【vol.012】 働くということ 実社会との出会い

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(読了 2020-3-14 1.5時間)

読んだ経緯

社会人になるにあたりもう一度「働くこと」は何かを明確にしたかったため

もしも何にもなりたくないと思っていれば、そのまま何にもならずに一生を終えてしまう可能性の方がはるかに大きいに違いない。何にもならなくともよいかもしれないが何にもしないままに生を終えるのはあまりにも空しいのではあるまいか。

人生における目標、自己実現のために人生を捧げたい。向上心なく日々を淡々と過ごすだけなら辞めてしまった方が良い。健康に生まれてきただけで恵まれているのだからああだこうだと言い訳を言っている場合ではない。

外に勤める一般的な会社員の家庭と違って自営業の家で育ったことでより身近に自分の祖父母、両親の働く姿を観てきた。景気、不景気がダイレクトに伝わってくるし「働く」とは何か、「仕事」とは何かをずっと考え続けることができる環境だった。

(企業は)時間そのものを従業員から買っているのではない。その時間の中に充たしている仕事を買っている。

簡単に言えば同じ1時間の労働時間でも、できる限りサボる人とその1時間で最大の成果を出そうとする人。労働時間=給料 であり 労働成果=給料 でもある。経営者側の視点から見るといわゆる給料泥棒は会社の生産性を爆烈に下げている。単純作業の機械化によりその給料泥棒は仕事を奪われることになる。

時間とお金は定着している

与えられた時間をどのように過ごすかでそれは時にお金以上の価値を産む。握った千円を持って満喫に駆け込む人と本を買う人、旅に出る人、財布にしまって図書館へ向かう人、ジムへ行く人。どれも否定しているわけではなくどのように過ごすかは自分次第だということ。同じ時間を過ごすなら最大限、自分の成長のために使いたいと思うことが多い。

業務上の失敗を自分の痛みとして感じられないことは恥ずべき

新入社員であろうと任された仕事にはプライドと責任を持ち全力を尽くす。一年目だから失敗は多めに見てもらえることがあるかもしれないがそれが続くと自分も慣れてしまい「失敗して当然」のマインドがついてしまう。なぜ失敗したかを考え、実行できれば2度3度の失敗はありえない。

働くために遊ぶ

自分達世代は逆に「遊ぶために働く」らしい。遊ぶために嫌な仕事に週5日を過ごすというもの。それだと仕事にエネルギーが使えるわけがない。「働くために遊ぶ」はモチベーションを高めるのに最適で究極は「遊ぶように働く」。働くことが楽しくてしょうがないと思うレベルまで持っていく。そのためには目の前の仕事を好きになることは大前提。


働くということは生きることである

昔のような過重労働は技術の進歩によって大幅に改善され、いわば「楽をして稼ぐ」ことが以前よりも可能になった。だからこそ知恵を使わないと社会では上のレベルの人と戦えない。生きていく上で成長をするのと同じくして働く中でも成長できる。

やるべきこと

・入社した会社でまずは全力で働く

・会社以外で人生の目標設定をして社外でも全力を尽くす


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