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大正時代に“人工的に”作られた「母性愛」という概念がぼくらにかける呪いとは?
(この記事は最後の「今日の日記」以外無料で読めます)
こんにちは。
母性や母性愛という言葉を子育てをしているとよく聞きますよね。
この母性という言葉、定義がすごいフワッとしてて、何を指すのかいまいち分からないんですよね。
それから、子どもを3歳になるまでは母親が見た方がいいのでは?という話もちょいちょい聞くので、この本を読んでみたのですが、まぁ驚きの連続でして、今日は「母性愛」という幻がぼくらにかけている呪いについて書こうと思います。
結論からいうと、「母性愛」というものは人工的に作り出された概念でしかないようです。
母性愛が生まれた背景
母性愛というものがどのように生まれたのか?
それは大正時代にまで遡ります。
大正時代以前は、日本は村落共同体でできており、子育ては村ぐるみや家族ぐるみで行われていました。
また、家事も手間がかかったぶん(薪で火を焚いてお風呂を沸かしたり、かまどでご飯を作ったり)、男も子どもも家庭の労働に参加していた時代です。
ですが、大正時代に入り、資本主義体制が広がります。正しくは政府が広めようとしました。欧米列強に負けないよう、国を上げて資本主義を日本に広めようとしたのです。
この時期は産業が発達していったタイミングですので、工場や企業で働く人間が増えていました。
そうすると、今までは家庭の中で仕事をしていた男たちが外に出て働くようになります。
そうなると、男は子育てがしにくくなり、家事や育児といった家庭内労働があると仕事に支障が出るため、性別役割分業が生まれました。
性別役割分業とは、「男は仕事、女は家」というふうに、性別によって役割を固定化する概念です。
これは、この考えが正しいかどうかじゃなくて、多くの男たちを工場などで働かせて、国を豊かにするために作られた概念でしかないんですよね。
ただ、「男は仕事」と言われると、国のためにもなるしと、男の性(さが)として、つい張り切っちゃったところがあると思うんですよね。
そういう大きなもの(国とか)のためと言われると、使命感がむくむく出てきてやる気になってしまう生き物ですので。
そうやって、性別役割分業体制の元で、今につながる近代家族が生まれたのが大正時代でありました。
今までは、家族や村のコミュニティによって、男も女も関係なく子育てをしていたのに、突然、「子育ては女がやるものだ」と言われ、女性はたった1人で育児をせざるを得ない状況に追い込まれたわけです。
母親が1人で子育てに専念することが子どもの発達にとっても望ましいとする母性観は、資本主義体制と近代家族の維持に必要な理念として形成されたものであり、けっして自然発生的なものではない。本書の冒頭で述べたように母性愛はフィクション性の高いものである。(「母性愛神話の罠」大日向雅美 )
このことを考えると、その時その時の世論や、個人の思想というのは、時の為政者にとって都合がいいようにコントロールされたものなんだなーとつくづく思います。
国をある方向に舵を切る際には、国民全体の思想を変える必要があるんですよね。
そして、思想を変えられてしまった「ぼくら」としては、自分の考えが誰かによって作り出されたフィクションだなんて思いもしないわけです。
おそらく、農村から工場勤めに変わった当時のお父さんたちも、仕事を進めるために、否応もなく「男は仕事、女は家事」という概念に変わっていった側面もあるかとは思います。
だけど、「本当にそれでいいのか?」と自分の頭で考えることって、重要だなーと感じましたね。
なぜ、大正時代が終わって94年経つのに、いまだにぼくらに影響を与えているのか?
そしてですね。この性別役割分業が始まった大正時代。この大正時代が終わって94年経つのですが、いまだに性別によって役割を固定化しようとって生きているんですよね。
ぼくの中にだってあります。
ぼくは、三男が生まれた時に、3ヶ月間の育休を取り、そこで育児スイッチが入り、「仕事より家庭」の思考になりましたが、上の子たち(双子)が生まれた時は1週間しか育休は取らず、それも妻はほとんど入院していたので、ただ休んだだけのなんちゃって育休でした。
「女性は育児ができるもの」
という思い込み、これはぼくの父が育児に積極的でなかったことも影響しているのかなと思うこともあります。
主に母親に育てられてきたため、「育児は母親」という刷り込みがあるのかもしれません。
そして、その親たちは自分の親たちからそういった呪いを受け継いでいるわけで、自分たちの代でその呪いは断ち切らないといけないんですよね。
それから、もう1つ、「母性愛」が根強くしぶとく、ぼくらの心に残る理由は、「母性愛」というものが、人の琴線に触れやすい概念だからだと思います。
本書の中で、「日本一短い「母」への手紙」という書籍の話が出てくるのですが、母への思いを一行で表現した作品が詰まっている本でして、これを読んでぼくも思わず涙が出ちゃったんですよ。
お母さん、雪の降る夜に私を生んで下さってありがとう。もうすぐ雪ですね。(天根利徳、大阪府、51歳)
修学旅行を見送る私に「ごめんな」とうつむいた母さん、あの時、僕平気だったんだよ。(横川民蔵、石川県、55歳)
大空襲の折、火の粉を素手で払ってくれた母さん。今日本に戦争はありません。(島村美津子、大阪府、61歳)
どうですか?
これらを読んで心が動かされませんでしたか?
動かされた人の方が多いんじゃないでしょうか?
これらを読んだだけで、涙が出てくる人もいるはずです。
本書の中でも書かれているのですが、こういった母への讃歌というのは、ある種の宗教に似ています。
宗教であるがために、それを否定することはタブーなわけです。だからこそ、1976年の著者の講演会では、母性愛を否定する著者に向かって、現役のママが異を唱え、その隣で夫が満足そうに肯いていたわけです。
ですが、その講演会が終わり、著者がテープレコーダーをしまったとたん、さっきまで母性愛を声高に叫んでいたママたちは、口々に育児の辛さを口にしたそうです。
それは、彼女たちにとって「母性愛」が否定してはいけない宗教だからです。
宗教であるがために、それを否定することは異端であり、日本というコミュニティから除け者にされる危険を孕んでいたのです。
そして、生み育ててくれた母親への感謝の念がここまで強い理由の1つは、育児において父親が不在であることも大きいと思います。
母親が生み育ててくれたことへの感謝を表現する作品は数多くありますが、父親が愛情深く育ててくれたことへの感謝を表現する作品は、ちょっと思いつきません。
母性愛神話を永久に葬り去るには、育児において父親の存在感を母親の存在感以上に感じさせる必要があるのでは?と考えています。
というところが、今のところのぼくの考えです。
あなたはどう思いますか?
それでは、また!
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