安心と信頼と菊地成孔
「相手が自分を搾取しようとする意図をもっていないという期待」
には2種類あって
相手が自分を搾取しようとすることが相手自身にとっての不利益になるからそうしないだろうという期待は「安心」(assurance)。
相手の人格や相手が自分に対してもつ感情についての評価」にもとづく期待は「信頼」(trust)。
『信頼の構造』(山岸俊男)より
てなことを考えていたら、悪意とはなんなのかが気になってくる。
悪意は支配に抵抗するし、悪意は損得を超えて未来を予測不能にする。悪意を潰すために法が生まれて、悪意には罰がくだされて、悪意ある人は罪人となる。
理性っていうのは、時に自分自身の存在証明に邪魔になったり、組織の合理性においては個人の悪意に到達する理性は不合理になる。理性と悪意と社会はセットにされている。これを分離する考察はまたやってみよう。
外交や政治は悪意なしでは運用できない。だからシンドイのだけれども、悪意ということが何か少しづつわかってくると、悪意に罪も罰も与えずに済ますことができるようになる。
そんな構造は狂っているのかもしれないが、それが今日の心境。
悪意で思い出したのは歌舞伎の色悪(いろあく)。外見は二枚目でも、女性を裏切ったり殺人などの悪事を働く冷血な役柄で、江戸時代後期に形式化された敵役。
そして、菊地成孔の色悪を聴きながら寝る。音楽というのはいいね。簡単に情動を動かす。
https://youtu.be/HWkrAvtmmyI?si=GMDHypZ7co5UopCJ