映画『太陽の塔』感想。太陽の塔を利用していませんか
岡本太郎は何のために創ったのか。岡本太郎に影響を受けた人々をはじめ、総勢29名へのインタビューを敢行。芸術論だけでなく、社会学・考古学・民俗学・哲学の結晶としての岡本太郎が語られ、「太陽の塔」に込められたメッセージを解き明かす。(公式サイトより)
ごく身近とまでは言わないまでも時々、目にしていた岡本太郎の「太陽の塔」。怖さと未来と魅力を感じる不思議な塔。
前半は太陽の塔建設時にかかわった人のインタビューが聞けて、とても面白かった。建築とアートと哲学は、お互いにからみあっている。当時の困惑や若手の奮起やら、時代の空気も伝わって楽しかった。
情報量が多くて、映画館ではなく資料館の映像ブースでメモを取りながら観たいな…なんて思いながら観る。
途中から、「太陽の塔」を依り代にして反原発論を言いたいだけのセクションになる。岡本太郎が原爆に対するメッセージを作品に込めていたことと、原発批判とをこの作品のように横並びにすることに大きな違和感を、というか怒りを感じた。
哲学、アートの世界の人たちが自分の意見を述べるだけではあまりにも一方的で、それは岡本太郎の太陽の塔の話ではない。語りたいのであれば、原子力や危機管理の専門家で岡本太郎を愛する人も出すべきだった。
わたしたちの生活や生きていく上で必要な産業や、アートを表現することだって科学とつながっている。なぜアートだけが科学から切りはなせると思うのだ?
福島県の避難指示区域の写し方、福一の写し方も、どこかで見たことのあるアングル、切り取り方、センシティブに煽りすぎている。問題がある(あった)ことは確かだし、未来に向けて色々なエネルギーの使用方法を急いで確立させなければならない。ただ、太陽の塔を軸にして原発を語るには、複雑すぎる。これではアートを愛する人が一方向でしか物事を考えられない人に見える。映画が好きだからこそ、腹が立ってしかたなかった。
監督の、なのか、このプロジェクトの、なのかはわからないが、作った人たちが太陽の塔を利用しているようでがっかりした。それだけ期待が大きかったんだろうな・・・この作品を観て少し日にちをおくことで、「怒りの感情を持たせるだけの作品のちからがあったんだ」とも考えられるようになった…かな。
今年のドキュメンタリー映画なら、アートに振り切った『顔たち、ところどころ』と対象者にしっかりと寄り添いきった『性別が、ない!』が良かった。自分の好みにも気づかせてくれた作品ではある。