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稲村ジェーン

 桑田佳祐監督作品。

 稲村ヶ崎へ帰ってきたヒロシ(加勢大周)は骨董屋の切り盛りを任されていた。ある日、店にヤクザのカッチャン(的場浩司)がやって来る。とある理由からバンドマンのマサシ(金山一彦)を追っていた。一方、ヒロシとマサシは大波を求めて鴨川へ行く。だが、成果ははかばかしくなく、横須賀あたりの歓楽街へシケ込む。彼らはミゼットの荷台に風俗嬢の波子(清水美砂)を乗せて帰るのであった。一方、ビーチサイドレストランのビーナスではマスター(伊武雅刀)が二十年前のジェーン台風について力説していた。ジェーンは再び来るのか?

 生活の中に音楽が自然に存在する。生活と音楽が地続きになっている。サウンドトラックとしての『稲村ジェーン』からの曲が印象的であるが、桑田佳祐に大きな影響を与えたミーナ「砂に消えた涙」などが効果的に使われている。

 この映画はサーフィン映画であるが、実際に波に乗るシーンは存在しない。ヒロシがサーフボードに波子を乗せて海をプカプカ漂う場面は存在する。
 この映画は恋愛映画であるが、ベッドシーンは存在しない。ヒロシと波子のキスシーンは存在する。
 だが、この映画にはある種の衝動が確かに感じられ、その衝動は時に暴力として発現する。

 ビーナスのマスターは言う。

 20年前とおんなじだ。ジェーンが来るぞ。

 終盤、「竜」がキーポイントとなる。骨董屋の主人(草刈正雄)はヒロシに、ジェーンの「伝説の予兆」として、「光明寺の山門の竜の目が、赤くなる」と告げる。ジェーンが来る晩、波子の一言で骨董屋に戻ったヒロシ。二人は店の奥に竜が描かれたサーフボードを見つける。それをミゼットに載せて二人は走り出す。転倒したミゼットを捨てて、二人は森へ入る。キスした後、二人の前に竜が現れる。魑魅魍魎が踊り狂う中、二人はサーフボードの上で踊る。これは不謹慎ながら嵐や台風の晩に生じがちな奇妙な興奮かもしれないし、セックスのアナロジーかもしれない。竜はそんな高揚感を表しているのだろう。

 この映画の演奏シーンは実際にミュージシャンが担当している。監督の桑田佳祐も盲目のシンガーとして、力強い歌声を聴かせてくれる。

 サザンオールスターズの歌は「今はないものや人への哀惜の情」がモチーフになっていることが多い。映画『稲村ジェーン』のモチーフも同じである。ジェーンはもう来ないし、ヒロシもカッチャンもマサシも波子もいない。だが、ジェーンは確かに来たし、それをめぐる彼らの衝動や興奮は確かにそこにあった。そして過ぎ去った後に人は気づくのだ。それが青春だったと。

(1990年 日本映画)


 


 

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