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『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME 3』感想 苦痛からの解放を描く


ブラックパンサーやアントマンといったスタメンによる期待の新作が、ことごとく不発でこのところ絶不調な感じのマーヴェル。だが、この映画は大変よかった。

思えば、GotGに出会ったのが9年前ということで、月日の流れの速さを覚えずにはいられないなぁという感じだ。兎に角、見ているこちらの期待値にもバフがかかるというもの。結果としては、期待を上回るものが出てきた感じだ。

今回でGotGシリーズは一旦完結、ということで、映像的にもお話的にも相当リキの入った作り込みだった。個人的にアベンジャーズの中で一番の「推し」チームだったので、この終わり方は満足だけども、まぁさびしいやらかなしいやら、といった気持ちだ。

驚いたのは、脚本にピーターシンガー的な価値が練り込まれている点だ。動物の権利を彼が著書などで訴え、はや半世紀が経とうとしているが、よもやヒーロー映画で自身の思想が適用されるとは思ってもいなかっただろう。

日本だと、よく菜食主義的なの価値感の依拠するところとして紹介される気もするが、シンガーの主張の本質は、種差別により動物が人間どもから被っている「苦痛」から解放することにある。工場畜産や動物実験の廃止論は、その延長にあるに過ぎない。つまり人だろうと動物だろうと、彼らに苦痛を与えるのは倫理に反する訳である(これはシンガーの考えに対する個人的な解釈なので、間違ってたらごめんなさい

その論拠となる苦痛なのだが、議論が別れるところだ。シンガーは動物だって痛みを感じているじゃないか、という。反面こう反駁する人もいる、動物がそうした感情を抱く感情はどこにあるのだ、と。

ただ、後者のような主張も、最近では流石に無理があるように思える。というのも、動物にも豊かな感情があることは分かってきているからだ。また、動物と暮らしたことがある人はわかると思うが、楽しいことや嫌なことなど、ちゃんと自分の意思を持っている。

人間の生存や繁栄のためなら動物の犠牲も致し方ないじゃないか、という鼻息荒く主張をする人は、シンガーに言わせればとんでもないヒトデナシである。そういう「仕方ない」論を唱える者は、いずれ仕方なく行う犠牲のレンジを、少しずつ社会の弱い人に広げ、適用してくることは歴史が証明している。本作のヴィラン、ハイ・エボリューショナリーが行う実験にそれがよく表現されているように思える。シンガーが言うところの動物には、人間だって含まれる場合もあるのではないか。

もっとも、シンガーの主張はあまりにナイーブだし、全てを今すぐ鵜呑みにする気もないものの、社会の苦痛を無くしていこうという考えには大いに同意できる。お肉も魚も大好きマンの原罪背負いし私だが、充分に満足できる擬似ミートが開発さらたらそっちに切り替えてもいいかなとか思っている。ほんとどうでもいいが。

さて、本作でジェームスガンが描いた「解放」は、こうだ。クリスプラッドをはじめ、第二の主役であるロケットラクーンなど、それだけでなく様々な人の手で、十人十色の解放なされる。ある時は救済としての解放であり、また何かに執着していることからの解放、また別離としての解放も描かれる。要は、世の中には多くの苦痛のタネみたいなものが埋没している。で、本作でロケットが成し遂げた大きな解放は兎に角として、当事者の勇気や行動一つで、何かは変わるんだ、みたいなことを書いてる気がする。

脚本は相変わらずなかなかに大雑把で乱暴だが、ベッタベタなお涙頂戴シーンとキレキレのアクションとギャグで見事に吸収されている。皮肉のように聞こえるかもだが、それこそがGotGシリーズのいいところである。名シーンがそれこそジャンクフードのごとく大量に流れてくるのでここでいちいちあげることはしない。はい、全部名シーンです。

あと、去年のクリスマスのショートシリーズを見て以来、ケヴィンベーコンを見るだけでなぜか笑ってしまう体質になってしまったのだが、頼むから凄いいいところでちょろっと出てくるのやめれと思った。ジーンとしてる時に吹き出してちまっただろうが。

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