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落語家と考える、仕事がうまくいく「会話の力」──立川志の春 × 宇田川元一 × 森山和彦(前編)

経営学者の宇田川元一は、BNLが過去に行ったインタビューの中で、組織を変える力は「語り」の中からしか生まれないと言った。人と人とがともに何かにあたる時、そこにはおそらく、常に何かしらの対話がある。ビジネスネットワークを考えるうえで、ぼくらは「語り」について、もっと考えなければならない。

そこで今回は、落語家の立川志の春、CRAZY代表の森山和彦との3者鼎談という形で、「語り」がイノベーションにどのように寄与するかということについて、さらに掘り下げてもらった。語りのプロと、革新的な経営者と、気鋭の経営学者。3者による異色のイノベーショントークを、全3回にわたってお届けする。

ご存知の方からすれば、あらためて言うまでもないことだが、落語というものは基本的に、ほぼすべての内容が登場人物の会話によって成立している。そのことに、イノベーションにつながる重要なヒントが隠されているのではないかというところから、会話は始まった。

立川志の春
落語家 
立川志の輔の3番弟子。1976年大阪府生まれ、千葉県柏市育ち。米国イェール大学卒業後、三年半ほど三井物産の鉄鉱石部にて勤務。偶然通りがかって初めて観た落語に衝撃を受け、2002年10月に志の輔門下に入門。11年1月、二つ目昇進。日本語はもちろん、留学経験を活かした英語落語での公演も行う。著書に、『誰でも笑える英語落語』(新潮社)、『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか?落語に学ぶ仕事のヒント』(星海社新書)、『自分を壊す勇気』(クロスメディアパブリッシング)。

イノベーションと会話のプロセスは似ている

志の春 最近、落語についてあらためて考えるところがありまして。というのも、落語の中に出てくる会話って、どれもどうってことないんですよ。

例えば、はっつぁんが隠居さんのところに「鶴ってなんで鶴っていうんですか?」というようなことをわざわざ聞きに行く。すると、隠居さんはそれを知らないんですけど、ちょっと知ったかぶりをして適当な話をこしらえて、はっつぁんに伝えるんですよね。で、はっつぁんはそれを聞いて「すげえな」と言って、これはぜひ誰かに聞かせてやらなきゃというんで友だちのところへ行って、その話をしようとして失敗して、笑うっていう。

いまだったらネットかなんかで「鶴 なぜ?」とかって調べたら、たぶん一瞬で終わることを、わざわざ隠居さんのところへ聞きに行くというところから、ずーっと会話がつながっていく。誰か一人でも「鶴? そんなことどうでもいいじゃねえか」って言ってしまったらそれで終わりだし、隠居さんが「そんなこと私は知らないよ」って言っても終わり。でも、誰もその会話を切ろうとしない。それで、ダイレクトに知ろうとしたら3秒でわかるようなことを、わざわざ15分もかけて話すんですよ。もう完全に無駄なんですよね。

だから、落語って内容自体も面白いんですけど、全体を通して「会話って楽しいよね」って言ってるんじゃないのかな。いまの世の中はなんだか必要な会話ばかりがたくさんありますけど、それとはちょっと違うなっていう。

森山 落語自体が「会話は楽しい」ということを教えてくれていて、みんなでそのことを楽しむ、というような?

志の春 そうですね。落語はそもそもが会話でつないでいく形式でもあるので。会話の中身もそうなんですけど、登場人物たちが会話を続けている、切らないっていうのがいいんじゃないか、と。しかも、仮に嫌な奴がいたとしても、「あいつは嫌いだから話さない」っていうんじゃなくて、「あいつ本当に嫌な奴だから、ちょっと懲らしめてやろう」って言って、それでまた会話になる。排除はしないんですよね、嫌な奴だとは言いながらも。

