カミングアウトは年々楽に 【漫談散策】
毎年欠かさず同性愛者であることをカミングアウトするアレックス氏(Alex Edelman氏)。その理由とは...
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【以下ネタバレあり】############################################################################################
このネタを悪意100%で紹介すると、「俺ゲイじゃないけど、面白いと思って毎年カミングアウトしてるんだ」となります。
「エンターテイメントとしてのカミングアウト」を主軸とすることは、一歩間違えると非難を招いたり、人を傷つけるリスクが高いですが、自分の立場が同性愛者側であることを前提として示すことで、これを回避しています。具体的には、冒頭でカミングアウトが非常につらいことであると理解を示し、この遊びの動機として「ゲイが嫌いな親戚への嫌がらせ」であることを挙げています。
そして、高齢の祖父が孫のカミングアウトに対して、「そんなことはとっくの昔に知ってた」と漏らすのがオチとなっています。祖父の反応が否定や驚き等ではなく、(この場合誤解ではありますが)「既知」としていることは、エピソードに温かみを生みつつも、逆にそれがある種「裏切り」としての笑いを引き出していることについて、色々と考えさせられます。(高齢者は漏れなく同性愛に理解がない、あるいは同性愛とは無縁であるというある種の偏見。同性愛は先天的なケースがあること、あるいは心の深い場所から生まれる「ごく自然な」感情であることを踏まえると、これまでは迫害を恐れて表に出てきていなかっただけであり、古くから広く存在する感情である等々)
宗教の絶対性・伝統性から生じる抑圧等は簡単に解決できるものではありませんが、根本的な問題は人々が自分の理解が及ばない思想を恐れ、嫌悪し、差別・迫害する点にあると思われます。愛し合いたいと思う人々に対し、特段合理的な理由が見当たらない中で、感情に身を任せ、国や第三者が「権利を認めない」などと主張するのは、極めて傲慢であると言えるでしょう。
保守的な政治家が度々失言で炎上するのは、国民の幸福度の上昇よりも、子孫繁栄・国力増強への阻害という幻想に憑りつかれていたり(あるいは支援者の)嫌悪感を優先して主張しているからであり、(Twitterで話題になっていましたが)田村正和さんに「お前らみたいにケツの穴の小さいのがなぁ、いつまでも偉そうにふんぞり返ってるからガキにナメられるんだよぉオイ!日本がダメになるんだよ!」(ドラマ「オヤジぃ。」、2000年)と天国から叱っていただきたいものです。
最後に、悲しいかな、未だに過去の動画となれていない名演説及び名ドキュメンタリーを貼っておきたいと思います。
「ビッグ・ゲイ・レインボー」演説
(ニュージーランド議会、モーリス・ウィリアムソン議員)
熱意とユーモアに溢れ、また、的確に問題の急所を突いていく、完成度が異常に高い演説です。(途中、イントネーション誤りの指摘についての切り替えしも上手く、惚れ惚れします。)
ジェンダー・マリアージュ ~全米を揺るがした同性婚裁判~(原題:The Case Against 8)
一度成立した同性婚を一方的に無効にした措置に対し、これまで対抗していた大物弁護士2人がタッグを組んで、同性愛の未来をかけて戦った際の密着ドキュメンタリー(だったと思います)。
人が裁く以上、理屈だけでは裁判に勝てません。綿密に計画を立て、手持ちの資源を全て投じ、知性×情熱×表現力のすべてを高める必要があります。ロジックやら法的解釈やらで優勢に立てても、気持ちを動かすことことができなければ負け得る。そんなリアリティや緊張感が画面越しに伝わってくる、同性愛だけでなく、司法の在り方についても考えさせられる作品(だったと記憶しています。いつか観なおして、改めて感想でも書ければと。。。)。