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苦労するとわかっていて、なぜ人間はスポーツを続けるのか?

「なんでそんなしんどいのに、卓球を続けているの?」

これは14年間の卓球生活のなかで、わたしが最も答えに詰まる質問である。

なぜなら一言で答えられるものではないからだ。真剣に取り組むスポーツ選手ほど悩むのではないかと思う。

絶対に無理だと思った壁を超えた瞬間、仲間と喜び合ったり、ぶつかった瞬間。できていたことができなくなる瞬間、限界を感じる瞬間。

すべての瞬間を味わいながら、喜怒哀楽をすべて飲み込んできた。


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ひたすらに楽をしたいのが人間である。しんどい思いをしたくないし、ストレスもできるだけ感じたくない。それらは人間にとって不快であるようにプログラムされているからだ。

苦労するとわかっていて、なぜ人間はスポーツを続けるのか?

あえてこの問いの答えを一言で出してみよう。

それは「苦労」の先に、何にも変えられない「喜び」があるからだ。


14年間も積み重ねた「苦労」について

「できるようになるのが楽しい」からはじめた卓球だったけれど、「勝たなければいけない」に変わってからしんどいことが増えた。

「始めた時は楽しかったのに、続けるうちに楽しく無くなってくる」というのはあらゆるジャンルで起こりうることだけど、まさにそんな感覚だった。

全国大会に出場したり、県大会で優勝したり、結果が出てもどこかしんどさは抜けなかった。できていたことができなくなる瞬間も何度も訪れた。もちろん楽しい瞬間もあった。

10代の頃を思い出すと、どうしても苦労の側面ばかり思い出してしまうけれど、22歳になった今、10代でたくさん悩んできてよかったと思える瞬間が急に増えてきたのだ。


「苦労」が「エネルギー」に変わる

学習科学において「ある文脈で学習した知識・スキルを、別の新しい文脈でも活かすこと」を「転移」と呼ぶ。ぼくは卓球で培ってきたスキルが、あらゆる分野へと転移した。

人間関係も、努力の仕方も、緊張する場面でのマインドセットも、卓球を通して学んできた。それらは全て応用できる。

これらは、苦労していなければきっと手に入れられなかったものだ。何度も失敗と敗北を重ねて「どうすればうまくいくのか?」を考え続けてきたからこそ、できるようになったことがたくさんある。

成功体験も失敗体験も必要だ。小さな成功体験があるから、何かに取り組む時、「自分はできる」と思える。大きな失敗体験からたくさんの学びとエネルギーを得ている。


「苦労」しながら「喜び」を得ていく

僕は楽な人生を生きたいわけじゃない
楽しい人生を生きたい、でも楽しいものは苦労の後にしか絶対に来ない
 

サッカー選手の中田英寿さんの言葉だ。

スポーツは大変な時間ばかりだ。自分の能力を最大限使って、プレッシャーと戦う。頑張ったからと言って結果が出るわけじゃない。ときにはチームメイトと意見がぶつかる。

でもそんなものが本当に小さく見えるほどに、目標や記録に向かって努力することは楽しいのだ。クタクタになった練習の帰り道にチームメイトと話すことは何よりも楽しいのだ。

これらの楽しさは、苦労していなければ得られないものだろう。懸命にエネルギーを注いだからこそ得られたものだ。

「苦労」の先に、何にも変えられない「喜び」があるのだ。

だから、ぼくはこれからもスポーツを続ける人生でありたい。


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アンダーアーマーさん主催の投稿コンテスト「#スポーツが育ててくれた」に寄稿するためのnoteでした。


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Atsushi
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