かさぶたカサカサ1年生(2)ぼっちゃんはとびげりをキメ、厚子はメンヘラ保護者になった【前編】
「クラスメイトのご家族から”お宅のお子さまに暴力を受けた”と連絡があったら、お母さまはどうされますか。」
「はい。まずは事実確認をすることが大切だと思いますので、すぐに担任の先生に連絡をして状況を確認・相談をいたします。その上で、どのようにすべきか先生のご判断を仰ぐようにいたします。」
対面した女性面接官がにこやかにうなずく様子を見て、この返答で間違っていなかったな。と厚子は心の中で拳を掲げる。
自宅やお教室の面接練習で何度も繰り返した想定質問が、本当に本番面接で出るんだという驚きと、教科書通りの可もなく不可もなくな返答ができたこと。それに対し相手がある程度満足気な表情を見せたことに厚子は安堵した。
小学校でトラブルに関する保護者同士の直絶のやり取りは原則NG。必ず学校に相談・報告をしたうえでどのように対処すべきか判断を仰ぐべし。
脳みそが擦り切れるほど繰り返したこの返答を、口にしながらも厚子はどこか他人事のように感じていた。
同じようなことは保育園でも何度も言われていた。しかし、大事になるようなトラブルには一度も出会ったことがなかったからだ。
この質問も念には念をの確認であって、実際は保護者間トラブルなんて起こることがないのであろう。
しかも我が家が目指しているのは私立小学校なのだ。学校生活を共にするのは、教育方針を理解し、面接や考査といった多くの苦難を乗り越えて集められた家族なのである。ささいなトラブルこそありうるだろうが、学校を頼る程の大問題なんてそうそう起きるわけがない…
そう思い込んでいた保護者間トラブルとそれに対する対処について、まさか自分が当事者となり、完璧な自損事故を起こすことになることを。
1年半前の厚子は想像にもしなかったのである。
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ぼっちゃん君にとびげりをされて子供がけがをした。
目ん玉が飛び出るLINEが同級生のご家族から届いたのは、忘れもしない金木犀香る秋の午後であった。
あのぼっちゃんが、背骨がほぼほぼこんにゃくで構築された、姿勢が悪いと言ったらかさぶた君!ってお教室でも評判だったあのぼっちゃんが…お友達に、と、とびげりをキメただと!?
体幹、強くなったなぁ~~~~~~
ピントのズレまくった感心をしてしまう程に、そのLINEの内容は衝撃的であった。そして、そんな高度な技をキメるには程遠い運動神経しか持ちえないはずのぼっちゃんと”とびげり”というパンチワードが、厚子の中であまりにも結び付かなかった。
とはいえ、よそ様の大事なお子さまにとびげりをキメたなんてマジ最低最悪半端ない。さらにはケガまでさせてしまったとか…
詳細をうかがうと、体育の時間にぼっちゃんが突然先方のお子さんにとびげりをして、お子さんの腕にかさぶたができてしまったと言うではないか。
よりにもよって”かさぶた”である。
LINE上でのトーク画面上で”かさぶた”と打ち込むたびに「かさぶた厚子」「厚子」「ワイ」などどうしようもな予測変換ワードが飛び出す。こんなデリケートな局面でうっかり誤変換などしてしまったらマジでやばい。
