動画マーケティングあまり役に立たんね
youtubeが誕生から15年経って、動画コンテンツ配信というジャンルが十分に確立され、生活に根差しています。
無料の動画コンテンツは面白いもの、役に立つもの、気持ちいいものから枠を超えて、ただ勉強しているだけの映像や、カップルがいちゃついてるだけの映像が求められています。
多様化が進み、コンテンツとして何が正解かなんて言語化は、もはやできません、っというのは既に共通認識だと思っています。
どんなジャンルでもそうだけど、文化として浸透が進んでいくと、違いを表現するため多様性が広がり、様々なコンテンツが現れます。ゼロイチを多く求められるフェーズです。そして広がったあと、徐々に淘汰されていきます。振り落とされるコンテンツとともに、内容についても徐々に引き算が求められます。動画コンテンツはもはやこっちかもしれません。そして最終的に選ばれるコンテンツはシンプルなものです。
音楽の歴史にみるコンテンツの移り変わり
祭り・教会音楽→バロック→古典派→ロマン派→12音技法→印象派(サティ)
祭りや教会音楽などの文化的側面が強い環境から徐々に世の中に浸透し、音楽自体が確立されたのはベートーベンに代表される古典派。何故ベートーベンがその代表になるかというと2つ理由が合って、ひとつは職業音楽家として最初の人とされていること。もうひとつは和声学というコード進行の基本になる考え方を確立させたからです。そのベートーヴェンは前の世代、バッハとヘンデルのみを天才と呼ぶと言っており、テクニックを学んでいます。そのあとのロマン派は、メロディックで抒情的なため"ロマン"という表現をされていますが(これは過去の歴史家たちが決めた言葉なので共通認識として使用しています)、表現者がより増え、多様性が求められたため足し算を繰り返した時代です。ロマン主義音楽というのは、結果現代に多く残っている名作がメロディックで抒情的な曲が多いだけで、実際は残らず廃れていったつまらない音楽が多数生産されました。モノフォニックにメロディ性だけが着目されがちです。実際にこの時代にバッハなどの対位法によるバロック音楽が発掘されています。バロック時代は古典派よりももっと前の時代ですが、対位法による音楽はその時代にはひとつの教会で演奏された音楽で、文化には発展しませんでした。実に200年の時を超え、あらためてひとつのスタイルとして歴史に大きく記述されているのです。
歴史認識として、いないと思っていた豊臣秀吉の存在があとから発掘されたくらいの話です。
その多様性が多く生産されたロマン主義時代の末期(音楽史では近代と表現される)、和声学を削いで削いで削ぎ切った曲の代表がサティ作曲ジムノペティ。そして音楽の多様性の終焉が1952年ジョン・ケージ作曲の4分33秒です。この曲は4分33秒間、舞台に立ったまま何の音も発しません。その空気が音楽だというひとつの考え方です。音楽という文化を表現する究極の引き算です。
...アホかと思います。
なのでYoutubeも、既に段階に来ているのではないかと推察されます。