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#38 兼業生活「わたしのちっちゃい関心ごとを、社会にひらく」〜丸山里美さんのお話(1)

社会学者・丸山里美さんのご著書『女性ホームレスとして生きる(増補新装版)――貧困と排除の社会学』(世界思想社)を読んだとき、貧困研究の本でありながら、自分が日々もやもやしている“違和感”につながることが書いてあると思い、とても驚きました。

著者は女性ホームレスの生活史を聞き取るなかで、自分の意志よりも周囲との関係性を優先し、状況に依存しながら行き当たりばったりの選択を繰り返して野宿に至った、女性たちの状況に気がつきます。彼女たちの語りは一貫性に欠け、矛盾も多い。それは、従来の「自立した主体」を前提としたホームレス研究の枠組みに収まらないものでした。

この語りをどう受け止めるか。迷った著者がフェミニズムの理論に出会い、ホームレス研究全体がはらむ排除の問題に切り込んでいくさまは、刺激に満ち、感動的です。

この本は、野宿者の中でもさらに数が少ない女性という、社会の周縁にいる人びとを調査しています。反転させるとそれは、光と影の関係のように、社会の真ん中で働く人びとの姿をあぶり出すように見えました。ビジネスの世界では往々にして、合理的な選択を行う自立した人間像が好まれます。他者への配慮を優先し、一貫性のない行動をとっていたら、会社から「ダメなやつ」と評価されてしまう。ビジネスで成功するには強い主体を内在化しなければならず、矛盾や迷いは“厄介もの”にされがちです。

例えば、管理職への昇進を打診されて「同期との関係性が心配」「残業が増えると家族に迷惑がかかる」と迷ったら、上司はどう反応するでしょうか?大規模開発のプロジェクトに入った若者が「環境を壊したり、地元住民の愛着ある風景を失ったりするから反対です」と発言したら?養育する子どもの体が弱くて休みがちな契約社員は、次の契約を更新されないかもしれません。そもそも自立した人間像というのは、子育てや家事労働を担う協力者の存在があって初めて可能になるのに、家庭を顧みることは(最近は制度が整ってきたとはいえ)日本では長い間「仕事に差し支える」とされてきました。

そんな違和感について考えるヒントが、この本に出てくるフェミニズムの理論にあると知って、目をひらかれる思いでした。また、今回のインタビューで参考にした『質的社会調査の方法 他社の合理性の理解社会学』(有斐閣ストゥディア)も、すばらしい本です。

この本の丸山さんの執筆箇所はライターという仕事にとっても学ぶところが大きく、今回のインタビューも、お話を伺いながら背中を押される気持ちでした(全4回のお話です)。

(プロフィール)
まるやま・さとみ●1976年生まれ。京都大学大学院文学研究科准教授。京都大学文学博士。専門は、社会学、ジェンダー研究、貧困研究。主な著書に『貧困問題の新地平――〈もやい〉の相談活動の軌跡』(編著、旬報社)、『質的社会調査の方法――他者の合理性の理解社会学』(共著、有斐閣)、『女性ホームレスとして生きる(増補新装版)――貧困と排除の社会学』(単著、世界思想社)など。

うじうじしながら始まった、聞き取り調査

室谷 ご著書『女性ホームレスとして生きる(増補新装版)ーー貧困と排除の社会学』の「はじめに」では、丸山先生がホームレス女性の生活史を聞き取っていくなかで、彼女たちの迷いや矛盾の多い語りを合理的に理解することができず、悩む様子が出てきます。

「女性たちが野宿生活にいたるまでの理解しやすいストーリーを組み立てること、女性ホームレスというひとつの集団として共通点を指摘すること、社会構造の犠牲者なのか主体的に自らの生を生きているのかを判断することは、難しいように思われた。

『女性ホームレスとして生きる(増補新装版)ーー貧困と排除の社会学』「はじめに」ⅴより

研究者によっては、断片的な語りをむりやりわかりやすいストーリーに当てはめようとする人もいると思いますが、丸山先生はそれができなかった。そこから「むしろ、そのように理解したいと考える私自身に問題があるのではないか」と発想を変えていきます。まずは、このあたりのことを聞かせていただけますか。

丸山 「はじめに」は後から振り返って書いたもので、そんなふうに考えるようになったのは、研究のかなり後の方になってからのことです。私がこの調査を始めた2002年当時は、女性ホームレスに関する文献がほとんどありませんでした。先行のホームレス研究は男性が前提になっていて、女性の実態はまるでわからない。女性ホームレスは全体の3%ほどと極端に数が少ないこともあり、最初は男性が前提になった研究にも特に違和感があったわけではなく、「そういうものか」と思っていました。

