二人の書店員
一貫してモノを見られる機会に、出会ったことはあるだろうか。
いま机の上に置いてあるコーラも、原材料がどんな国でどんな人が作っているのかを、簡単に見ることはできない。
けれど、原材料を作っている人が、この机に置かれているコーラを見ることも、おそらくできないだろう。
片側からしか見えない世界は、仕事として携わることで、一貫して見えることがある。
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2022年、本が出た。
書き手と作り手が考えていることを共有し、一冊の本となっていく。
製作のはじまりは、出版社の田中ヒロノブ社長が最後の短編を完成させるため、ベトナムの現地まで同行してくれた。
それが原稿となって、編集が入り、校閲を得て、DTPへと繋がっていく。
本のデザインも、無形だったモノがアートディレクターである上田豪さんから出力され、形になっていった。
ヒロノブさんは書き手の僕を、印刷所に連れて行ってくれた。
多くの人が携わり、何ヶ月、何十時間とかかって仕上がった文章とデザインが、本になる瞬間を見るために。
そうして『スローシャッター』という本は出来上がった。
その製作過程については、マガジンを読んで頂ければ。
本は、そこから旅をする。
未だ見ぬ誰かに本を手に取ってもらうため、全国の書店へと向かう。
下北沢にある本屋B&Bという書店で、自分の本が棚に陳列されている姿を、はじめて見ることができた。
その日は刊行後初のイベントがあったので、そこで働く担当の舟喜さんという書店員さんに挨拶をすると、「素敵な本が届いてますよ」と冒頭に言われたことを覚えている。
彼女は届いた箱から丁寧に本を取り出し、表紙と裏を眺め、中をまじまじと見つめ、小さく息をし、いい本ですねと言った。
その一連の仕草を見たとき、舟喜さんは本という存在が大好きなのだろうと思った。
たちまちのうちにイベントは終わり、来てくれた顔見知りや、初めての方と話しながら何気なく横目でレジを見ると、舟喜さんは一人一人に御礼を言っていた。
年明けの書店イベントは一月に、札幌で開催された。
三省堂書店札幌店にいる工藤さんという書店員さんは、短編が本になる以前から、いつか本になったら必ずイベントをすると言ってくれた書店員さんだった。
ヒロノブさんは、僕たちを北海道まで連れて行ってくれた。
イベントの前日まで天候は悪くなかったそうだが、新千歳空港に到着した日、札幌の街には雪が舞い降りていた。
札幌でも先日の下北沢で話したことと同様、この本がどうやって産まれたのかを伝え、遠くから来てくれた人たちと、楽しい時間を共有できた。
イベント中も、イベントが終わったあとも、工藤さんは常に近くにある本棚を見て、本たちがズレていれば丁寧に整え、少なくなっていれば補充した。
世界的な厄災が日本にも蔓延し、書店が完全に閉鎖されている間も、新しく生まれた本は、書店に届き続けた。
誰一人としてお客さんがいない広大な店の売り場で毎日、彼は黙々と本を並べ続けた。
毎日、何のためにやっているのかを考え続けたと聞いた。
イベントは途中立ち見が出るほどで、参加していただいた方の多くが、その厄災によって辛かった日々を思い出し、泣いていた。
ただそれは、きっと今という時間がある嬉しさで泣いているのだと、そう思うようにした。
イベント後、工藤さんは本を読んでくれた全ての人に、丁寧に御礼をしていた。
彼にとって、書店とはこの本の短編にある『ターミナル』そのものだと話す。
「多くの人がバラバラの目的を持って書店に集まり、いくつもの世界に向かって旅をしていく。今回のイベントも、たとえ短い時間でも心の繋がる瞬間があったことを、幸せに思います」と言った。
下北沢と札幌。
遠く離れた書店員さんに出会い、目にしたこと。
本を書いた人や作った人が、読んでくれた人全員に御礼を言えるならいいのだけど、それは到底不可能だ。
その代わり、何十年も前からお客さんに本を伝え、お礼を言い続けてくれていたのは、本の最終案内人となる書店員さんだということだ。
その構造の一部だけを切り取って見たら、通り過ぎてしまうかもしれない。
けれど、僕は仕事を通じて一貫して見ることが叶い、二人の書店員さんに会えた。
あまりお酒が得意でない工藤さんと僕が飲んだボンベイサファイアは、記憶として身体に残っている。
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*札幌のイベントでは、誰も聞いていなかったハプニングがあった。
参加された方の中に『スローシャッター』の帯を書いていただいた、前田将多さんが参加されていた。
イベントは予約制なので、工藤さんだけは知っていたのだ。
その粋な計らいというか、それこそ「ええ男」代表の前田さんの言葉を借りるのであれば「ええ男でしょ」という他ない。
何度思い返しても、いい夜だった。
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