め時に「なぜ貸与ICT機器が使える時間を制限するのか?」「なぜSNSが危険なのか?」という子どもの抱く疑問「すべて」に対して、丁寧に説明することが必要になる。それを行うために、ICTに関する正しい知見が必要になる。子どもの年齢が、己の意思をある程度自分の言葉で表現できる小学校高学年以上なら、なおさら求められる。
現代社会、言い換えれば、大人の社会は、さまざまな契約に基づいて動いている。店舗で商品を購入する行為も、法に基づいた契約(売買契約)だ。家の中で決める貸与ICT機器の使用契約は、それの家庭版で、貸与ICT機器の使用に限ったものと捉えたい。言い換えれば、子どもにとっては、この約束事の取り決めを介して大人の社会のルール作りの一端を垣間見ることができる機会であり、そのルールについて学ぶ機会となる。法と権利の関係も学べる。
だからこそ、許可される権利と制限される権利を明確にして約束する行為=契約締結行為を、親のエゴイズムに基づく精神論的教育の成果物に置き換えてはいけない。実際のところ、以下のような目的で、ルールも契約も作られてはいない。そこに精神論を持ち出すこと自体、既に方向が歪んでいる。例えば、道路交通法というルールの集合体は、「がまんする心を育てる」ために作られたものではないはずだ。
子どもが早く大人になりたいと望むならなおさら、大人の社会のルール作りの工程を子どもが体験するために、貸与ICT機器の運用ルールの作成に取り組みたい。戦闘行為とみなした時点で見失うことの1つは、まさにそれなのだ。
子どもの権利を重んじることが、円満な「契約」締結のカギ
戦闘行為とみなした時点で見失うことで「最も懸念すべき事態」は、子どもの権利を蔑ろにすることにある。「子どもの権利」と聞いて「子どもに権利なんか渡したら、わがままになって困る」と捉えてはいけない。その思想自体が、ペアレンタルコントロール機能への理解を歪めるからだ。
実際、技術的観点から見ると、ペアレンタルコントロール機能と、それを介して作られる貸与ICT機器の運用ルールの存在目的は、以下の1つしかない。
“お子様のコンピューター体験に関する安全性を全方位的に向上させるため”
それが事実だ。逆に言えば、原則として、貸与ICT機器の「使用」については、上記の「安全」を侵さない限り「制限を課してはいけない」のだ。
それは、子どもの権利条約にも関連している。
以下は、同条約から、ご家庭で作成する貸与ICT機器の使用許諾契約に関係があると思われることを抜いたものだ。貸与ICT機器の使用許諾契約の作成において、以下に挙げたことは、最大限に尊重しなければならない。
日本は、権利と法の関係について正確な知見を、公教育の課程において習得する機会があまりないと思う。先述したが、家の中で決める貸与ICT機器の使用契約を決める工程は、親子双方ともに、(子どもの)権利について学ぶ格好の機会になる。これについて正しく学ぶことは、お子様が生きる上でも重要になる。法とは、まさにその「権利」をどのように国や地方自治体が扱うかを文章化したものだからだ。
なお、子どもの権利条約は、日本では批准が諸外国に比べて遅かった。以下の引用にあるとおり、これは、法で認められた権利、特に人権に関する知見の歪みや不足が原因といわれている。
2018年、東京都目黒区(香川県善通寺市経由)でも不幸にして起こってしまったが、未だ発生が絶えない凄惨な児童虐待事件も、その思想が背景にあることは否定できない。
答えを誰も与えてくれないのが「世界」だからこそ
COVID-19の感染拡大で、日本に改めて突き付けられたことがある。それは「この世界は、誰も答えを与えてくれない」現実だ。そして、答えを求めたいなら、リスクを恐れず、自ら動かないといけないという「世界」の不文律だ。
子ども自身が自由に興味、関心を持ったことを自ら学びとる体験を、貸与ICT機器の運用を通じて学ぶ。「貸与ICT機器の使用については、安全を侵さない限り制限を課してはいけない」と書いた理由はそこにある。子どもの権利条約に触れた理由もそこにある。これは、子どもが持つ法的に保障された権利(人権)の1つに属する事柄であり、親はそれを尊重、支援する立場にあるからだ。
ゆえに、ペアレンタルコントロールを「子どもを屈服させる、子どもの意思に対してControl them ALL(そのすべてを統制)させる」ために作動させてはいけない。作動させてしまうと、子ども自身の自己肯定感を挫き、ひいては、精神的な幸福感を削ぐことを幇助しかねない。以上のことを、第一線で子どもを見守る専門家は、すでに認識している。
子どもは親の所有物ではない。一個人としての人格を、意思を、子どもは持っている。貸与ICT機器に対するペアレンタルコントロール機能の適用において、子どもの意思を一切無視し、親のエゴイズムに満ちた精神論に基づいて統制を図る行為は、子どもに対する教育の方針として、すでに、この世界が求めているものではないのだ。
第2部について
第2部では、貸与ICT機器の運用ルール作成の際、子どもが説明を求めた時のよりどころにもなる技術的な知見を中心に、ペアレンタルコントロールの主要機能や、医学的エビデンスに基づくICT機器の運用環境に関する簡単な解説を行う。香川県が配布した児童生徒・教職者・県民向け啓発パンフレットの間違いも指摘するので、その県にお住まいの親御さんや教職従事者は特に参考にしていただければ幸いだ。
さあ、第2部へ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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