宇田川元一
埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授 
1977年東京都生まれ。2000年立教大学経済学部卒業。02年同大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。06年明治大学大学院経営学研究科博士後期課程単位取得。 06年早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、07年長崎大学経済学部講師、准教授、10年西南学院大学商学部准教授を経て、16年より現職。 専門は、経営戦略論、組織論。 主に欧州を中心とするOrganization StudiesやCritical Management Studiesの領域で、ナラティヴ・アプローチを理論的な基盤として、イノベーティブで協働的な組織のあり方とその実践について研究を行っている。07年度経営学史学会賞(論文部門奨励賞)受賞。

宇田川 自分も最近、研究の中でよく言うんです。「イノベーションのプロセスは会話に似ている」って。その時に例に出すのが、落語の「薮入り」の話なんですよ。

志の春 えー。そうなんですか。

宇田川 ええ。「薮入り」がどういう話かというのは、本当はぼくが説明するより志の春さんに話していただいた方がいいんですけど(笑)、簡単に説明すると、丁稚奉公に出ていた息子さんが3年ぶりに実家に帰ってくるということで、久々に会う息子をどこに連れていってやろうかと考えて、お父さんが夜も眠れなくなるって話なんです。

最初は品川に行って海を見せてやろう、とか考えるんですけど、品川に行ったら、ついでに川崎にも行って大師様にお参りしよう、そうしたら横浜も、鎌倉も......とどんどんつながっていって、最終的には四国の金毘羅様まで、と妄想は膨らんでいく。

で、ここで何が大事なのかというと、品川に行かなければ、川崎に行こうとは思わないってことなんですよ。当然、川崎に行かなければ、横浜に行こうとも思わない。人間の思考は、最初から品川と川崎と横浜へ行って......というふうにはできていなくて、何かをやることで初めて、関係なかったものがつながっていくのです。

おそらくこれが会話のプロセスのものすごく大きな特徴で。これはミハイル・バフチンという哲学者が言っているのですが、われわれは発話している時、自分の意思を表現していると思いがちだけど、実際にはそうではない。発話というのは問いに対する応答である、と。

イノベーションのプロセスも同じで、まず何かやってみて、そのことによって問いに出会うというのが重要なことなんじゃないかなと思うんです。ロジックだけの世界だったら、その問いって出てこないんですよ。ずっと答え、答え、答え、答えで。

森山和彦
株式会社CRAZY代表取締役社長 
1982年生まれ。中央大学卒業後、人材コンサルティング会社に入社。経営コンサルタントとしてトップセールスを記録。6年間の勤務を経て独立し、2012年7月に株式会社CRAZYの前身であるUNITEDSTYLEを創業。主な事業は完全オーダーメイドコンセプトウェディングサービス「CRAZY WEDDING」。年間250件を超えるウェディング事業の経験を活かし、法人向けのクリエイティブサービス「CRAZY CREATIVE AGENCY」を開始。CRAZY社は今後数多くの事業立ち上げに挑戦し、最終的には2000社100万人の雇用を生み出すことを宣言している。

自己完結はイノベーションを遠ざける

森山 いまのお2人の話を聞いていて思ったのは、最近は自己完結することができる世界になってきているなってことです。そのことがぼくらをイノベーションから遠ざけているのかもしれないという仮説ですよね。

むかしは例えば魚が欲しいと思ったら、とりあえず志の春さんに聞いてみようってところから始まって、そうしたら何か思わぬ面白い話を聞けたりだとか、いろいろな予想外のことが起きて、魚を手に入れる以外にも、結果的にいろいろなものが得られた。でも、いまはネットでポーンと注文したりして自己完結できちゃうんで、魚だけしか手に入らないとも言える。自己完結したロジックだけで考えていったのでは、得られるものは少ないってことですよね。

宇田川 そうそう。おそらく、いろいろな発明っていうのは会話の中で生まれているのではないでしょうか。例えば、iPhoneの画面はなぜどんどん大きくなっていくのか。これは、iPhoneに対抗するためにグーグルがオープンなプラットフォームで「誰でもAndroidを作れます」と言って、いろいろなメーカーに作らせてしまったことが大きい。

