女性自身が性別役割分業の呪いにかかっている理由。
こんにちは。
こないだ、こんな記事を書きました。
家庭内労働の分担が、なぜ女性にばかりしわ寄せがいくのか?ということですが、原因の1つに「女性自身が性別によって役割を分業する固定概念に縛られている」ということがあるのではと、ぼくは考えています。
今日はそのことについて、書いてみたいと思います。
「旦那のグチ」コンテンツは消費されやすい
Instagramで「#旦那嫌い」で検索すると、なんと1万件の投稿がヒットします。
検索結果を見たい方はこちらからどうぞ。
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一方で、「#夫嫌い」で検索すると、345件しかヒットしません。
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この投稿数の差がなぜこれほどに開きがあるのか?
そのヒントは、この「旦那」という言葉にあると思います。
「旦那」という言葉自体が、性別役割分業の呪いワードですよね。
この言葉を普段から使っていたり、心の中で使うことによって、自分自身を性別役割分業の呪いにかけてしまいます。
「旦那」は「お布施」と訳されるサンスクリット語「ダーナ」が語源だと言われています。元々のダーナの意味は「与える」「施す」です。
当初は、お布施をする檀家を表す言葉として僧侶が使っていたそうです。その後、生活の面倒を見るパトロンという意味で一般的に使われるようになり、そこから「雇用主や顧客」「夫」を意味する言葉に変わっていきました。
(出典:TRANS.Biz)
「旦那」という言葉には、夫を崇めるような響きや、逆にあえて敬うような表現をすることで、ダメな夫を悪く印象づけるような使い方もされますね。
「旦那のグチ」や「旦那の悪口」というコンテンツは非常に力を持っていて、Instagramで人気を集めている夫婦関係のアカウントの多くは、「旦那の悪口」を中心にした投稿が多いです。
ぼくも以前まで、夫婦関係に関するInstagramを投稿していましたが、やはり女性比率が高く、妻との関係改善方法を探している男性よりも、「共感先」を探している女性が多い印象でした。
人気のある投稿も、「女性が求めている共感」に寄り添うような投稿が多く、そしてその中でも「旦那の悪口やグチ」というのはとても人気がありますね。
ところで、「旦那の悪口」と言われるよりも、「夫の悪口」と言われた方が、なんか、ぼくは辛い気持ちになるんです。
たぶん、「旦那」という言葉には、妻から夫への暖かな感情が抜けているせいかもしれません。
「夫」という言葉には、妻からのパートナーとしての親密性を感じることができます。
このあたりも、「旦那」という言葉を使うと、「悪口」や「グチ」を言いやすくなるという効果を生んでいるような気がします。
「夫」という言葉を使うとなんか悪口を言いにくいけど、「旦那」という言葉を使うと、なぜか悪口を言いやすくなる。
そんなことがあるような気がしています。
えみすけさんがnoteで書かれているように、「父親叩き」コンテンツもとても人気がありますし(エッセイとかですね)、きっと売れているんだと思います。
「父親叩き」コンテンツが売れる理由
「父親叩き」コンテンツが売れる理由は、「心から共感できる女性が多い」「ダメ夫は叩きやすい」の2つだと思います。
家事育児に積極的でない夫は多いので、共感する女性が多いというのは肯けますね。
単純に市場(共感する女性)が大きいので、ビジネスとして成立しやすいということです。
共働きの夫の8割は家事を行っていない、そして育児は7割の夫が行っていないというデータが内閣府の調査で明らかになっています。
日本の共働き家庭の8割の女性が「旦那の悪口コンテンツ」のターゲットになるわけで、そりゃあ市場は大きいですよね。
それともう1つ、「ダメ夫は叩きやすい」。
これですが、「ダメ夫」の悪口を言われた時って、男性としても女性としても擁護はできないわけで、ほぼ共感や賛同が集まります。
中には攻撃して来るひともいるようですが、「ダメ夫」を擁護する方がダメージを食らいやすいですので、めったに大きな声で「ダメ夫」側に立つひとはいません。
今の時代、「男は家事や育児をしないで、仕事に集中すべきだ」なんて、言いづらいですし、確かにそんな理屈が通る時代ではないですので。
「ダメ妻」は叩きにくいですが、「ダメ夫」は非常に叩きやすいです。
これは、現代の社会状況が「ダメ夫を叩くこと」を許容しているようにも見受けられます。
家事も育児もしない「ダメ夫」は、ぼくも賛同できないので、男は変化の時期に来ていると思いますが、それなら「どう変わるべきか?」「どのようにして変わったのか?」という解決策も一緒に提示するコンテンツを、世の中に出すべきじゃないのかな?とも思うのです。
今は、「ダメ夫」が自分が「ダメ」なことに気がつくための啓蒙の時期なのかもしれません。
ですが、有効な解決策を提示されるでもなく、ひたすら叩かれるというのは、「ダメ夫」にとって更生のきっかけになるのだろうか?とも思うのです。(この件については、ぼくなりの解決策などを別記事で書いてみようと思います)
ちょっと話がずれたので戻しますが、「旦那の悪口」コンテンツが生まれる理由は、「性別役割分業の呪いにかかっている自分からの解放」を女性が求めているのではないのかな?とも思うのです。
女性自身が性別役割分業の呪いにかかっている
性別役割分業を想起させる「旦那」という言葉と、それを想起させない「夫」という言葉の投稿数に約30倍の差があること。
これは、性別役割分業の呪いにかかっている(かかりやすい人)の方が、「旦那の悪口」コンテンツを消費しやすいのかもしれません。
自分は女だから子どもをしっかり育てないと
自分は女だから旦那の夕飯を作っておかないと
自分は女だから家事をしっかりしないと
こういった考えを持ちやすい人ほど、「旦那への不満」がたまり、「旦那の悪口」コンテンツを求める(共感先を求める)ようになるのではと思います。
「これからの男の子たちへ」という、ジェンダーやホモソーシャルに縛られない男の子の育て方について書かれてた本があるのですが、その中で著者とゲスト(小島慶子さん)の対談でこのような会話があります。
私は常々、ジェンダー問題を語る上で、「女性が一方的に被害者で男性は加害者」といった単純な二項対立で考えるのはよくないと思っています。家父長制に基づく性差別的な男らしさ・女らしさの規範というミーム(文化的遺伝子)があるとすれば、これまで女性自身も無意識に、その運び手になってしまう面があった。それは自覚すべきだと思うんです。
その最大のものが男子の育て方で、私たちの親世代の母たちも、息子たちに強烈に「良き稼ぎ手であれ。身の回りの世話は女性にさせればいい」という男性役割を刷り込んできた。よかれと思って。彼女たちがそのようにしか生きられなかったことも重要だと思うので、非難もできないのですが。
母たちの本音って、言ってしまえば「自分の娘には従属しない自立した生き方をしてほしい。でも自分の息子には、どこかの女がちゃんとお仕えしてくれないと困る。」
「でも自分の息子には、どこかの女がちゃんとお仕えしてくれないと困る」
もし、このように考えている母親が一定数いるとすれば、それは女性自身が性別役割分業の呪いにかかっている証拠です。
本書でも書かれていますが、ぼくらの世代というのは、そういった呪いを解くことを使命とすべきなのかもしれません。
明治時代に生まれた「性別役割分業の呪い」を、自分の子どもたちに引き継がせないために、呪いを断ち切り、新しいジェンダー観を産み育てる。
ぼくらは、そのために、今という時代を生きているのかもしれません。
それでは、また!
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