その上、そんな大技をかましたにも関わらずぼっちゃんからの謝罪が一切なく、先方のお子さんが心を痛めている…とつづられていた。小さなスマホの画面からでさえその深い悲しみがひしひしと伝わってくる。
とびげり、かさぶた、ノー謝罪。
小学校生活1年目、想像しうるレベルで最大級に最悪な事件が今まさに勃発した瞬間である。
てんぱりにてんぱりパニック状態一歩手間に陥った厚子は、こちらが加害者側であるにも関わらず
「この気まず過ぎるやり取りを1秒でも早く終わらせたい。」
という焦燥にかられ「事実確認をせずとりあえず謝る」という最低の一手を打ってしまった。
地面に額をこすりつける勢いで謝罪の言葉を並べまくり、ぼっちゃん本人に詳細を確認し何等かの対応をさせますと伝え無理やりLINEのやり取りを終えたのだ。
今思うと、まったく心のこもっていない、誠実さのかけらも感じられない、ただただ問題を先送りするためだけの謝罪であった。
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その日の夕方、ノー天気が服を着てスキップするように暮らす小1男子ことぼっちゃんが、いつも通りご機嫌な様子で帰宅した。
「ママ、今日のおやつはパンにバターを塗って、バターはOKストアのおえかきバター(四葉バター)ね!その上にいちごジャムを塗って、もう1枚をはさんで三角形にしたサンドウィッチのおいしいやつを作ってね!あと納豆ご飯!!!」
食欲もテンションも舌の回転っぷりも、その全てが相も変わらず絶好調である。
こんなのーたりんボーイが本当にお友達にとびげりなんてしたのだろうか…
息子愛しさか、はたまた己可愛さか。俄かには受け入れきれない現実を抱えつつ、しかし親として問題をしっかり把握しないといけない。
「ぼっちゃん、あんた、〇〇君にとびげり…した?」
「したよ!だって〇〇君がやってっていうんだもん!!!」
こいつ!!!!!
マジでとんでおった!!!!!!
お母さんの目の前に広がるのは、星の瞬きなき大停電の夜である。
マジでとびげりをしていた現実。
それをやってくれって言った(仮)であろうお友達の挙動。
小学校1年生、マジで謎が謎でしかない。プレイがハードすぎて昭和生まれのお母さんは付いていけないよ!!!
って半泣きになりながら被疑者から詳細をヒアリングしたところ
といった証言が得られた。
語彙量と表現力だけは半端ないが、基本何を言っているかさっぱり分からないぼっちゃんの話は常に四方八方に話がとっ散らかる。一瞬確信にふれたかと思えばまた後退するの繰り返しだ。
ぼっちゃんと向かいの吉田さん家のフレンチブルの花ちゃん(3)なら、間違いなく花ちゃんとの方が話が通じる。
そんなレベルの発言から、できる限り事実っぽい証言を拾って拾って拾いまくってようやっとこれらの情報が集まった。
「なるほどね…(なるほどもくそもない)。そんでさ、〇〇君のケガはあんたのとびげりが原因なの?」
「いやーわっかんないなぁ。〇〇君、ラグビー習っているからいつも全身傷だらけなんだよね~この前もおでこに悟空みたいな傷があってかっこよすぎたわ!!」
新たに分かったこと、〇〇君はラグビーを習っている。
その情報なんの参考にも問題解決の糸口にもなんねぇ!!
