これからの企業は「人間性」が問われる──松島倫明が語った世界の針路
Business Network Lab(BNL)が主催する「Eight Fireside Chat」は、各界の第一線で活躍するゲストを招き、これからのビジネスネットワークについて語るトークイベントだ。
BNLが行った前回のインタビューで松島は、60年代後半の高度資本主義社会に対するカウンターカルチャーに端を発した、「テクノロジーによって、人間が個として持っているパワーを十全に発揮できることこそが正義だという価値観」が、現在のシリコンバレーの企業にまで一気通貫で受け継がれていることに触れた。
さらには松島自身もまた、学生時代からそうした思想に強い影響を受けており、編集者として手がけた翻訳書の数々は、デジタルテクノロジーを扱った『FREE』や『SHARE』にしても、フィジカルなテーマを扱った『BORN TO RUN』や『GO WILD』にしても、「人間性回帰」の下に等価に並べられるものであると語った。
前回のインタビューが現在から60年代へと過去を遡るものだったとすれば、今回試みるのは、現在から続く未来を眺望することだ。松島は今回のイベントの中で、「デジタルテクノロジーによって社会がどうなっていくかの筋道はおおよそ見えてきた。いまもっともアツいテーマは再び、人間性の側にある」と語った。
松島の目には、社会はこの先どんな筋道を辿っていくと映っているのか。そこで再び人間性が問われるとはどういう意味か。これが今回のトークの主たるテーマである。
働く必要のない社会が本当にやってくる
働き方の未来はどうなるのか。会場からの質問でそう問いかけられた松島が取り上げた1冊が、ジェレミー・リフキンの『限界費用ゼロ社会』だった。
「『FREE』とか『SHARE』をやっていた時から思っていたことですが、非貨幣経済圏が広がっていくというのはもう見えていることのように思います。貨幣経済というのがお金を媒介に何かをやりとりすることだとすると、そうではなく、社会関係資本、信頼関係とか思いやりとかを媒介にしてつながっていく経済というものが、おそらくこれからどんどん広がっていくのではないでしょうか。
デジタルになるものは基本、コピーするコストがタダ。かつこれからは、AIのパワーもある種、無尽蔵に使えるようになっていく。そうしたら、データに置き換えられるものは原理的にはどんどん無料でできていきます。かつてはさすがに物理的なモノに関しては当てはまらないと思えたのですが、『MAKERS』が描いたように、いまやモノもデータにできてしまう。そうやって非貨幣経済が広がると、お金を稼げない代わりに、あまり使わなくてもいい社会がやってくるはずです。
ベーシックインカムが広がればなんとなく生活できるようになって、仕事は特殊な技能を持った人だけがやって、あとはAIやロボットがやるようになる。そういう社会が、ぼくらが生きている間に普通にくるのではないかと思います。そうすると、いままで仕事を生きがいにしていた人は、人間は何のために生きているのかとか、何にやりがいを感じるのかといったことを問われることになる。
稼ぐために働くという領域がますます減っていくわけですから、例えば『マインドフル・ワーク』でもマインドフルカンパニーのひとつとして取り上げられているパタゴニアの創始者・イヴォン・シュイナードがかねてから主張しているように、仕事というものの社会におけるレイヤーがひとつ上がって、社会を良くするとか、人のためになることをするとか、利他的なことをすることとして捉えなおさざるを得ない。人のために何かをするというのは、ものすごく脳が幸せを感じる行為であることが科学的に分かっていますが、そのことにどんどん気付いていく社会がやってくるのではないかと思います」
《強いシンギュラリティ》と《弱いシンギュラリティ》の間で
デジタルテクノロジーによってもたらされる未来は、レイ・カーツワイルが『シンギュラリティは近い』で書いた《強いシンギュラリティ》と、ケヴィン・ケリーが『〈インターネット〉の次に来るもの』の中で言う《弱いシンギュラリティ》の間のどこかに落ち着くだろう、と松島は言う。どういうことだろうか。
「いわゆる《シンギュラリティ》というのは、2045年に人工知能が人類を凌駕する時代がやってくる、その技術的特異点のことです。ある生物が自分より頭のいい生物なり知能なりを一度でも作れたら、作り出された知能はさらに頭のいい知能を作れることになる。そうすると、その瞬間から雪崩を打つように知能は上がっていくことになります。
