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ポストパンデミックを考える。


長岡京は日本一の筍の産地。近所のおばさんが「筍があるので湯がいて持って行くから」と電話をくれる。実は今年は二回目。これが日本の前近代的ムラ社会の風景なのではないかと思う。近代資本主義社会だと、余剰はどこか需要のあるところに持って行って売るべし、缶詰にして貯蔵すべし、それが資本の運動に忠実だということになる。サリンの被害者となり組織を離れ、どのムラにも、すべての被害者団体にすら入れてもらえなかった私にはわかる気がする。今、私が心配するのはコロナウイルス は暴力的にこの前近代的ムラ社会の良い部分をそぎおとして行くのではないかということだ。鎮護国家のために仏教をインストールした日本、開国とともに神道を再インストールした日本はコロナウイルスの中でどう変貌していくのでしょう。荒涼としたむき出しの自由主義に突き進むのでしょうか。あ、筍が届きました。(373)

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さかはら あつし
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