ターミナル
世界には、好むと好まざるとにかかわらず人が集まる場所がある。
列車や飛行機。
駅や空港。
移動する目的で作られた場所は、それぞれが全く違う目的をもって、毎日そこに人は集まっていても、そのほとんどは赤の他人としてすれ違う。
そんな星の数ほどいる人と人が何かの偶然によって、触れ合う事もある。
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アメリカテキサス州・ダラス・フォートワース国際空港(Dallas/Fort Worth International Airport・通称”DFW”)は、世界でも有数のハブ空港であり、巨大な空港である。
大きさの比較として、ありがちな東京ドームの面積で換算をしてみたのだけど、
約1500個分
という余計にイメージしづらい結果になってしまった事をお詫びしたい。
DFWはターミナル間の移動だけでもキロ単位になるので、旅行客は原則、スカイリンクという空港内の列車を使って移動をする。
この空港は人生で初めて海外へ降り立った思い出のある空港で、初渡航は僕の不注意で大トラブルになってしまった。
その話はいずれ書くかもしれない。
当時、その数年後にDFWを頻繁に利用する事になるとは夢にも思っていなかったのだけど、アメリカ本土だけではなく、中米、南米へ向かう中継地点になった。
目的地が遠ければ遠いほど、トランジット(乗り継ぎ)時間がスムーズにいく確率は低くなり、長い時は8時間以上待つことになる。
それでも入社したての頃は何もかもが珍しかった事もあって、空港からタクシーを使い、近くのモールなどでショッピングなんかをした事もあったのだけど、数年が経過していくにつれ、それにも飽きると、いよいよする事がなくなった。
読書もそう長くは続かず、パソコンを使おうにも当時の施設はフリーWi-Fiとて殆ど使い物にならなかったし、頼みのスマートフォンも無い時代、この退屈な時間をどう潰すのかを考える事が、徐々に苦痛になっていた。
僕はタバコを嗜むので、喫煙所へ行けば多少の時間も紛れるのだけど、既にアメリカ本土では空港内で吸える場所は何処にも無く、吸いたければ一旦外に出る必要があった。
空港の外に出るという行為は、"貴方が安全な人間かどうか"という権利を放棄する事にもなるので、再度空港へ戻りたければ所持品を全て外し、セキュリティを都度通過する必要があり、それはとても手間の掛かることだった。
自ら吸いたいと思いながらそこへ行くのが面倒くさいなんて、こんなに身勝手でワガママな話もないのだけど、8時間以上施設内で待機するという重苦しい壁には勝てなかった。
ダラスは乾いた空気のせいか、日本にいるよりも夕陽の色は薄く、澄んで見えた。
僕はその日、何度目かになる空港の外に出た。
12月初旬のダラスは、とても寒かった。
暫く空港の端の方へ歩いていくと、そこには小さなスペースに真っ黒で寒々しい鉄製のベンチがあり、中央には申し訳程度に灰皿が用意されていた。
こういう不便が重なると、大多数は吸うのを止めようと思い立つ人もたくさんいるのだろうなと思いながらも、わざわざ寒空の下に赴く自分に妙なコダワリやら、果てしないバカバカしさが入り混じり、思わず苦笑いをした。
ベンチに座り、向かいのベンチに目をやると、数時間前にいた男が同じ場所に座っていて、目が合った。
年恰好はほとんど僕と同じくらいだけど、少し僕より背が高そうだった。
見た目はアジア人だが、彼も僕と同じ境遇なのかと思うと、何だかちょっとだけ可笑しくなり、その場で軽く会釈をした。
もし彼が日本人でなければ、日本特有の会釈には気づかないだろうし、そうであれば、何らかのリアクションをしてくれるはずだ。
すると、彼も少し笑いながら会釈をした。
「何時発ですか?」
僕はベンチ越しに尋ねると、彼は両手で6本の指を出した。
こちらより、1時間長い。
それだけの会話をし、お互い静かに紫煙を燻らせた。
帰りしな、彼は2時間後、気が向いたらここで会いましょうと言った。
それだけの事だったのだけど、潰しが効かないほどやる事が無くなっていた僕にとって、大きな楽しみが出来た。
凡そ2時間後同じ場所へ向かうと、彼は少し遅れてやってきた。
「いやぁごめん、なかなか電話が終わらなくて」
計算上では、これでも彼とは出会って3度目となる。
ベンチは、隣に座った。
彼の名は、ヒロシ(洋)君といった。
徐に名刺を交わしてしまう所が日本人らしいけど、それだけで半分くらいはお互いの素性がわかる、便利な紙切れだ。
彼はまだ独立して間もない、主にアメリカ本土中の古着を買い付けるブローカーをやっていた。
古着の世界を何も知らなかった僕としては、本当にこういう人がアメリカを回って買い付けている事が、とても面白かった。
中には顧客に依頼されてビンテージのついた高額なジーンズやジャケットを扱う事もあり、古着は目利きと交渉が大事なんだけど、まだまだ失敗も多いと言った。
話を聞くうち、同世代なのに既に独立し、全ての責任とリスクを背負って生きているヒロシ君が、なんだかとても大きく見えた。
その事を話すと、彼は少し照れくさそうに言った。
「独立といっても、会社は僕を含めてたった2人なんだ。けど、いつか大きな会社にする事が、今の夢だよ」
そして、彼は反対に企業に勤めている同世代を、羨ましいと言った。
「あと1回でお互いフライトだね。それじゃ、また2時間後に」
そう言って何度目かのセキュリティに戻ると、陽気な黒人のおじさんが両手を挙げて言った。
「ヘイ、お前これで何回目だ!?」
彼は僕がタバコを吸いに行っている事を知っているので、そう茶化して笑い、僕もあと最後にもう1回は通ると伝えると、呆れた素振りをした。
たった数時間の間だけど、僕達は色んな話をした。
日が暮れる頃に屋外に出ると、日中はまるで気づかなかった大きなクリスマスツリーが、遠くで光っているのが見えた。
今度は彼が先にベンチに着いていて、手を挙げてほほ笑んだ。
「なぁ。この2時間で思ったんだけど、あつしのジッポーと俺のジッポー、出会った記念に交換しないか」
そう言うと、彼はポケットから真新しいブルーのジッポーを僕に見せた。
僕のモノはかなり使い込んでいたのでちょっと申し訳ないと思ったが、彼の提案を喜んで引き受けた。
「突然変な事を言うかもしれないけど、俺達って、もう二度と会わない気がするよな」
ちょっと前に僕も空港内で同じ事を考えていたと話すと、2人ともゲラゲラ笑って、ちょっとだけ静かな間があった。
偶然どこかでまた出会えたら最高だと思ったし、会わなくても仕方ないと思えた。
一日数万人が利用するこの空港で、いくつかの偶然が重なり出会えた事が、とても嬉しかった。
ヒロシ君はペンシルベニアに向かい、僕はサンチアゴへ飛ぶ。
明後日の方といってもいいほど、仕事も向かう目的地も違った。
「また、どこかで」
「うん。気を付けて」
最後は短い挨拶をして、それぞれのターミナルへと向かった。
彼から貰ったジッポーには、定番の底面ではなく表にブラッドフォード(Bradford)の刻印が入っていて、頻繁に行っているというペンシルベニアならではだと思った。
当時、とても美しかったブルーの塗装はとっくに消えてしまったけど、彼の名刺と共に、20年近く僕のそばにいる。