「もっと食べなあかんで!」 食べないといけないのは私ではない、息子だ。彼が所属する少年野球チームの指導者にアドバイスをもらうたびに、わたしは小さなバツを自分につけられている気持ちになっていた。 野球をしている彼にとって、今のほっそりした体型が課題のひとつであることは明らかだ。それでも、どうして本人でもないわたしがバツをつけられた気持ちになるのか。指導者たちは純粋に息子のことを思って言ってくれていることもわかっている。指導者のみなさんには感謝しかない。なのに、なぜ。
子どもの頃、読書感想文は毎年、賞をもらっていた。自分が感じたことではなく、大人が喜びそうなことを書いていたから。「大人って単純だな」と思いながらも、その単純な大人から表彰されることはまんざらでもなかった。 同じシチュエーションで「何を書けば大人が喜ぶかはわかるからこそ、絶対に書かなかった」のが伊皿子りり子さん。 私のライティングの師匠であるさとゆみさんや、読書の師匠だと勝手に思っている近藤康太郎さんの書籍を複数担当されている編集者さんだ。 「ああ、違いはここか」 昨夜、ス
「球場へ行く」なのか、それとも「球場に行く」なのか。 「野球が好き」なのか、それとも「野球を好き」なのか。 「私が叫ぶ」なのか、それとも「私は叫ぶ」なのか。 ひらがな一文字をどちらにするのか、10分・20分と悩むことが、ままある。そして、悩んだわりに、最後は「なんとなく」で感覚的に選んでしまう自分に「ほんまにプロか? それでプロなんか??」と、胸ぐらを掴みたい気持ちになることも。 そんな私にとって、今日のちえみさんの連載記事は、鼻息が荒くならざるを得ないものだった。 私
ギリギリ間に合った終電で、私はハンドクリームを取り出した。 シャープさんの手が、とても美しかったから。 一昨日、ライター/エッセイストのさとゆみさんと、シャープTwitter(現X)公式アカウントの“中の人”であるシャープさんこと山本隆博さんのトークイベント「こんな時代に『本』を出すということ」に参加した。 先輩ライターさんと会場に一番乗りしたので、「せっかくだから」と一番前の席に座った。 おふたりが話し始めてすぐに目に留まったのが、シャープさんの美しい手だった
463冊。今、私のAmazon「ほしい物リスト」に入っている本の数だ。 これらの多くはSNSやWeb記事・新聞などで紹介されていて、「私も読みたい!」と思った本たち。つまり、400回以上は、誰かの「こんな本、読んだよ!」「こんな本、あるんだよ!」に影響を受け、Amazonのページを開き、検索し、リストに入れることを繰り返したことになる。 書評コラムを書いてみたいと思っている。どうせなら、自分もそうであったように、読んでくれた人が小さくても何か行動に移したくなるようなコ
22年前、父を看取った後、私は何ヶ月も起きられなくなった。 天井を見つめるだけの日々を過ごしていたとき、FM802から流れてきたのが『サヨナラCOLOR』だった。 現在はハナレグミとして活動している永積タカシが、バンド「SUPER BUTTER DOG」時代に作った曲だ。 「サヨナラからはじまることがたくさんあるんだよ」 永積くんの染みる声で、この歌詞を繰り返し繰り返し何度も聴いた。少しずつ、父がもういないことや社会復帰への不安感が和らいでいった。「サヨナラ
この秋、わたしは「書くこと」を初めて学んでいる。そして、撃沈し続けている。 ファイナンシャル・プランナー(FP)として8年間活動してきたなかで、 ・社会保険制度の解説 ・家計管理の仕方 ・保険の選び方 など、250本以上記事を書いてきた。 1本1本時間をかけて、丁寧に、精一杯書いてきた。なのに、「書くこと」への経験値が自分が思っていた程は溜まっていなかったことに、少なからずショックを受けている。 肩書きを変えたら書くことが難しくなった 今年に入って、自分の肩書きを
『三行で撃つ』の著者である近藤康太郎さんのライター講座を受講している。昨日はその初回だった。近藤さんは最初からとても熱かった。書きたいと願うならば、長く深い努力の末に掴んだものを分けてあげよう。覚悟があるならついてこい!そんな本気の愛情を感じた。 この講座は、直接、近藤さんに自分の書いた文章を添削してもらえるコースがある。「人前でダメ出しなんてされたくない。」ええかっこしいな自分が出てきそうになったけれど、そんなことを言っている暇はないと思い直し、添削付きのコースを選ん
はじめまして。ライターの長谷部 敦子(はせべ あつこ)と申します。 ご覧いただき、ありがとうございます。 このページでは、私の経歴やできることについてまとめています。 お役に立てることがあれば、ぜひご連絡ください。 プロフィール1978年生まれ。兵庫県神戸市生まれ、甲子園(西宮市)育ち。神戸市在住。 総合商社の営業アシスタントとして社会人経験をスタート。その後、父の病気が発覚し、20代前半で看取り介護を経験する。その後、ITベンチャー企業2社で企画・社長アシスタント業に