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【香港旅行記②-2】山肌を固めた人々
海の見える墓園へ
華人基督教墳場という墓園に着くと、入り口には警備員のような人がいるし、開門時間まで定められていた。事前に知らなかったのでびっくり。少し身構えたけれど、何事もなく通してくれた。裸足サンダルで一眼レフカメラをぶら下げた男を、見咎めないで入れてくれた警備の人に感謝。
門をくぐると、H型鋼で作られた大きな十字架が見える。ここは基督という名の通り、キリスト教の墓地なのだということが一目で見て取れる。それを横目に突き進んでいくと、急に視界が開けた。
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山肌に墓が綺麗に整列していて、ほどんどどの場所からも海が見える。香港に来て初めて、気持ちの良い海風を感じた。人が作った風景のはずなのだけれど、この物量と、地形のようにうねる様によって、大自然を見ているように感じる。
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いろいろ歩き回っていたら、段々とこの地形の意図が掴めてきた。この墓園は、一段あたり、高さ1.5〜2.5m、奥行き2.5〜3.5mの大きな段差を作ることによって、墓を建てる場所とお参りのための道を作り出している。傾斜がきつい場所とゆるい場所が混在していることから、元々の山の形を生かして作られたように見える。山を最小限の労力で削って、そこにコンクリートで平面を作り、一定間隔で墓を立てていったら、こういう風景ができそうだ。
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面白いと思ったのは、山の勾配が墓のサイズを決めているように見えること。まず、高さ方向の1.5〜2.5mという高さが、そのまま墓石の高さになっており、向かいから眺めると、墓石全身が見え、重ならないようにできている。まるで墓の展示場だ。さらに、一つ一つの段の海側に通路が確保されている。奥行き2.5〜3.5mという段差から、人の歩く場所の1mほどを抜いた、1.5〜2.5mという寸法が、そのまま墓の基壇の平均的な大きさであった。
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ここでわかったことは、墓も建築と同じように、敷地条件(山の傾斜)と機能的な意味(眺望、通路)から、配置や形が決定されるということ。この当たり前に思えるような事実に自分で気づくことができるのが、人の行かない場所に行く楽しさの一つだ。ここには歴史解説のパネルもなければ、関連書籍が出版されたりもしていない。
「傾斜が墓の大きさを決めていること」が確信に変わったのは、山を降りて下の方を見に行ったとき。段々と墓石が綺麗になっていき、時代的に新しく作られたものだということが予想できた。
ここの墓は、大きさこそ上の方にあるものと一緒なのだが、山の傾斜がかなり緩い。そのため、向かいから眺めると、多くの墓が重なってしまい、とても窮屈な印象を受ける。初めの方の傾斜に合わせて決定された墓の大きさが、緩い傾斜に対応できなくなってしまっている。角度が変われば、墓の大きさも変わらないといけない。ここでも、普及したことによる効率化、大量生産の弊害を発見した。
(墓と商品化の関係については、以前ここ↓で書いています)
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でも、ただ小さくしてしまうだけでは、やはりショボくなってしまった感が出てしまうことを危惧する、先人の気持ちも分かる。これはこれで、学生時代の集合写真を思い出す、前の人の頭の隙間から顔を出すような、可愛いらしさがあるように思う。
墓の大きさ(立派さ)、景色の良さ、綺麗さ、便利さの、どこかが欠けてしまえば、何かで補えば良い。これはどんな物事にも言える。全ての要求を満たすことなんてできないのだから。
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カマボコ墓と生き埋め墓の謎
中には、初めてみたタイプの墓もあった。一つは、カマボコ状の墓。花崗岩で作られた小さめの墓石を、先細りのヴォールト状(かまぼこ状)のコンクリートが覆ってしまっている。正面からみると、半纏を羽織っているようで可愛らしい。
亀甲墓に似ていなくもないけれど、コンクリートで埋め立ててしまっているので、土葬をする場所がない。もう掘り返すことをしないという意思の為に、コンクリートで固めてしまうのだろうか。土葬ならぬ、混凝土(中国語でコンクリートの意味)葬なのか?
