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#34兼業生活「人と関わる仕事は、死ぬまで勉強だ」〜姜 由紀さんのお話(4)

背景を知っているから、できること

室谷 鄭さんがCIDPという難病であることが確定したとき、姜さんが「箔がついてよかったね」と言ったという話に、心底びっくりしたんです。発想を転換させる力というか、深刻な危機でそんな言葉が出るのってどんな人だろうと思いました。

 言っておきますが、相手がこの人だから出た言葉ですよ。彼がどういう性格でどんな人生を歩んできたか、どんな言葉をかければ奮い立つかを知っているから。「大変だね」「かわいそう」「私がやるから大丈夫だよ」と言って元気が出る人じゃない。どんな言葉なら違う気持ちにシフトするかな?と考えて、そういうことを言うんです。苦しんでいる患者さんに「箔がついたね」なんて、ふつうは絶対に言えません。

 そりゃそうだよね(笑)。

室谷 家族もそうだし、看護の関係でも、背景を知っていて初めてできることってあるかもしれないですね。

 人間ってものすごく複雑で、一人一人違う。看護の世界では「個別性」と呼びますが、同じ看護でも、喜ぶ人とそうでない人がいます。こんなことを言ったらふつうは怒るだろうと言うことも、相手によっては奮い立つこともある。それは相手をよく知らないとできないことですね。

実際には、看護の世界で個別性を実践するのは簡単ではありません。特にいまは医療がどんどんスピード重視になっていて、患者さんとじっくり関わって相手を知るのが難しくなっています。最近の仕事の悩みは、そこかな。昔みたいに患者さんと関係性をつくる前に、どんどん流れていく。

やっぱりいまの時代、医療の現場にもスピード重視、ビジネスライクな思考というのが入ってきています。国が医療費抑制のために診療報酬をマイナス改定にするなど、厳しい施策を行う中で、経営難に陥る病院が増えていますから。

病院としては、経営を続けるために、必死に診療報酬のポイントを稼がなくてはいけません。患者さんの数を増やすためにスピード重視になる中で、看護師はじっくり患者さんと向き合う時間がなくなっていく。同時に看護師のやりがいも減り、疲弊してしまう――。

私は管理職になって11年経ちますが、いまの悩みは、まさにここ。経営を成り立たせることと、現場のやりがいや働きやすさ、より良い看護を追求することのバランスをどう取るか。そこに力を注ぐのが管理職のやりがいだと思いつつ、板挟みになり、難しく感じることが増えていますね。

室谷 お金や組織が絡むと、個人がシンプルに「こっちがいい」と思うことを、実行できなかったりしますよね。このnoteを始めたきっけの1つとして、その問題を考えたいというのもあるんです。

 根本をたどると、国の政策にいきつくのではないでしょうか。大きな方針を決められると、個人の力ではなかなか太刀打ちできない。本当に大切だと思うことを素直に実行できない。私が働き始めた時代に比べて、現場の自由度がどんどん失われていて、息苦しく感じることもあります。

室谷 鄭さんの取材時に、姜さんが看護について「人と関わる仕事は死ぬまで勉強だ」と言ったというエピソードを知りました。とても強くて、好きな言葉です。

 それは私の実体験で、大学時代からずっと、看護の勉強は面白い。人間のことだから終わりがなくて、いくらでもわからないことが出てきます。知りたいことが尽きないから、それこそ「一生勉強」だと思う。

 結婚して一緒に暮らし始めてびっくりしたのが、彼女は仕事をしながらも、毎日帰宅してから勉強するんですよ。上の子が小さいときに、両親が帰宅したら「お母さんはこっち(机のある部屋)、お父さんはこっち(台所)」と指を差すんです。つまりそれは、お母さんは勉強して、お父さんが料理しなさいということ。子どもにそう見えるくらい、いつも机の前にいた。

室谷 看護の仕事を続けてよかったと思うことはありますか。

 そうですね。自分が目指したところにはまだたどりつけてないですけど……全力で頑張ってきたというのは、間違いないかな。

最初の話につながりますが、私は朝鮮学校を卒業するときにいろんな制約があることを知り、悔しさをバネにがんばってきました。そしていま、誰が見ても日本人じゃないとわかる名前で、管理職として働いています。これまでずっとがんばってきたことが、見知らぬ誰かの道をひらく力になっているかもしれない。それは、よかったことの1つですね。

振り返ると不思議で、自分が選んできたのか、導かれてきたのか、よくわからないんです。はっきりしているのは、子育ての過程で保育士さんやほかのお父さん、お母さんたちと関わったことが、看護の仕事に生きているということ。

そこで学んだのは、誰かが一方的にケアするのではなく、保育士と保護者みんなが子どもを媒介にして育ち合うということです。そのためには、関わる人間がトラブルも含めてたくさん言葉を交わし、お互いを知ることが欠かせません。これはそのまま、看護に当てはまることだと思います。

子育てのために必要だった保育が看護の仕事に生き、いまも迷ったときの道しるべになっている。そういう意味で、私にとって仕事と生活の境界線はないのかな……。全部、人間との関わりですものね。

(取材を終えて)
ケアの仕事には、つい「かいがいしくサポートする」補佐的なイメージを持ってしまいがちです(私はそうでした)。でも姜さんのお話を伺って、看護は生身の人間と向き合い、その背景を知り、最善の道を探っていくという、主体的で面白い仕事なのだと思いました。ただ、おそらく大きな病院ほど、本来のやりがいを感じづらくなっている。その歯がゆさも含め、聞けてよかったです。

人と関わるのは、怖いことです。少なくとも私はそんなに得意ではありません。相手から否定されたり、自分のダメさを思い知ったりするのをつい避けようとしてしまう。今回のインタビューでも、在日の方の立場や状況について自分の無知さを思い知り、恥ずかしかった。でも、そんなことで立ち止まっていたら、自己開示も相手への理解も進まない。そして人間の面白さも、ともに生きる豊かさもちっとも味わえないじゃないか。そんなことを教えてもらったインタビューでした。

(この回はこれで終わりです)

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです

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