そうすると、サムスンのGalaxyみたいな大きい画面のものも出てきて、「iPhoneはこのままでいいの?」って問いかけてくるわけです。だからそれに対してiPhone側も応答する。そういうプロセスを経て、次第に画面が大きくなっていく。大事な点は、決して、最初からそういう設計がなされているわけじゃないということです。

森山 アップルだけがイノベーションを起こしたわけではなくて、応答の中でそれが起こってるんじゃないかっていう視点ですよね。

宇田川 そうです。だから、会話をするっていうのは一見すると、すごく無駄なわけですよ。会話が展開される前の時点のロジックからしたら無駄。だけど、何かに出会うという意味では、ものすごく大事なことですよね。

見えないものを見せる会話の力

宇田川 そこでお聞きしたいのが、落語における「まくら」についてです。あるいは落語本編に入った後もそうなんですけど、お客さんの反応を見て、内容をアドリブで変えていくということを、どの程度やっているものでしょうか?

志の春 まくらをしゃべっている段階というのはまだ落語に入っていないので、お客さんとの間に壁はないわけですよね。だからお客さんと対話しているわけです。まあ声を出しているのはぼくだけかもしれないですけど、精神としては会話をしていて。こちらから投げかけた言葉があるとして、それに対して向こうから無言のリアクションを受けながら、また返していくって感じですよね。だから、まくらの間でも決まったことを投げかけているというのではなく、すごく変わっていきます。

落語本編に入ってからは、お客さんのリアクションによって「間」というものがすごく変わっていきます。というのも、落語にはだいたいここはウケるというウケどころのようなものがあって、その間をつないでいくわけですが、ウケどころで確実にウケるためには、その一つ前の台詞を言うことでお客さんの頭の中に絵が浮かぶ、ちょうどその瞬間を狙ってウケる台詞を言う必要があるんです。

ところが、これが一瞬早いと、絵がまだ浮かんでいないから笑いにはならないし、一瞬遅くても、今度は次を予想できてしまうから、また笑いにはならない。だから絵が浮かんだちょうどその瞬間に言う必要があるわけです。でも、その最適な間というのは会場によって違うし、お客さんの平均年齢によっても全然違うので、それをなんとなく感じながら、「いまだ!」というのでやっていく感じですよね。

森山 いま伺っていて、なんとなく落語が会話調であることの意味みたいなものが見えた気がするんですけど、それって経営とも似ているというか。説明調で、いわゆるロジックで話しているだけじゃ人は動かないってところがあるじゃないですか。経営者にはどうしてもロジックから入る人が多い傾向があるんで、落語から学べるところがすごくあるんじゃないか、と。落語が会話調を選ぶ理由、説明調でやった時との違いがなんなのかというのを、もう少し教えてもらってもいいですか?

志の春 これは多分、究極的には「落語とは何か」って話だと思うんですけど、落語って、こっちを向いては隠居さんをやり、逆を向いてははっつぁんをやり、というようにして会話する2人を演じているじゃないですか。その時、隠居さんを隠居さんらしく上手に演じられるっていうのは、それほど大事じゃないと思うんですよね。それはまあ誰にでもできるというか、一応は到達できるところなんですよ。じゃあお前は到達できているのか、って聞かれたら、まったく到達できていませんけどね。

隠居さんを演じている時に大事なのは、お客さんの頭の中にはっつぁんの絵が浮かぶことです。逆にはっつぁんを演じている時には、向こう側に隠居さんの絵が浮かぶことが大事なんですよ。見えている隠居さんがどれだけ上手でも、まあ見えているものの限界があると思うんです。でも、隠居さんがしゃべっている様子を見て、見えないはずのはっつぁんの姿がブワッと浮かんでくると、それは無限のイメージになるんですよね。見えないものが見えてきた方が、イメージが強力になるんです。

会話っておそらく、しゃべっている向こうにいる人が見えてきやすい形式なんじゃないかな。会話形式にすることによってイメージが膨らみ、そのことによってパワフルになるっていうことがあるんじゃないかと思うんですよね。

