アツコ

プロの心理カウンセラーを目指して訓練中です。 プリンは固め、ごはんは白米、ドリンクはコ…

アツコ

プロの心理カウンセラーを目指して訓練中です。 プリンは固め、ごはんは白米、ドリンクはコーヒー派です。 好きな言葉「なかよし」「うれしい」「おいしい」。 人生を変えた言葉「人生は生きるに値する」浅利慶太さんの言葉。 ミュージカルを愛し、歌を歌います。 エゴまみれです笑

最近の記事

自分軸考

穏やかな気持ちというのを欲しているけれど 一方で競争したり打ち負かしたり、「くそぉー!」って地団駄踏んだり そんな気持ちもたまには欲しいの。 後者はちゃんと自分に与え続けてこれたから、ある意味これもご自愛。 前者をもっと楽しんでいいのだ。 どっちも楽しんでいいのだ。 割合や頻度は自分が決めていいのだ。 被害者意識も加害者意識も 好きなだけ楽しんでいいのだ。 たいせつなのは 自分の意思で「ポイ」できること。 自分の意思で「いる」ってつかめること。

    • 枠はどうしたら広がるのか(実験前)

      枠を広げるって どうやってやるんだろう。 心理学的にいえば、枠があるということは、制限があるということ。 制限があるということは、禁止していることがあるということ。 何で禁止しちゃったのかというのを遡って堀っていくと… というのがまぁ一般的なのかもしれないけど 私は遡って掘っていくのがあまり興味ない。 うーん これいつも迷うんだけど 「認知できない感覚」というのは、認知できないんだから「これが認知できてません」ていうのも自分からは出て来ないんだよね。 こういうと

      • やらなきゃいけないことがたくさんあっってイヤになったから、やらないと決めてみたら案外いい結果になった

        やらなきゃいけないことがたくさんあって。やりたいこともたくさんあって。このままスケジュールを詰め込んでいったら、飽きちゃうなぁとおもいました。 なので私がとった行動は 全部、パス 寝るわ、とりあえず これを徹底してやりました。てかそういう流れになりました。 やらなきゃいけないことも、やりたいことも、とりあえず全パス。 必要最低限のことにエネルギーを注いであとはひたすら寝た(笑) 必要:生きていくためのお金をかせぐ=出勤をする、ゴミ出しをする やりたい:心理学とカウ

        • やらなきゃいけないことがたくさんある

          タイトルのとおり。 やらなきゃいけないことがたくさんあって。 その上にやりたいことを積み重ねていって。 やりたいことをやるためにやらなきゃいけないことがたくさんあって。 やりたいことといってもほんの些細なこと。 毎日内観したことをノートに書く 好きな飲み物を作ってほぉっとする 好きな本を読む とか。 そんなことも今出来ないくらい時間に追われている。 時間の使い方、変えよう~

        自分軸考

        • 枠はどうしたら広がるのか(実験前)

        • やらなきゃいけないことがたくさんあっってイヤになったから、やらないと決めてみたら案外いい結果になった

        • やらなきゃいけないことがたくさんある

          思考や一般論に助けられたはなし。

          心理学を学んで1年とか1年半とか経ったときから いきなりエゴが最大級になった。自分攻めマックスになってしまった。 責める、じゃないのよ。「攻撃の『攻め』」 ある日、究極的に悲しいことがあってふと空を見上げたら 空がニヤリと笑った。恐ろしくて震えた。エゴに本気で殺されると思った! それからもう、これは何とかしなきゃって考えて採用したのが 敢えて頭で考える。 心理学では「思考を止めてみよう」とかいうけれど。でも、 思考(エゴ)が私の心を占拠しちまったのなら、思考で奪い返す

          思考や一般論に助けられたはなし。

          なにもない

          こんにちは。 最近投稿していませんでした。 書きたいことは、ひとつふたつ常にあるんですけど、書けるだけの考察がなにもなくって。 何を書いてもすっごい中途半端だなと思って。 でた。完璧主義。 これまでの投稿も、全然体系だってないし、別に完璧でもなんでもないんだけど。 最近気づきが多いので、また何かピーンときたら書いてみようと思います。

