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旅の記:2023年4月のツアー㉒徳川吉宗公誕生地(和歌山県和歌山市)

【旅の記:2023年4月のツアー㉒徳川吉宗公誕生地】

紀州と言えばこの人、いや、この将軍・徳川吉宗公でしょう。暴れん坊将軍お馴染みです。四男の生まれで紀州藩相続の予定もなかったのに、兄たちがなくなり紀州藩主、そして折しも第7代将軍家継が8歳と早世したことで、将軍候補に!数ある候補の中でも最大のライバル尾張藩主徳川継友を、大奥の支持も得て押さえ込み、享保元年(1716年)第8代将軍に就任した。

水野忠之、大岡忠相、松平乗邑など実力主義で登用して、江戸三大改革である享保の改革を行ったことは有名ですね。
幕府中興の祖とされ、目安箱、小石川療養所の設置、江戸町火消しの設置など庶民のための政策もありましたが、質素倹約、年貢の増税などで文化・経済が停滞し、一揆が頻発したのも事実で、一時的に幕府の財政は立て直されるものの、庶民の不満は小さくなかったようですね。
新田開発や、お米を納めることにより参勤交代の江戸在府期間を半分にしたりとお米に関する政策も多く「米将軍」と呼ばれたとか。個人的には狩野派に師事したりして芸術に理解もあり、またキリスト教関係以外の洋書を解禁したりと開明的でもあった。なかなか評価の分かれるところですね。

そういえばこの当寺で180cmも身長があったそうで、こどものころから大柄だったのか、かなりのわんぱくだったそうですよ。まさに暴れん坊!

また尾張藩主徳川宗治が質素倹約に対抗して、国元で祭りなどを推奨したりして、吉宗とは確執があったそうですが、それはこの旅で宗春さんのお墓をお参りしてるので、後ほど、、

延享2年(1745年)将軍職を長男家重に譲る。言語不明瞭だった息子を大御所として支えた。寛延4年(1751年)6月20日、再発性脳卒中で死去。享年68歳。

そういえば第14代将軍・家茂も和歌山藩から出ましたが、関連史跡はなかったな。。と思ったら、家茂は和歌山来ることはなかったみたいですね。






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