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なんぷうの心境

こんにちは。原初ラボ院生のなんぷうです。
今日は、私の活動における心境についてお話しします。

私は今現在、札幌市南区石山の「いしやま朝市」でその場のお客さんや出店者の方々とキムチ鍋や豚汁、おしるこなどを一緒に作って、一緒に味わう活動をしています!活動名「しるとしる」と名付けて、1ヶ月〜2ヶ月に1回のペースで朝市で汁物の提供を行っています。

Yさんのキムチ鍋


Oさんから教えていただいたおしるこをIさんと再現!

この活動の私の熱源は、
・お客さんからの「ありがとう」が直接いただける嬉しさと達成感
・汁物を一緒につくることで地域の人たちと関係性が深まる楽しさ
・地域の人たちに私の身体を使って、日常生活がちょっぴり楽しくなってもらいたい気持ち
の大きく分けて3つです。現場の声を直接聞けることが一番達成感を味わうことができて、みんなの幸せそうな笑顔を見ることができて、ほっこりした気持ちになります。みんなが幸せに、楽しくなれる場づくりがしたいです。

今月には朝市会場で、あるお客さんの元に毎年送られてくるという徳島県のそうめん8キロをいただき、流しそうめんを行う予定です。

地域住民の人から、食材のアイデアをいただけて、実際に朝市会場でみんなで味わう場づくりができて嬉しいのですが、最近はなんだか活動自体に熱が入らず、気持ちがズンっと重いのです。
なんでだろう、活動しんどいな、と思わず考えてしまっていました。(現在進行形かも)

そんな心情の矢先、大学院の授業で一緒に朝市で活動していたT先生とお話しする機会があり、
「一人だと大変でしょ。前まではみんなで活動していたから楽しくできていたと思うけど、今は一人で活動していて大変だろうなと思っていたの。なにかできることがあったら言ってね。」
と優しい言葉をかけていただきました。でも、この時、私ははっとしました。

確かにこの活動を始めようと思った時は、私のほかに2人の学生と先生方と頼もしい仲間がいっぱいいて、みんなで話し合って活動に向けて準備していました。
(「しるとしる」のきっかけとなった出来事については、のちほど投稿しますね。)
ですが、今は地域住民の人と一緒に活動しているとはいえ、企画や必要食材などの買い出しは自分で行っていました(地域住民の人たちがもちよってくれるものもあります)。活動の規模も、仕込み量が増えたり、会場の備品準備が多くなってしまったりと少しずつ大きくなってきていて、気軽に活動しにくくなってきています。

最初は、もっと気軽に、その場にあるものを使って、みんなで汁物料理を味わう企画だったのに、だんだん腰を重くしてしまうような企画にしてしまっていた自分がいたことに気づきました。


朝市運営者で「いしやま朝市」という温かく活気溢れる場を創っているFさんも言いていました。
「身の丈にあった規模で、楽しくやるのが一番」
だと。今週やろうとしている流しそうめんは、流し台や会場設営の準備も少し大掛かりで地域の人たちにもいっぱい「協力」してもらっています。
私は、「迷惑だったんじゃないだろうか」「自分もなにか力にならなければ」「大きくやるのであれば、集客もしたほうがいいのではないか」と頭の中がぐるぐるしてしまい、自分の心に小さな負担となってしまっています。正直、楽しいから少し外れて、義務感が生まれてきているように感じます。

私は正直にいうと、かなりの怠惰者です。
心が重いと、自慢のフットワークの軽さも信じられない程重くなります。
今一度、原点に帰って、この活動をどうしていきたいのかを考える必要があるのではないか。と考えました。大きくやれば、良いってわけじゃないって気づきました。

現場の人に楽しんでもらうには、自分も楽しんでいることも大切。
自分の負担にならない範囲で、あるいはもっと仲間を作って、みんなで楽しく程よく活動していきたいです。

活動の規模感ではなく、自分の気持ちと現場で形作られる営みが楽しめるようなときめく活動を展開していきたいと改めて考える機会となりました。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

<なげき>
もっと自分が地域で活動しやすい拠点があったら便利だなあ。とぼんやりと考えてもいます。今はなくなってしまった東海大学さんのスリーカフェの跡地を使って、いしやま朝市に代わる場づくりができたら、、、で思考停止しちゃってるのもったいない。学生と地域の接点を南区にもっと増やしていきたい。
卒業までに土台づくりしたい。気持ち軽やかに、やりたいと思っていることを実行して卒業したい。


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