そうなった時にその人工知能がぼくらを見ると、いまぼくらが蟻を見ているのと同じような、ちっぽけな存在として人間が見えるはず。そういう社会になるかもしれないというのが、ダークな意味でのシンギュラリティのシナリオです。
ただし、現在グーグルという世界最高の環境で人工知能の研究をしているカーツワイルは、本当にそういうダークな世の中になると思っているわけではありません。なぜ悲観的にならないで済むのかといえば、ぼくら人間には選択の余地があるからです。逆にいうと、どういう社会をつくりたいのか、どういうAIを周りに置いておきたいのかというのを、ぼくらの側が主体的に決めなければならない。
幸せとは何かを定義するのはなかなか難しいことですが、だからこそ、『ぼくらのウェルビーイングにどうテクノロジーを資するか』というのが、いまいちばん熱いテーマであるように思います」
キーワードはCompassion
かたやデジタルテクノロジーの最先端で人工知能研究に携わるカーツワイルと、東洋的思想に起源を持つマインドフルネスを西欧に広めるきっかけをつくった『JOY ON DEMAND』の著者、チャディー・メン・タンとが、同じグーグルに籍を置いたことは示唆に富んでいる。
「カーツワイルが人工知能を研究しているというのも、それが人間社会のためになると考えているからだと思います。グーグルがもともと取り組んでいた、人類の全知識を集めて検索できるようにするということにしてもそうですが、要するにやっていることは『個人が十全に能力を発揮するためのツールを作る』という意味では同じです。
一方で、チャディー・メン・タンがグーグルで『Search Inside Yourself』というマインドフルネスをベースにしたメソッドを開発したのは、もちろん、それによって社員が充足感を感じたり、集中力やクリエイティビティを発揮したりすることを目指したからだし、その方が会社としても業績につながるからいいわけです。
ただ、例えばチャディー・メン・タンが新著で言っているのは、瞑想を突き詰めていくと、単にストレスが減るとか集中力が高まるというだけでなく、自己のメタ認知の先に他人との関係性やさらには社会や世界とのつながりまでが見えてくる。Compassion(=共感力、思いやり)や利他の心、慈悲の心が養えることがいまや科学的にも分かっているのです。Compassionは、今年開催されたマインドフルネスの祭典『Wisdom 2.0』でもひとつのキーワードになっています」
「グーグルやフェイスブックといったグローバルなテクノロジー企業には、そうした思想がプロダクトやサービス設計のレベルでも組み込まれています。
彼らが作っているのはいわば世界規模のインフラなので、ユーザーに寄り添い、あらゆるレイヤーで共感を喚起するような設計思想がないとスケールしないし、長続きしないと分かっているんです。
例えばフェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグは、『人と人とをつなげることによって、世界平和を実現したい』みたいな発言をします。いち企業が世界平和を語るのは一見すると不思議に思えるけれど、昔は政府や地方自治体が道路や橋を作ることで隣村同士がつながるみたいなことがあったとすると、いま人をつなげるインフラを作っているのは、現実にシリコンバレーのいち私企業なんです。国がやることだとかつては思っていたことの相当程度を、いまや彼らがやっている。貧困撲滅のために何十億ドルを使ったりする。その意味では、彼らはすでに『パブリック』な存在であると言えるでしょう。
こういう現実に対して、『でもザッカーバーグは選挙で選ばれたわけじゃないのに』と言って批判する人がいる。じゃあトランプの方が良かったのか。民主主義で選ぶのが正解なの? という問いに、いまぼくらはまさに直面しているのだと思います。マインドフルネス的な価値観、あるいは『人間に資するテクノロジー』を標榜するシリコンバレーの思想は、もしかしたら国よりも大きくなって、ぼくらの生活に影響を与えていくようになるのではないかと思います。
テクノロジーはまるで進化の必然のように、これからもどんどん広がっていく。デジタルってそれこそ限界費用ゼロなんで、内発的なドライブが常にかかるわけです。そうすると後に残される問いは、テクノロジーがさらに広がった世界で、人間側は何を求めるのかということだけ。ぼくらは日々、そのことを問われているのかなと思います」