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できそこない添乗員時代の話
雇われて働かないことを選んで生きている今の私も、かつて色んな職場を経験した。
いつもここにはない何かを探してたので、転職回数が多い。多すぎる。
そんな私を見て、人にも仕事にも慣れるの大変やのにそんなにも転職するのスゴイと時々言う人がいた。私にしたら、ひとつの職場で長く勤められるその人たちの方がよっぽどスゴイと思ってた。
そんな続かない私が、やっぱり続かなかった添乗員時代の話をしようと思う。4ヶ月という短さだった。
たしか、26歳やったかな。すでに何度かの転職を経験してた私が次に選んだのは添乗員だった。
海外に行ける!という安易な動機からだった。
添乗員の派遣会社に仕事が決まった。
海外に行けると思ってた期待はすぐに崩れた。
まずは、国内旅行で経験を積むらしい。
派遣添乗員というのは、その日によって、派遣される旅行会社が違う。その時々でその旅行会社の添乗員を名乗る。ある時はJ○B、ある時は日本○行などである。
仕事はものすごくハードだった。
休みは月に一回あったかな?というぐらいに。
休日の日数のことだけではなく、仕事内容自体が私にとっては超ハードだった。全く向いてなかった。
添乗員になったら旅行気分を味わえるなんて浅はかな思い込みやったなーと自分が添乗員になってみてすぐにわかった。
添乗員とは、旅行する人たちのお世話係である。
放任主義の家庭で育った私は、人に対しても放任が基本だ。なのでお世話の仕方がわからない。しかも、相手は何十人といるのだ。私一人で…。あわわわわーーームリーーーーー笑。神経がすり減った。
仕事は、旅行に行く前日より前から始まっている。前の日には、派遣会社に行程表やら色々必要なものを取りに行くのと共に、宿泊先やら立ち寄る場所などに確認の電話を入れなければならなかった。家に帰ると、バスの座席表を作ったり、行き先のことを調べたり、なんだかんだとやることが多く、死にそうだった笑。
出発当日は、寝坊なんて絶対できない。緊張しまくりである。
ちょっともう覚えてないけど、集合場所に行ったらまずバスの運転手さんとガイドさんに挨拶とかして、お客さんを迎えるとゆう段取りだったんだろうか?
そしてバスがいざ出発!
するとまもなくお客さんへの挨拶タイムが待っている。またまた緊張の時間だ。
緊張のあまり、マイク(バスのマイクは四角くて向きがあるやつ)を逆にもち、挨拶をし始め、お客さんにつっこまれたこともある。
挨拶が終わっても、のんきになんてしてられない。立ち寄り場所各所に、これから行くことを伝える電話を入れねばならぬ。この人たちの全てが私にかかってると思うと、終始緊張して心ここにあらずだった。
そんな私にある日、今でも忘れられぬとんでもハプニングが起きた。
それは、和歌山への泊まりのバスツアーだった。
そのツアーは集合場所が何ヵ所かあり、順番にお客さんをひらっていくというものであった。
ある集合場所で、すでに別の場所から乗ってきていたお客さんがトイレに行きたいということで、私がその場所のお客さんを迎えてる間に行ってもらうことにした。
お客さんが全員席に着き、私は車内の人数を確認し、バスの運転手さんに出発してくださいとお願いする。
少し走ったところで、赤信号でバスが止まった。
どんどんどんどん!!!
バスの入り口のドアを外から叩く女性がいる。
バスの運転手さんがドアを開けると、「あんた殺生やわ!!」と息を切らした年配の女性が二人。
ぎゃぎゃぎゃおーーーー!!!(心の声)
さっきの場所でトイレに行きはった二人やん!!
私…人数確認してたはずやのに…。
あれ?あれあれれーーー??!!!
どうやら、座席にあったバッグかなにか持ち物を人数としてカウントしたらしい。らしい?!笑
ヤヤヤバいーーーーー!!!
めちゃ怒ってはるーーー。
そりゃそうや笑。
殺生という言葉はこうゆうときに使うんだな。
後にも先にも殺生という言葉を投げかけられたのはこのときだけだろう。すごく記憶に残っている笑。
そのお客さん二人が座席に座り、私は平謝りして、とりあえず出発するも、車内に不穏な空気が流れている。置いていかれた二人だけでなく、お客さん全員が、いや運転手さん、ガイドさんもみんながみんな、この添乗員…だいじょぶか……とそんな空気が車内を覆い尽くしていた。
そらそうだろう笑笑。
それでも私はラッキーだった。
なにがって、たまたま運良くバスが赤信号で止まったってこと。
これがもし…もしも……と思うと、恐ろしすぎる。神さまは私を見捨てなかったーーー笑。
バスが土産物屋かどこかに立ち寄ったタイミングで、私は勤務する派遣会社に電話をした。ツアー中に不測の事態が起きたら、連絡をすることになっている。宿泊先に着いたら、1,000円位のものを何か買ってお詫びの気持ちとして渡すように指示された。
ホテルに着き、お客さんが部屋に入ってから、ホテルにある土産物屋にお詫びの品を探しに行った。今となっては何を渡したのか記憶にないが、夕食会場入り口でお客さんを迎えるときに再度謝罪すると共にお詫びの品を渡した。
ツアー中、置いていってしまったお客さんには、他のお客さん以上にやっぱり気を遣った。なんとしても楽しい気分で帰ってもらわねばー!
ツアーの最後には毎回お客さんにアンケートを記入してもらう。もちろんその中には添乗員の評価もあるんだが、そのお客さんたちの評価はなんとか普通までもってこれてホッとしたことを覚えている。
私がこのときのことを忘れられないように、このお客さんたちにもきっと忘れられぬ思い出となっているに違いない。
いつしか私はこの日のことをネタにさえするようになってしまった。
こんな風に私は、人数確認という基本的なことさえろくにできないのだ。
その後もまた、奇しくも和歌山にて、やっちまったことがありましたー笑。
でも神さまの存在により、無事に!なんとか生還。そんな話もまたできたらいいなーとおもとります。
バスツアーでは長野や富山、富士登山にも行ったことがあります。
住込みバイトをしていた上高地も初めて訪れたのは添乗員のときでした。
四国も多かったかなー。
一度、飛行機でのツアーもありました。
チケットないないーーーって空港で青ざめたのをこれまた今でも覚えてます。ちゃんとありました笑。このときは青森と山形やったかなー。恐山に行ったのも懐かしい思い出。こんなときじゃないときっと行かん笑。
毎日寝るのが数時間という添乗員生活。さらに休みなし。あるときは、家に帰れぬまま次のツアーへ出る。
ついに身体に異常が!
その日も家にいったん帰るとゆうこともできぬまま、次の日のツアーのために神戸のホテルに宿泊。夜中目覚めると、ベッドが波打ち、自分も波打ち、部屋の壁も波打ってるーーー。
今でもあれはなんやってんろーと思うけど、もう身体が限界なんやと思い、添乗員を辞めることにしました。
たったの4ヶ月とは思えぬ濃い日々でした。
めちゃくちゃ長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます!
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