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他にも、いくつかの生き埋め墓を発見した。土石流に飲まれて基礎から浮いてしまった家のように、どれも斜めになっている。また、墓石が一部コンクリートの基壇に埋まってしまい、頭だけ顔を出している。文字を読むことさえ敵わないほど、古いものばかりだった。
土石流と違って、コンクリートは人の手によって作られるものなので、山を固める時に墓石をどかすことができると思うのだけれど、一緒に固めてしまったのだろうか。それとも、シンプルに墓石を斜めにコンクリートに刺すことを、狙ってやっているのだろうか。謎のままだ。
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納骨堂は墓のサブスク化?
どの墓場でも同じだが、平面的に拡大を続けていくと、やがて土地に底が尽きる。すると、納骨堂を建設するという方法が思い浮かぶ。
羅列された名前と顔写真を順番に見ていたら、ふと、何かに似ているなと思った。これは、Netflixで、映画を選ぶときに似ていないか。同じフォーマットに収められたものを、番号と記憶を頼りに検索するようだ。
そう考えると、納骨堂は、墓のサブスクリプションかもしれない。CDとカセットとレコードで溢れかえってしまった部屋に残された最後の一手は、サブスク化しかない。私物化できないこと、象徴がなくなることを引き換えに、管理を人の手に任せられるし、時間と場所の制約から解放される。コストも圧倒的に抑えられるのだろう。
もしかしたらこれから先の未来、納骨堂にAIが導入されて、参詣の対象をレコメンドしてくれる機能が追加されるのだろうか…。
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墓場を散策しているときに、基壇に座り込んで、丁寧に掃除したり、愛おしそうに花をいけるおばさんの姿を発見した。墓という象徴があるからこそ、ゆっくりと故人を偲ぶ時間が取れるのだろうと思う。もし納骨堂ばかりになったら、こういう風景もなくなってしまうのだろう。その未来は、僕にはとても残念なことに思える。
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これでもかと垂直に住んで迷路を作り出す生者と、水平に快適な空間を広げていく死者の対比。7畳ほどの部屋に6人が積めこまれる一方で、死者は優雅にオーシャンビュー。香港の空間の使い方は、少し極端すぎるように思う。
墓場を堪能していたら雨が降ってきて、かつ閉園時間も迫っていたので、名残惜しいけれど後にした。帰りもまた徒歩で。
君たちはどうスケッチするか
さて、当初の目的地である香港大学美術博物館まで戻ってこれた。閉館の1時間前なので、急ぎ足で回る。いつものように楽しくスケッチをしていたのだが、30分ほど立ったときに突然、まったく意味のない行為のように感じられて、立ち尽くしてしまった。
ノートに向かって、「僕はなぜスケッチをするのか」を考えて、悩みを吐露した記録が残っている。観察したいのか、人に見てほしいのか、書く練習をしたいのか…それも含めて、ここに載せておく。結局良い答えはでないままだったけれど、「楽しいから」というのが一番の理由だと思う。写真で撮るよりも、自分が感動した部分を覚えておきやすいから。
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閉館ギリギリまで粘って、その後は夕暮れに沈んでいく香港島の景色を楽しんだ。1日目の夜に感じたジェネリックシティはここにはなく、とても香港らしい、ここにしかない景色に興奮しっぱなしだった。街が立体的につながって、活気づいている。
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香港ドミトリーの底は知れず
昨日のホテルは、カーテンがなかったことと、入口付近の雰囲気が怖かったことから、今日のホテルは別のところを選んだ。
昨夜より1000円くらい高かったけれど、写真を見る限り昨日より良さそうに見えた。チェックインのためにいろいろ苦労したことは置いておいて、このホテルがまあ酷かった。部屋の大きさが昨日の3割減なのに、ベッドの数が変わらない。水場はその中にあって、当然のように鍵が閉まらないトイレは、臭いと音がダダ漏れ。床には他の宿泊客の荷物が所狭しと置かれ、窮屈さの度が抜けている。
部屋の中が息苦しくて廊下にでても、待っているのは壁を向いた椅子二つのみ…。昨日のホテルごときで音を挙げるようでは、香港では生きていけないことがよく分かった。昨日同様、耳栓とアイマスクを駆使して、窓を開けることで匂い問題をましにして乗り切った。
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