リテラシーの教科書4 -エビデンスの重要性
エビデンス、近年よくビジネスでも使われるようになって、webでも盛んに使われるようになりました。本来は医学用語で、「その論文はエビデンスに乏しい」なんて使われ方をしますが、小保方晴子さんの「STAP細胞はありまっす」あたりから増えたように感じています。
因みに小保方さんを擁護するために下記の記事をあげておきます。僕もSTAP細胞はあると思っています。研究続けて見返してほしい。
一般的に使われる場合は証跡でしょうかね。誰が何を言ったかエビデンスをのこしておく。そしてSNSで使われる場合は論拠、今日はこちらについてお話していきます。
結論から申しますとダサいです。その論拠を盾にする使い方。ですが著名な方ですらエビデンスなく論じる人たちの一切をバッサリ切り捨てるような発言をします。
ここnoteではそんなダサい人はいないと思いますが、自分がこう思うと言って何がいけないの?
逆に私はオリラジのあっちゃんのように、「この本にはこのように書いてありまっす!」と自分の意見を言わないでコンテンツを作っている人のほうがズルいと思います。
そんなのはクリエイティブではない。
さて、私が何を根拠にそんなことを書くかというと、医学でもジャーナリズムでも、エビデンスを持ってくるということは、そのエビデンスを作った人を100%信じちゃってるってこと。
例えば「エルサレムは国連が管理しているんだよ、YOUTUBE大学で言ってたし」と、YOUTUBE大学をエビデンスにしてしまえそれは正しいんですか?もう一個遡ったところで池上彰の本だから100%信じちゃっていいんですか?ということを下記で専門家が言ってます(この言葉も嫌いだけど)。
郵便学者ってのがよくわかんない。
広い見方をすれば、ルールもマナーも空気もエビデンスも法でさも、基本的にはだれかの判断で誰かが勝手に決めたことで、100%信じることなんてできません。だけどそれは極論で、国や地域や家族や学校などの社会に関わって生きていく上で、なるべく平等にやりましょうという目標を定められているのでそれは守らなければならない。どこまで守るかはその人の自由です。
だから基本的は何を信じるかは自由です。じゃあどうやって情報を得るかというと、自分の信念に近い人を信じます。それから、自分の信念に近い人の友人を信じます。
中田敦彦氏の言ってることが正しいかどうか、イスラムの専門家といえば飯山陽氏で、有本香氏の友人で虎ノ門ニュースに出演していてnewsweekに連載を持っていてイスラム圏在住です。もちろん記事も書籍も読んだうえで私は判断しますが、あっちゃんと池上彰を信用する人たちは、テレビとそれのみの情報を鵜呑みにし、それ以外の情報をシャットアウトしています。
せっかくネット社会で多くの情報に繋がることができるのに、表面的な簡単な表現を鵜呑みにするだけでなく、さらにもっと掘り下げて、自ら省庁の発表を見に行くとか、公開されている論文を検索するとか、同じものを違う見方を多く仕入れてからおおよそ正しい事象を判断するようにしてはいかがでしょうか。上記の界隈の人たちは、2世代くらい前に言われていた、自分と近い価値観の学生同士で集まるような狭い世界を生きていているのと変わらないような感じがします。
ちょっと下手な文ですが、情報リテラシーの基本的な話でした。