震災が起きた今考える、ものづくりの価値
新年早々、大きな地震がおきた。
京都もすこしだけぐらっと揺れた。
気持ちが落ち着かず、告知も発信も手仕事も手につかない数日を過ごしています。
勝手ながら、ここを気持ちの置き場にさせてください。
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我が家にはテレビがない。
能登で大きな地震があったことは知っていたけれど、たくさんの情報が流れ込んでくると、必要以上に不安になって、暮らしもままならなくなるわたし。あえて自分から情報は取りに行かず三が日を過ごしました。
でもSNSを開けば、現地の切迫した情報が入ってくる。義実家に行けば、テレビが常時ついていて、悲惨な映像が勝手に目に飛び込んでくる。
小さな子どもがいるおうちは…妊婦さんは…
あったかく過ごせているのだろうか、栄養はとれているのだろうか。
もし、わたしが被災したとき、こどもをちゃんと守れているのだろうか。
心配な気持ちがぐるぐると渦巻く。結局、何もできないのに。
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こんな時、私にできることは。
募金をすれば、お金というツールでこのモヤモヤした気持ちを断ち切れるのかもしれない。(もちろん個人の思いの集まりはすごいパワーを持っています。否定する気持ちは1ミリもなく。)
でも、今はこの気持ちを抱えたまま、もう少し祈りを寄せて、わたしに今できることを考えていたい。募金は、よきタイミングが来たときに本当に必要なところへ。復興には長い時間がかかる。きっと自分が整ってからでも遅くはない。
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地震に限らず、こういった状況や情報に触れると、ものづくりってとても自己満足な行為だよなあと思わされます。
怪我人を救えるわけでも、お腹を満たせるわけでも、がれきを片付けて町を復興させられるわけでもない。今わたしがやっていることは、大きなお金をうみだせるビジネスでもない。個人のものづくりは、平和で、衣食住が保障された上にはじめて成り立つ活動。
無力さを感じる中でも信じたいのは、ものづくりという名のコミュニケーションを通じて、他人以上のつながりを全国につくる意味。
一個人がたくさんの人を救うことなんてもちろんできなくて。そこに自分と繋がりのある人がいることで、強い祈りの気持ちと行動する勇気が湧いてくる。手触り感のあるヘルプができる。
あの人がいつ被災するかわからないし、
自分もいつ被災者になるかわからない。
そういうときに、なんとかしたい気持ちをお互いに抱けるかどうか。
わたしができる手段で、住む地域をこえて個人と個人でつながり続けること。顔のわかる関係性を構築しておくこと。
家族や親族、地域の中でのつながりは言わずもがなですが、離れているからこそできるサポートがある。
そのつながりが、小さなネットワークが、非常事態の中で大切な人の命を救うことになると信じたい。
不意にやってくるカオスの中でも生きていけるように、
チャレンジしたいときに応援し合えるように、
嬉しいことがあったときに一緒に喜び合えるように
わたしは人の中でものづくりを続けていよう。
気持ちや時間がのったモノがそこに存在することほど、
つながりの証になるってないと思うから。
こうして言葉にすることで、
やっと2024年も動き出せそうです。
能登半島・北陸地方の被災されたすべての方が、安心して穏やかに過ごせる日が一刻も早くくるように心からお祈りいたします。
いただいたサポートは、クリエイターとしての活動費に使わせていただきます。