大人ってなに?
私はここ3・4年でだいぶ人に対して期待しなくなった。座右の銘が「来る者拒まず、去るもの追わず」にもなった。総じて“寛容さ”を身に付けたのかな、と感じている。
意見や価値観の合わない人と話していても、「貴方はそうなんですね(私はそうは思いませんけど)」と考え、自身の心の平安を求め始めたのもその頃からである。
また、精神衛生上寛容さは便利な武器になるとも考えている。仮に敵意を持った相手と対峙しても、殴り掛かる小さい子供の頭を長い手で抑えている時と同じで痛くも痒くもなく完全に優位に立っている気分になるのだ。
こういった心持ちは相手に対して敬意の無い対応と自分自身で感じて、良くないと考えることもある。しかし、セルフコントロールの一環であり、これは必要な行動なのだと割り切っている。
こういった考えを持っている私だが、3週間ほど前新たな概念を学んだ。それは「不寛容への寛容さ」である。これから二つの例を挙げようと思う。
①「Aという事象を認めない人間に対して、Aを認める自分はその人間を認める事は無いが、争いはしない。」
②「Aという事象を認めない人間に対して、Aを認める自分はその人間が認めないという事実を尊重し認める。」
私の中で①は「不寛容への不寛容さ」であり、②が「不寛容への寛容さ」なのだが、この考えは私の求めた大人の対応というものであった。
強固な自我を持ちつつ、他者を全て受け入れる。これが私の思う大人なのだ。