宇田川 それでひとつ思い出したのですが、1990年代に、アメリカの大企業でリエンジニアリングというのが流行った時期がありました。要は、いまやっている仕事をゼロベースで見直して、ロジカルに必要な部分だけを残して再設計すれば、その組織は効率的でイノベーティブになれるだろうっていう考え方です。それですごく礼賛されたんだけども、やった会社はことごとくダメになったんですよ。

なぜそんなことが起きたのか。ぼくの研究しているテーマのひとつに「組織におけるストーリーテリング」というものがあるのですが、その分野にこの問題を扱った研究がありまして。どういうことかというと、何かをやる時には、物語ることが大事だから、それを端折ってしまってはうまくいかないってことです。特に、まずは小噺をみんなで語ることが大事だ、と。だから似ているんですよ、落語と。

なぜ小噺が大事かというと、最初のストーリーって、要はどう接点をつくるかだと思うんです。みんなロジックだけで世界はできていると思いがちだけれど、そのロジック同士には接点がないんですよね。例えば医療の領域で言えば、お医者さんは医学の知識をもっていて、科学的な根拠をもっている。けれども、それだけでは患者さんの生活とは接点がないから、医学的には正しくても、その患者さんにとっては必ずしも正しいとは限らないんです。このように、立場が違う人同士の接点をつくるうえでは、やっぱり語ることが大事だと思います。

ぼくがこうしたストーリーテリングの話を授業でする時に、陥りがちな失敗パターンとして例に出すのが、自分の自慢話をしちゃうことです。そうではなくて、聞いている側の人が主人公になるような話をしてあげることが大事だ、と。そういう話をよくしていたんで、いまの志の春さんの話はすごく似ていて、聞いていてギョッとしたんですよ(笑)。

最近だと、Webサービスやプロダクトのユーザーエクスペリエンスをどうデザインするかという文脈でストーリーテリングがよく用いられるんですが、ここで言われるのも、サービスをデザインするうえでは、作り手側の都合を押し付けるのではなく、ユーザーにとって意味のあるストーリーをつくることがいかに大事かって話で。まくらなんですよ、まさに!

落語の「まくら」に接点づくりを学べ

森山 ビジネスの現場だと他にどういう時に、まくら、というか接点づくりのための対話を使う場合が多いですか?

宇田川 例えば、いろんなところで講演するとよく、「自分の上司がものをわかってくれない」というようなことを言う人がいるわけです。だけどぼくが思うのは、じゃあ逆にあなたは、上司のことをどれくらいわかっているんですか?ということです。

つまりこういう場合、両者はお互いに、違う世界の中で自分は正しいと思っている。どちらもその正しさはおおむね、ロジックでちゃんと説明ができるんですよ。だけど、そのようにしてどっちも正しいとなった時に、その間に接点がなかったら、いくら自分の側からロジックが正しくたって何も起きないんですよ。

噺家さんっていうのはおそらく、お客さんとのやりとりを通じてコンテクストを徐々につくっているんだと思うんです。そうやってコンテクストをつくったうえでネタのトリガーポイントのような部分が訪れるから、そこでボンって笑いが起こる。

きっとビジネスでも同じことで。組織の中で立場が違うということは、それぞれ違う現実を見ているということなんです。相手とはわかりあえないと思った時に、普通は「こっちが正しい」「いや、こっちが正しい」ってやりあってしまうけれど、実はどっちも正しくて。そこで、接点づくりとしての会話のプロセスがあることが大事になってくるわけです。

森山 ぼくは人事のコンサルティングが出身で、脳科学とか心理学が専門だったので、こういう話はめちゃくちゃ興味があって。それを生かして会社の経営をしているのですが、いまのコンテクストという言葉も、組織人事の用語としてよく使われるんですよ。

世の中の争いって、認識の問題から起きていると思うんです。視点が違うと、それぞれの中では正しい。だからこそお互いにぶつかってしまう。だとすると、お互いの視点を知ることができればいいわけですが、実際は難しいですよね。例えば男性のぼくが、女性である妻の視点に立つことは究極的にはできない。接点やまくらって、このように相手の視点には立てないことを認めたうえで、どのようにコンテクストを共有するかってことだと思うんです。

