すばらしき編みもの
ちょっと編み物とは別の話から、、
かつて大学の先輩たちが、群馬県桐生市で「桐生再演」という、町を舞台にした美術展を行なっていました。桐生市は織物の町として栄え、ギザギザの鋸屋根の織物工場がたくさんありました。しかし海外の安い織物が入ってくるようになり、次第に稼働をやめ、そのまま時が止まったようになった鋸屋根工場が増えていったのですが、工場の建物はそれぞれ趣があり、美術家たちにとってはそこで作品を制作し、発表するのに魅力のある空間だったのです。私もその「桐生再演」に参加していました。
同じ時にゲスト作家としてベルリンから女性アーティストが一人参加していました。古い建物内の空間をとても繊細な作業で作品にしていく方でした。私たちは桐生に滞在して制作をしていましたが、夜宿泊先でくつろいでいる時にお子さんの話をしてくれました。お子さんは小学校でニッティングをしている。と言うのです。ニッティング、、編みもの!ドイツの学校は編み物を授業でやるの?!いいなあ〜、と、当時大学院生だった私は思っていました。
それから10年以上経ってから、私は娘をシュタイナー幼稚園へ入れる選択をし、その後紆余曲折を経てシュタイナー学校へ通わせることにもなりました。シュタイナー学校では、1年生の時から授業で編み物をやるのです。そこで思い出しました。ああ、あのアーティストのお子さんもきっとシュタイナー学校に行っていたんだなあ、とここでつながるのでした。
前置きが長かったですが、色々繋がっているんだなあと感じたのです。
さて、編みもの。本題です。
私は編みものをやりたくて、でも教えてくれる人が近くにいなかったので、本を見て独学で始めました。しかも大学生の時。遅い編み物デビューです。最初はぐちゃぐちゃな編み目で、当時それを見かねた友人が私の編んでいるマフラーの落ちている編み目に近くにあった釘を差し込んでほどけないようにしてくれたり、、(美大なので釘がそこら辺にあったのです)下手でも編むのは好きだったので続けて編んでいるうちにだんだん上達していきました。でも、編みものって少しでも間違うとすぐわかるのです。規則正しい編み目の中に一箇所だけ不規則な編み目が入るととても目立ちます。一定のリズムで進んでいた音楽に突然変なリズムが混ざる、みたいな。そして私はそれが気持ち悪くてムズムズするので、ほどいてその間違った箇所まで戻ってやり直します。でもやり直すのは実は勇気がいるんです。時間をかけて苦労して編んだものをぴーっと一瞬でほどいちゃうのですから、かけた時間と苦労がもったいなくて。でもそこを勇気を出してほどいてやり直す。きちんとしたい、整えたい、リズムを合わせたいという思いがあるのですね。でもこれ本当に強い気持ちが必要。大変なのです。こう少し書いただけでも、出来上がったものを見ただけではわからない、編みものに秘められたドラマを感じませんか?
整えたい、リズムを合わせたいという気持ち、これは私だけではなく、誰にでもあると思います。整える度合いは人それぞれ。編み物の熟練度にもよりますし、性格の違いもあります。このままいくと失敗しそうだ、、という時に勇気を出して戻るその決断、意志の強さって、人生においても必要ではないでしょうか?
娘も、学校で編み物を習い家で自分で編んでいます。そして時々「あー!間違った。。あ〜嫌だなあ、ここまで戻らなくちゃ、、」と言いながらほどいています。それ、大変だよね〜、わかるわかる、と思いながら見ています。
小学校1年生にとって、編みものをするって本当に大変。棒針の持ち方ひとつとっても難しい。教え方にも工夫がいります。作り目のやり方が分かったら、今度は数を数えないといけない。何目作り目をしたかな?いくつ足りないか、いくつ多いか。何段編んだかな?四角になったかな?このくらいでいいかな?
さらっと書きましたが、作り目を編むまでの間にどれほどの苦難があるか、また、それを1,2,3,4,5,,,と数える子どもたち。数えるのだって、あれ?いくつだったっけ?と何度も数え直したり、簡単にはいきません。ひとつひとつが大仕事。もちろん、すぐにできちゃう子もいます。そういう子はいくつも編んだり、少しバージョンを変えて楽しんだり。一方で不得意で何度も失敗しちゃう子もいます。でも、それこそが大事。編み上がったものはそれぞれが頑張った成果。そしてそこに至る課程が本当に大事。
編みものにはたくさんの要素があります。
羊の毛でできた毛糸、木でできた編み棒、その感触。そして例えば毛糸のループをおうちの入り口に、編み棒を小鳥に見立てる想像力。(小さな子にはそんな風にイメージで編み方を教えるのです)手先の器用さ、数を数える力、リズムを感じる力、バランス力、根気強さ、自分の手で作り上げる喜び、そして間違えた時にやり直す勇気などなど。
男の子も編み物どんどんやったらいいと思います。私の学生時代は女子は家庭科、男子は技術家庭科と分けられていたので、編み物や裁縫は女の子がやるものみたいになっていましたが、男女で分けるなんてナンセンスだと思います。男女問わず、自分で手袋や帽子の一つくらい編めるって、生きていく上で結構役に立つし、楽しいことではないでしょうか。