主な調査には、約6年を費やしました。その間に女性たちの生活史を聞き取り、同時にフェミニズムを勉強していくなかで、少しずつ先行研究が男性中心であることを「おかしい」と思うようになっていったというのが実情です。

そもそも私が女性ホームレスの方々の生活史に関心をもったのは、学部生時代に釜ヶ崎で行った調査活動がきっかけでした。卒論のテーマとして釜ヶ崎の炊き出しボランティアを選び、何度も足を運んで聞き取り調査を行いました。あんなに男性の多い街に楽しく通えていたのだから、もともとはジェンダーへの意識が薄かったんですね。

ところが卒論の終了間際、調査を通じて親しくなった日雇い労働者の方からラブレターをもらいます。すぐにお断りしましたが、行き違いも重なり、彼は私を「殺してやる」と言うようになった。炊き出しの主催団体に相談すれば、彼が家も仕事も失ってたどり着いた街での生活を壊してしまうかもしれない。どうしようもなくなり、おそるおそる釜ヶ崎に行ってお世話になった人たちに書き上げた論文を見せ、逃げるように調査地を去りました。

その後しばらく、男性の大きな声が聞こえると、彼が来たのではないかと体が震えるようになりました。初めてジェンダーを意識し、「自分が女性である」ことについて深く考えさせられました。同時に、ときどき炊き出しの列に女性ホームレスの方が並んでいたことを思い出したんです。トラブルに巻き込まれても、彼女たちには帰る家もないし、逃げる場所もない。一体どうやって生活しているのか、人生の先輩として彼女たちのお話を聞きたいと思うようになりました。

そこでお話を聞ける女性ホームレスの方を探してまわったのですが、お話を聞けるようになるまでの心理的なハードルがすごく高かった。そのとき私は大学院の試験にも落ちて浪人中で、初めての調査にも挫折してしまったと思っていた。いま思えば「殺してやる」と言った彼の行為はジェンダーの構造的な問題があったと理解できるのですが、当時は自分の調査やふるまいに問題があったのだと考えてしまいました。「一度失敗したのに」「調査能力がない自分なんかが、お話を聞かせてもらっていいんだろうか」と、すごくうじうじしていたんですよね。

それでもなんとかお話を聞いていくと、彼女たちもすごく迷ったり、決められなかったりしている。いま思うと、そのときの自分の心境とそのことがすごくマッチしたというか。こういう心境は、私だけのことじゃなくて、多くの女性たちも同じような経験をしているのかもしれないと思い、自分や彼女たちの身に起きたことを女性性の問題として捉えるようになったんです。

室谷 先生は、女性たちの矛盾や迷いを従来の研究の枠組みに当てはめることで、「なかったこと」にしたくなかったのでしょうか。

丸山 当時のホームレス研究は、ホームレスを「無気力者」「更正すべき怠け者」と見なす社会に対して、「ホームレスだって働いている」「主体性をもって社会に抵抗している」という主張がよくなされていました。私が女性ホームレスの調査について指導教員に相談すると、すぐにそのストーリーに乗せて、「マイノリティの抵抗」という枠組みで語ろうとするんです。そのたびに「それは違うんじゃないか」と思っていました。

女性ホームレスには働いていない人が多いし、抵抗といえるような明確な意志を持っている人も少ないように見えました。私は「マイノリティの抵抗」というわかりやすいストーリーよりも、そこからこぼれ落ちていくものが気になったんだと思います。一方で、女性たちのなかにも、いわゆる「強いタイプ」が少数ですがいました。自分の意志が明確で、ぶれない方が。

室谷 この本に出てくる、ミドリさんとか。

丸山 そうそう。本に載せていない女性にも、わずかにそういう方がいます。私は結局、女性ホームレスを既存の枠組みに閉じ込めたくないと考えながらも、強いタイプの女性については理論的な部分で排除する形でまとめて語っちゃってる。その反省点はあります。

でもそれは当時の私に、女性の存在が排除された従来の研究を問題にしたいという動機があったからなんですね。もちろん、強くないタイプの女性が圧倒的多数を占めていたという現実もある。何より、その本にも出てくる「ケアの倫理」という考え方、関係性のなかで迷ったり流されたりする女性たちのありように対して、自分自身が深く共感したからだと思うんです。

(つづきます→女性ホームレスの語りを、理論で読み解く

※写真はすべてこのインタビューに出てくる写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです

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