それをロジックだけでやってしまうと、対立構造になってしまいますよね。そうではなくて、ストーリーテリングとか、落語でいう「まくら」とかを使いながら、場や臨場感といったものを共有する。この作業が終わって初めて、お互いを理解し合えるようになるのだと思います。

志の春 そうそう。そこを合わせておかないと、どれだけ面白い話をしたって笑ってもらえないんですよ。「こいつ違うな」って思われていたら。落語本編に入ってからも、間を合わせたり、お客さんと呼吸を合わせたりして調整をはかるんですけど、その場でウケるかウケないかって、9割方はどの話を選択するかで決まってしまうんですよね。

落語家はそれを事前に決めていくということはやらないんで、その場に行って、ちょっとまくらを振りながら、お客さんの様子を見て、「よし、これでいこう」っていうのを決めていく。今日の客層はこういう感じだからってことで、事前にだいたい5つくらい用意しておいて、実際に話をしていくなかで、それを最終的に1つに絞っていくんです。

もしも通の方が今日はたくさんいそうだなという場合は、そういう人はもう腐るほど名人の芸を聞いているわけで、その中でわざわざ若手を聞きに来たということは、もしかしたらスタンダードなものよりも、新作とか、他の人があまりやらないような、ちょっとひねったものをやった方が喜ばれるかもしれない。

逆に初心者の方が多い場合は、落語ってちょっと難しいんじゃないかと思っていたりするので、「そう思ってるんでしょ。実はぼくもそうでした」ってところで共感をつくるところから入る。「予習してないけど大丈夫かな」とか「どこで声を出して笑ったらいいんだろうか」とか、結構気にしているらしいんですよね。だから「好きなように反応してくれればいいんですよ」と、そういうところを取っ払っておいて、まずはとっつきやすい、イメージしやすい話から入って、そのうえでイケるとなったら2席目で人情話とかをやれば、「ああ、こういうのもあるんだ」ということで受け入れてもらえたりもする。

でも、最初の選択をするにあたっての、お客さんがどういう方たちなのかなっていうのを選び間違えると、えらいことになるんですよね。もうどうやったって無理っていう。

森山 うちはイベントプロデュースとかもしている会社なので、ビジネスセミナーに関わることも多いのですが、ビジネスセミナーにおけるまくらのことを、「アイスブレイク」っていうんです。でも、あれを勘違いしている人が本当に多くって。「とりあえずゲームとか自己紹介とかやらせておけばいいんでしょう?」みたいな感じで捉えているんですよね。

志の春 それは、来ている人たちがちょっと仲良くなるように?

森山 そうです。ちょっと仲良くなるっていうためにしか使われないんで、会の趣旨と関係なく、分離して使っちゃうんですよ。本来はそうではなくて、そこに集まっている人たちの様子を見ながら、「今日はどうしようかな」というふうにやると、さっきお話いただいたようないろいろな可能性があるじゃないですか。

それをわかっていない人がやると、「とりあえず自己紹介してくださーい」とかってなるのですが、そこにはコンテクストが無いんです。しかも、自己紹介をしてつくった空気をまったく引用せずに、「それでは始めたいと思います。登壇者の先生、お願いいたします」となってしまう。それじゃあ、せっかくのいい話も、入りにくくなってしまうんですよ。先生が話して、生徒は聞くだけっていう、学校教育の悪い例のような感覚で、一体感に欠けるんです。ぼくらからすると、見ていてすごくもったいないなぁと思うのですが、実際にそういう会が多いです。

だから、この落語の話っていうのは、社員に向けて話す機会が多い経営者だったり、ビジネスセミナーをする人だったりにとって、すごく生かされる話だと思います。このメッセージ、そういう人に届くといいですよね。(中編に続く)

文/鈴木陸夫
撮影/小野田陽一
※この記事は、Sansan株式会社のオウンドメディア「BNL」に2017年7月18日に掲載された筆者執筆記事をサイト閉鎖に伴い転載したものです

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