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何をするかではなく、どうあるか。

ずっと考えていた。何度も自分のnoteを読み返していた。

東京の満員電車で押し潰されるたびにアメリカ時代のnoteを見ては、なんだかんだあの頃が一番楽しかったなと思っていた。

今自分は何を感じて何をしているのか。

ビジネス的思考で何かを実現しようと思うたびに、大事な何かを失っている気がする。

そもそも "スタートアップ"がしたかったのか。

アメリカでの原体験が強く、ホームレスの彼らを助けられる社会を創りたい。想いはただそれだけだった。

そのために今していることが正しいのか。このまま何もできないのか。

自分は何者でもない。そんな劣等感というか焦燥感のようなものに押し潰されそうな日々を過ごしていた。

そんな想い半分で、投資機関を個人も合わせて30件ほどまわった。投資家だけでなく起業家にもアドバイスを求めたり、協業の依頼や何かしら前に進めれないかと動き続けた。


そんなある日、縁あって憧れだった元祖ノマドワーカーの安藤美冬さんに会った。


お互いが大事にしていた考え、それが計画的偶発性理論であり、偶発的価値が生まれた瞬間だった。

そこでこれまでの話、安藤さんの話、これからの話をたくさん話した。

なかでも「私たちも既にレガシーだから倉岡君たちの新しい時代を創って見せて欲しい。」という一言が頭の中をすっきりさせてくれた。

それはスタートアップやエクイティファイナンスのような現代の固定概念から飛びだして、ワクワクするような次の時代を示して欲しいという事だったと思う。

考えてみるとスタートアップで指数関数的に飛躍するという事に固執する必要はなかった。スタートアップは手段であって目的ではない

そして「自分が楽しくないと何もうまくいかないと思うよ」と言って、何をするかではなく、どうあるべきなのか、どういう生き方をしたいのかという問いをもらった。

僕はこれまで人とは違う何者かになろうとしていたのかもしれない。

でも別にスモールビジネスでいい。短期間で飛躍的に成長しなくてもいい。既存の社会を破壊しなくていい。

僕の本当の目的は資本主義を破壊することでも、社会主義を作ることでもない。

「すべての人が最低限の生活が担保され、人生の中に余裕が生まれる」その状態を創る、それだけだった。

情報社会の中で見えない何かにただ煽られていたんだと気が付いた。


今、考えていることが二つある。

ひとつはTwitterを止めて、ノイズ(比較)を断つこと。

もう一つは絶対に諦めないこと。

何をするかではなく、どうあるかを大切にしたい。


僕には誰かを驚かすような飛びぬけた発想や、何かを一人で作る技術力もない。でも一つだけ誇れるとしたら誰よりも運がいい

これは周りに恵まれているという事。

チームも友人も、slackやTwitterをいつも見てくれている人、先輩起業家の人たちや相談に乗ってくれる周りの人たちなど。

多くの機会をもらい、多くの恩をもらってきた。

貰ったバトンは途中で転んでも、諦めない限り次の走者に繋ぐことができる。

かっこ悪くても、這いつくばってでも、前進する。

これまで諦めたほうがいいという意見をたくさんもらってきた。でもどうしても諦められなかった。

その答えがわかった気がする。

僕はこのモチベーションを殺したくない。今の自分がありたい自分なんだと。

これまで遠くの何かだけを見ていた。でも答えは自分の中にある。

これからは情報を限定し、もっと本質を見よう。

そして半径5メートルの人たちを大切にしようと思う。


これからはSlackのコミュニティnoteでいつも応援してくれている人たちに向けて発信します。

まだまだこれから!

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Sean Kuraoka
貴重な時間を使って読んでいただけるだけで嬉しいです!!ありがとうございます!