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デレックのゼリー

同じ釜のめし、という言葉が好きだ。
”ひとつ屋根の下”とか、”寝食を共にする”などとも表現されるが、その共同体のような意識を、食べ物で表現することが絶妙だと感じていた。
苦楽を分かち合う仲間との食事は、素朴な料理でもご馳走に変わる。

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2週間ほどチャポ湖で過ごした最終日の朝、セサーがいつものピックアップトラックで迎えに来た。

湖の住人であるマウリシオには昨夜のうちに別れの挨拶をし、滞在していた小屋の鍵を、彼に言われた通りウッドデッキの床の下へと隠した。

「ここは大変だっただろ?さあ街へ帰ろう」

同情するような表情でセサーは言ったが、僕はマウリシオと小さな小屋で夜通し話した日のことを思い出し、なかなか悪くなかったと返事をした。

チャポ湖からプエルトモント市内へ戻る途中、小さな食堂を見つけた。
ミルカウ(Milcao)というローカルフードを売っている店で、もちもちしたマッシュポテトを揚げた素朴な料理だ。

古くから伝わるチロエ島の伝統料理なのだけど、セサーはいつもミルカウを食べる僕を茶化した。しかし、ヤツも日本に来た時に随分と奇妙な駄菓子を気に入っていたので、土地が変わればお互いさまだと思った。

湖からの長い砂利道が終わり、ようやく道幅の広いハイウェイに出ると、彼は虫と泥だらけのフロントガラスにウインドウウォッシャーを出した。
ワイパーはガラスに付着した虫と泥をただ撫でるだけで、やればやるほど、前が見えなくなった。

プエルトモント市内に入り、久しぶりに街のレストランでランチを済ませると、その足で郊外の工場へ向かった。

街外れのカルブコ(Calbuco)という村には集落がいくつかあり、小さいがとても美しい港を持っていた。

カルブコの港。wikipediaより抜粋

目の前に小さな湾が一望できる小さなコテージに車を停めると、ここから工場までは徒歩で向かった。
数分もしないうち、緑色の大きな工場が見えた。

「山から降りてきたと思ったら今度は工場か……」

セサーはそう言うと、工場の入口で待っていたデレック(Dereck)と少し話したのち、やれやれという仕草をして帰っていった。
チャポ湖から3週間に渡る視察プログラムの最後の1週間、このカルブコの工場で過ごすことになった。

初日はスタッフへ挨拶と簡単な工場の説明を受け、明日から場内でワーカーと一緒に働いてもらうということだった。
マウリシオより少し英語が話せるデレックは、照れくさそうに明日の朝7時、工場の入口で待っていると言った。

カルブコの夕陽は、とても透明で静かだった。
さきほど歩いてきた道を戻り、コテージに辿り着く。
チェックインを済ませ一階の食堂へ行くと、宿泊客は僕だけのようだった。

エプロンを付けたおばさんが、笑顔でこちらを見る。
彼女はマシンガンのようにスペイン語で何か話しかけてきたのだけど、何を言っているのかさっぱりわからなかった。

その日は珍しくビールが飲みたかったが、言葉が通じず30分くらい格闘した。

「ビヤー」と言ってもおばさんは首を傾げるだけだし、コップにビールを注ぐ仕草をしたら水を出してくれ、泡のイメージを手で表現したら、なぜか温かいパンが出てきた。

困ったな……と言いながら、僕は立ち上がって厨房に歩いていき冷蔵庫を探すと、その中にあったビールを指さした。

彼女は目を見開き「セルベッサ(cerveza)!!」と嬉しそうに叫んだ。
その瞬間、街が停電した。

当時チリでは電力の安定供給が課題で、スペインに本拠を置くエンデーサ(Endesa, S.A.)という企業が、自然豊かなパタゴニアから強力な水力発電を引っ張るかどうかで、国内の政治ニュースはもちきりだった。
あまりにも絶妙なタイミングで停電したので、おばさんと2人で思わず非常灯の下で大笑いした。
そのおかげもあって、僕はセルベッサという単語を忘れないだろう。

翌朝、7時きっかりに工場へ行くと、入口でデレックは待っていた。
そして、昨日と同じように照れくさそうな顔をして案内をしてくれた。

工場は朝から大忙しだったが、慣れないながらそのグループに加わった。
日本の工場とは違い、場内はわりと大きな音で音楽を流していた。
今風の曲がかかると若手の動作がキビキビとし、古い曲が流れると親指を下にしていたが、掃除のおじさんは嬉しそうだった。

あっという間に昼になり、ランチの時間になった。
終始隣にいて指導をしてくれたデレックが、食堂へ案内してくれた。
工場とは別棟にあって、大きな広間で各々昼飯を食べていた。

魚の工場だが、彼らは毎日ほぼ肉を食べた。
魚料理はエンパナーダ(empanada)というパン生地を揚げた包みの中にタラが詰め込まれているものくらいで、水産資源のある国だが、彼らにはあまり馴染みはないようだった。
学校給食の要領で、トレーテーブルに出来上がった料理を乗せていく。
デレックは日に日に僕に話しかけるようになった。

昼飯が終わるとワーカーが個別に頼むデザートがあって、いつも山盛りのゼリーが出てきた。
デレックは僕の分も用意してくれ、真っ赤だったり真っ青だったりするゼリーは、見るからに毒々しい色合いだったが、食べると少し硬くて美味しかった。
全て平らげる僕を見て、彼は親指を上にして笑った。
もしかすると、デザートは別にお金を払っているのではないかとデレックに尋ねると、彼は気にするなと言い、毎日カラフルなゼリーをくれた。

工場で数日が経過したころ、ヘッドオフィスにいるホアキン(Joaquín)という担当者が海外から帰国してきた。
彼はワーカーのランチスペースにいる僕を見るなり、驚いた顔をしてデレックを呼び出した。
しばらく何かを話したあと、ホアキンは僕を手招きして言った。

「アツシは明日から、ヘッドオフィスでランチを取りなさい」

事前の打ち合わせでは、僕はワーカーとランチをするというスケジュールにはなっていなかったようで、デレックも少し気まずそうな顔をした。
その次の日のランチは、ヘッドオフィスに向かった。

ガラスで囲まれた食堂ではテーブルクロスが敷いてあり、作業服を着ているのは僕だけなのでかなり浮いていたが、ホアキンはこっちの方が美味しいだろうと訊いてきた。
階級社会でもあるチリの文化であり、確かに料理は上等そうだし実際に美味しかったが、デレックと笑って話すランチが美味しく感じた。

翌日もホアキンは僕をランチに誘ったが、ワーカーと一緒に食事をしてもいいかと尋ねると、彼は少し驚いた表情をしたが、アツシの好きなようにすればいいと言ってくれた。

その足でワーカーたちがいる食堂に入ると、そこにいたデレックは驚いた顔をして、どうしてここに来たんだと尋ねた。

僕はしばらく考え、いつものゼリーが食べたいと言うと、デレックと周りのワーカーたちは一斉に大笑いをして、席を空けてくれた。

デレックと共に過ごした1週間は、あっという間に過ぎ去っていった。

あの大盛りゼリーがそんなに美味しかったかどうかは忘れてしまったが、皆で食べた時間という味は、今も確かに残っている。


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