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リテラシーの教科書1

まだうまくまとまってないけど、思いついたら少しずつ書き出していきます。整理してまとめてるつもりでもこんがらがってきて難しいので、人に見せて、アドバイス貰いながらまとめていこうと思います。

今日は属性の話のひとつめ。

人は最初から様々な属性をもって生まれてきます。肌の色や血液型、見た目で分かる疾患などの身体的特徴もさることながら、生を受けた時と場所によって、生まれた病院、誕生日、国籍、同じ日本でも地域によって出生補助額が違ったりします。そして両親が居て祖父が居て、苗字と名前を貰い、両親と同じ家に住むのに、既に兄や姉が居るかもしれない。おじやおばと一緒だったり、ひとり親だったり、家族の構成は様々。またその家族の知識や方針や宗教によって選択した地元なのか英才教育なのか保育園に預けられたり、親せきの家に預けられたり、逆に幼稚園に行かないで自宅で過ごしたり、ピアノの上に乗って遊んでいたりします。小学校は、よほどのお金持ちが通う私立の学校以外はだいたい地元で歩いて通えるところになるでしょう。今は範囲内であれば選択できるところもあるみたいですね。同じように(こちらはもう少し広いですが)管轄担当のオーバーフローな小学校教諭が教えられる範囲で指導をします。個人に任せられる範囲が膨大なため、しかも学年で教師は繰り上がりますので、その影響範囲は膨大といえるでしょう。当然個人の教諭を構成する属性として、学年主任や校長、その地域の教育委員会の影響は少なくないでしょう。子供の生まれ持った個性との相性もありますから善し悪しの線引きは出来ませんが、多感な時期の強要される環境に甚大な影響を受けることは間違いないでしょう。

また忘れてはならないのは、生存する両親祖父母総祖父母だけでなく、元をたどればヒト科は、ホモ・サピエンス1種になる前にネアンデルタール人やデニソワ人が同じホモ科として過去に存在しており、それらはホモ・サピエンス属のDNAの数パーセントに混流していると言われています。さらに元をたどれば地球の46憶、生命誕生の38億年から比べれば比較的最近の微々たる変化に過ぎない霊長類から地上を歩くよう分家したのがわずか200万年前に我々人間で、生命の歴史からすれば0.05%しが過ぎていません。木の上で過ごすチンパンジーと地上を歩くヒトは98.8%までDNAの塩基配列が同じです。なんなら同じ地球上に存在し、DNAというらせん構造(人はまだ5%程度しか解明できていない)を持ち細胞分裂して生命を維持することを属性とするならば、ヒトもサルも馬もスズメもタイもワニもカエルもゴキブリもミドリムシもタンポポだって同じです(ウイルスだけちょっと違う)。環境に合わせて、共存して生き抜くために変化し、多様性をもって進化してきた結果にすぎません。隣の人と少しずついろいろ違うことと理由は同じなのです。

「欧米では肌の色や生まれた国や言語で差別するのはよくない。だからつたない英語を笑ったりしない」と実に日本人的な発想でいう人がいますが、本質的には先に上げてきたようなすべての先天的な事象で差別することはみっともないという話で、表面で笑わなくても腹の底は計り知れず、身体的差別も黒人差別もジェンダー差別も、結局は個人の知性や感情によるものであればなくなりはしません。だからこそ日本人の教育が行き届き、恥を知り、恥を忍ぶ文化が称賛されてきた時代もありました。

それは何かというと、身体も肌の色もジェンダーも目立っているから議論がなされていますが、すべての差別行動がみっともないということです。まだあまり言語化されていない、目には見えないうつ病だったり繊細さん(HSP)だったり様々な病気だったり、片耳聞こえないとか、肝臓が弱いとか、鼻が詰まりやすいとか、夏がダメだったり、セロリが好きだったりするよね(山崎まさよし:セロリから引用)。
同じ人という近しい存在でありながら、”欠陥”ではなく”誤差”でしかない違いを認められない人を、「みっともない」と呼ぶ以外の表現があったら教えてほしいです。

正しく背景を知り、知識を要して理性的に対応するインテリジェンス。
情報が多い時代に何が正しいかを判断する文脈(リテラシー)を読み取る技術を自ら身につけること。そして僕がここでオープンにするのは、良いものを共有した方が幸せは伝搬し、より良い未来を形成し、自分自身も幸せになれると確信しているからです。

まあいまのところ何の専門家でもないからあまり説得力はないんですけどね。肩書に左右されない知性を備えた方に支援いただけることを祈ります。

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