この辺で厚子はメンタル疲労のピークを迎え、もう何もかも嫌になってしまった結果、愛する息子にまで「とりあえず謝罪」を要求してしまったのだ。
「ケガの原因がぼっちゃんかはわかんないんだけどさ。〇〇君はぼっちゃんが謝ってくれなかったからとっても悲しかったんだって。お母さん、〇〇君が悲しい思いをしているのは嫌だしぼっちゃんも嫌じゃない?、同意の上とはいえ、痛い思いをさせたことは事実なんだから。明日謝ったほうがいいと思うんだよねぇ」
厚子40歳、メンヘラまったなしである。
しかしながら、齢7歳にして円満な人間関係を維持するための意思なき謝罪を実母に押し付けられたなんてつゆ知らないぼっちゃんは
「えー〇〇君何にも怒ってなかったんだけどなぁ。でも〇〇君が嫌な想いしるならそれは一大事だから謝るわ!!」
そう言ってリクエスト通りにしあがったカロリーましましのいちごジャムサンドにがぶりついた。
あまりにものほほんと謝罪することを約束してくれたぼっちゃんのおかげで、緊迫しきっていた空気がふっとゆるんだ。
しかしその一方、厚子の心にはある違和感が残ったのだ。
というのも、ぼっちゃんの通う学校では、児童トラブルによる保護者への入電のボーダーラインが明確にひかれているように感じていた。
先生からの入電経験を重ねたことで「そうか、このレベルがご指導のボーダーラインか」といったものを肌感覚で掴みかけていたのだ。
(たった1年でなんぼご指導されてるんだよ。っていうのはまた別の話である。)
だからこそ、それ(先生からの入電)がないっていうだけで、きっと今回の件がそこまで大きななケガやトラブルではないんだろう。明日ぼっちゃんが謝罪することであっさりと解決する話であろう。と厚子は油断をしてしまった。
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翌日、ぼっちゃんが帰宅するより早く先方のご家族から「ぼっちゃん君から何のアプローチがなかった」と連絡をいただいた。
終わった…厚子は膝から崩れ落ちる。
帰宅したらすぐ息子に確認します!!と、こいつに何か言っても何ひとつ前に進まねぇわっていう新卒現場2年目(決裁権ゼロ)の返事しかできなかった。そしてぼっちゃんが帰宅する。
「おおおおおおおおおお主、もしかして…謝るの?わすれちゃったかなぁ??」
「え?謝ったよ。そんで〇〇君もいいよ~って許してくれたんだけど」
こんなにも見事な食い違いが存在しただろうか。
まったくかみ合っていない、かすりもしない。いっそすがすがしいまでの完璧たるすれ違い平行線である。
とはいえ、何が何でも無理やりにでも数ミリでもいいからかみ合わせなければいけない。だってかみ合わないとこの問題解決しないんだもん!!!
「それさ、〇〇君、なんのことで謝られてるか伝わってないんじゃない?ぼっちゃんのクラスの男子たち、みんな毎日喧嘩しては謝りあってるじゃない。ちゃんと”とびげり”の件だって言わないと伝わんないって」
「あ~そういうことね。分かった。明日もうワントライする!まかせておいて!!」
そう言って、ぼっちゃんは大好物のミスドのストロベリーリング2つ目をもぐもぐし始めた。
このあたりから、厚子はなんとも表現しきれない不安な気持ちに襲われるようになった。
それでなくてもぼっちゃんは「3歩歩けばすべてを忘れる系男子」である。
「6月30日までに提出して下さい。」って書いてあるプリントを平気な顔して終業式の日にランドセルの底でぐっちゃぐっちゃにして持ち帰るタイプだ。時差がすごい。
「とびげりの件である」という前置きをしたうえで謝罪が成立する可能性は限りなく低い。その一点において、厚子は息子を強く信用している。我が子が事前の段取り通りちゃんと説明して謝罪できる気がしなさすぎて震える…
いっそ担任の先生にお願いして、謝る様子を見届けてもらおうか…
いや無理だ。そもそも学校からは「学校で起きたトラブルを保護者同士でやりとりしないでくれ」と繰り返しご指導をいただいている。
今この件を先生に頼ってしまったら「かさぶたさん!!あんなに直接のやり取りだめって言ったじゃないの!!」とお叱りを受けてしまう…
今振り返れば、ここできちんと先生に状況を説明・相談をしておけば厚子はメンヘラ保護者になることはなかったのだ。
しかし厚子は伝えられなかった。
これ以上ぼっちゃんを問題児にしたくない…なんならかさぶた家が問題家族になりたくない。完璧に親の見栄とエゴであるが、それを早々に手放し学校に助けを求められるほどには、我々夫婦は親として成熟していなかった。
問題を穏便にすましたい。そんなあさましい思いの元、ぼっちゃんぶらり途中下車の旅で得た教訓をまるで活かさぬまま、またしても厚子はこの状況を堂々隠ぺいした。
そして、坂道を転がり堕ちる石のように事態はハイスピードで悪化していった。
▼後編はこちら
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