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クリスマスに願いを込めて
世は気がづけばクリスマスイブ
聖なる夜に願いを込めて、なんて言えば耳障りが良い気がするけれども。実際のところはどうだろう。
私の勤務先はキリスト教主義であり、この前クリスマス礼拝なるものが行われた。
私はキリスト教というものに造詣が深いかといえばいささか疑問が残るが、出身大学はキリスト教系列であり、きっとそれなりにご縁はあるのだろう。
クリスマス礼拝では、いくつかの賛美歌を歌い、礼拝のメッセージを聞き、イエスの生涯について触れ、神が降りてくることに感謝をする。
去年赴任してから、ほほう、これは凄いと感動していた。
今年は去年ほどの驚きはないだろう、そう思っていた矢先、なんとそのクリスマス礼拝で涙してしまったのだ。
自分でもまさかとは思ったけれど。
いくつか歌う賛美歌のうちの一曲目。牧人羊を。
あの北海道お馴染みのコンビニ、セイコーマートのCMに使われている、ノーエル♪ノーエル♪ノーエル、ノーエル♪の曲である。
まさか涙を浮かべながらノーエルと歌う日が来るなんて、おおジーザス。
クリスマス礼拝にて、一区切りを迎える我が職場。朝から子どもたちを叱り付ける。やれやれ、最後の日ぐらい気持ちよく終わろうやと思っていたのに。
だけどきっとこれは私の指導力不足を如実に表しただけに過ぎないのだろう。チリも積もれば山となる如く、子どもたちの姿はある意味私の指導力による賜物なのだろう。とんだ贈り物を頂いた。
そんなこんなで迎えた礼拝。思いが伝わらない悔しさや、今年度受け入れてきた数々の不条理さなど、走馬灯のように思い起こされ、キリスト教徒ではない私ですら、”ああ神様、ありがとうございます。”と思わざるを得なかった。
暗闇の中に、一つの光としてやってきたイエス。
私のこれからの人生において、まだまだ続くであろう苦労困難。私はなかなかハードモードな人生を選んでこの地に降り立ったようだけれども、神様から一つ、二つと無敵アイテムが授けられた。それは私のパートナーや友人、尊敬できる同僚や師と崇める人、私を慕ってくれている子どもたちの存在である。
暗闇の中にあっても、星のように光り輝く私の無敵アイテムたち
キリスト教っぽく、彼らの存在に感謝して、美味しいケーキを食べるとする。今年も大変だったけれど、美味しいケーキが食べられるのはやはり何よりの幸せであると実感する。
最後に一つ願いごとをするのなら…
サンタさん、僕は彼女のお父さんとお母さんから”イエス”の言葉が欲しいです。
なーんて。
クリスマスの朝にその言葉がなくたって、少し遅れてでも良いから届いて欲しいものです。少しだけ待つことにします。