          なにもない

          悲劇には向かっていない。

          すこしの不安。 すこしのモヤモヤ。 すこしの退屈。 そのたんびにエゴはこう囁く。 悲劇に向かっているよ。 そしてどんどん空想の中の悲劇を あたかも実体験しているかのように 感情が動いていってしまい 毎日が悲しくて寂しい。 そんなパターンから脱却したくて 最近はエゴの囁きの後に 「そんなはずがあるまい」という言葉を付け足している。 さらには 「何も変わっていない。  これから証明する出来事が起きるから、待っててね」 と自分に声掛けを行う。 結果? もちろん 何も変

          悲劇には向かっていない。

          ずっと欲しかったもの

          今日は、湿気も少なくて、カラッと晴れていて 吹いてくる風がすこし涼しくて でも蝉も泣いていて 空がすこーし高くなっていて うれしい。 何でだかわからないのだけど 涙が出てくる。 うれしくて。 すごくとてつもない安心感に包まれて あー、今、私は季節の移り変わりを 五感全部使って味わっている。 味わうことを、生まれて初めて許可出来た。 それが、とってもうれしい。 ずっと手に入れたかったものが 今、ここに ぜんぶあるよ。

          ずっと欲しかったもの

          「そこ、わかるんだ」までいきたい。

          自分が知覚出来る範囲が、自分の世界の範囲。 当たり前っちゃ当たり前なんだけど。 クライアントさんの話の字面だけを追っていくのもひとつの手法。 自分の感覚をどんどん果てしなく広げていくことで クライアントさんの見ている「世界」を共有することもひとつの手法。 私は欲張りなので、どちらも出来るようになりたい。 私にはまだまだ知らない感情や深さ 知らない世界、知らない常識… 知らないことがたっくさんある。 いろんな人にあって、自分の感覚でめいっぱい味わって どんどん自分

          「そこ、わかるんだ」までいきたい。

          毒のままでいい(罪悪感のこと)

          なんとなく、誰か必要としている方がいるんじゃないかと思って、 シェアします。 昨日、とある講座でグループのみんなとお話していて 罪悪感(私は毒だ、という考え方)からの 親密感への恐れ(近づけない)についての話題になった。 (私には毒があるから、大切な人には近づいてはいけない、という罪悪感の呪いのようなものね。結構このパターンてあるあるなのよね。) そこでいただいた言葉。 罪悪感はなくしていこうというのが本来の筋なのかもしれない。けど アツコさんは、罪悪感は持った

          毒のままでいい(罪悪感のこと)

          過去を向いたままの方が安心な時もある

          一時期、学びや癒しを進めていく中で 「そうか、この過去のせいで私は今こんな問題を抱えているんだ」 ってところに落ち着いたことがある。 何かをしようと思っても 後ろ向きな気持ちになってしまったとき 「だって私はあの過去のせいで傷があるんだもん」 これを相当な間【やらない言い訳】にしていた。 つまりは、サボる理由に使いまくっていたのである。 これは、1つのモノの見方。 もう1つは、サボる言い訳に使っていながらも ・前へ進むエネルギーを充電していたのかもしれない ・当

          過去を向いたままの方が安心な時もある

          今のわたしにできること。

          ワークショップに参加して。 現実が変わらないんだ、という叫びがあちこちで聞こえた。 頑張っても頑張っても、現実が変わらないって、あまりにも残酷だ。 痛むよね・・・。痛いんだ。わたしも。 でも心理学では「自分自身の世界は自分が創ることができる」と習う。 だったら みんなが笑っていられる、しあわせでいられる、欲しいものを手に出来る そんな世界を私は創りたい。 私が世界を創れるのであれば、それは可能なはずだ。 私の世界の中にいてくれる人みんなが、私の世界では笑っている。

          今のわたしにできること。