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どんなこと、どーやって書こうかな。
「note、初めてみるの良いのかもな。」
(ちょっと気づきがあったので、アプリを入れて開いてみている。)
「あれ、何を書こうと思って入れてみたんだっけ?」
(何か書こうと思えば思うほど、中々整理が付かない。)
「あ、そうだ、自分を表現してみると何か起こるかもって気づいたんだった。」
(気づかされたんだったかな。)
「書く内容のルールなんて決めないで、感じたことをただただ綴ってみよ。」
(自分の中で、発信することへのハードルが下がったかも。)
【発信が自分を作る。】
さてさて、僕は「自分を表現してみようかな」なんて思っています。
まずは定期的に呟いてみて、なるべく早く習慣化できたら続けられそうですね。
ところで、僕の悩みのようなものなんですけど、「篤矢って何考えてるかよく分かんない。」とか、「篤矢くんって話しかけていいのかな。(ちょっと怖い。)」みたいなことを良く聞くんです。
僕自身、特にビーチテニス界にいる時なんかは「ビーチテニスプレイヤー・牧篤矢」の人物像を演じているような気もします。
僕ってめちゃめちゃお喋りで、遊園地とか大好きで、グミばっかり食べてて、フルーツオレ飲みながらじゃないと試合中集中できないような子どもみたいな一面もあるんですよ。
(やっぱりこれを表現するとちょっと恥ずかしいと思う自分がいるな。)
そうやって考えると、人間って話している相手との関係性とか役職によって『自分』の役割を演じてしまう生き物なんだなって感じます。
上司と話す時は部下として話し、友達と話す時は友達として話し、親と話す時は子供として話し。
僕も役割を演じているのは自然なことみたいですね。
ということで(「ということで」で合ってるのか?)、僕は自分を表現してみることで、
①皆さんに僕を感じてもらいたい
②『自分』を知りたい
今はそんなことを考えています。
これは続けるうちに変わるかもですね。
「いやぁ、それにしても最近暑すぎませんか?」
牧篤矢