書くこと①
蝶番の軋む金属的な音が耳に届く。
朝の登校時に吐く息が白くなりだした秋の終わりの夜は、絵画のように散りばめられた木々の色を塗りつぶすだけでなく、空気そのものすらも濾過しているのかもしれない。少しでも喧騒があれば、あの音が耳に届くことはないのに。いくら目の前にいない”誰か”に向かって無言で文句を言ったとしても、金属的な音がかき消される頃には、同じ方向から大きな足音が聞こえてくる。
小さな寝室に敷布団が3枚。寝室といっても、大きめの箪笥と小さな化粧台があるだけで、布団を3人分も敷いてしまうと、それほど自由に動ける隙間はなくなる。それでも僕は、そんな大きな布団と、小さい部屋が大好きだった。僕の定位置はドアから一番離れた奥。ドアに一番近いところに母親。そして僕と母親の間の真ん中には、先日立ち上がることを覚えたばかりの弟が静かに寝息をたてている。
足音が大きくなる。右に寝返りした母親の目が少し開いて、数秒目が合い、そして母親は目を閉じた。今日の足音の具合であれば、最悪の事態にはならないだろうという母親の判断。遠慮がない足音と、古びた木製のドアの蝶番の甲高い音。どれだけ嫌いな音でも、日常の一部となってしまうと、抗う事すらできない。「母親の判断が間違ってはいないだろうか……」などと疑問を持てるようになったのは、もっと先の話。現実から目を反らすように目を閉じた母親を見ながら、耳に残る不快な音を抱えて、なんとか眠りに戻ろうとする。眠たいのに。でも、なぜか眠ってしまったら駄目なような気がして。
1989年。日本中が明るい未来を確信しながら迎えようとしていた秋の終わり。6歳になったばかりの僕は、母親の目だけを頼りにしていたように思う。