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心の奥底に降り立ち、みずからに慈悲を向けるとき、なにが起こるのか?

長く生きていると辛い出来事がたくさんある。

特に大切な人との死別は心を大きく痛みつける。さらに死の原因を自分に向けてしまうと、苦しみの呪縛から逃れることは難しくなる。

どうすれば、ぼくらは辛い出来事に対する自責の念から逃れられるのだろうか?

今回の夫婦関係学ラジオでは、コンパッション・リーダーズ代表の三神良子さんに、三神さんが提供するコンパッショントレーニングについてお話をうかがいました。

このnoteでは毎週金曜日に発行するニュースレターの一部を載せています。

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自身への癒しのために…

三神さんの自己紹介記事の一番下には「ディープストーリー」という別記事へのリンクが貼ってある。

そこでは、noteの自己紹介記事では描かれなかったご家族の深い話が書かれている。

ご両親との関係、大切な親族とのお別れ。

そして、その別れに対する根強い罪悪感。

ある心理士さんは「自分を癒すために心理の道に入る人は多い」と語った。

確かにそうだと思う。

なぜ、こうなったのか?

自分にはもっとできることがあったのでは?

23歳のとき、ぼくが15歳の時に付き合っていた恋人が自殺した。境界性人格障害だったという。当時からその傾向はあり、リストカットを繰り返していた。

自殺の知らせ、葬儀、死の真相を知った一週間の間に、ぼくの体重は10kg落ちた。なにも喉を通らなかったのだ。もっと自分にできたことがあったのではないか、そういった感情にずっととらわれていた。

彼女の病を理解したくて、図書館にこもり精神疾患の本を読み漁った。

正確には「理解」したかったのではないと思う。

救いたかったんだと思う。

ぼくにも死の原因がある。その呪縛から逃れられなかったからだ。

そして、彼女が自死に至るまで病をこじらせてしまった背景には、彼女の家族関係も大きな影響を与えていた。

父親は不倫を繰り返し、まだ幼かった娘を連れ浮気相手の家にたびたび行っていた。娘は車の中で父親の情事が終わるまで待っていた。

彼女はその記憶を鮮明に覚えており、ぼくと二人でいるときにそんな話をしてくれた。

亡くなった彼女の日記には「幻覚が見える」と書かれていたが、「母親は取り合ってくれず、弟からはキモい」と切り捨てられていたそうだ。

今から救うことなんかできないにも関わらず、この出来事はぼくを悩ませ続けた。

呪縛から逃れられるようになったのは、ここ数年だと思う。

妻がぼくを受容してくれること。

そして、東京成徳大学大学院 准教授 石村先生のプラスワンラボでコンパッションを学んだことが大きなきっかけだ。

(三神さんもプラスワンラボでコンパッションを学ばれた)

自分が救える範囲には限界がある

コンパッションは慈悲とも訳される。そのため、無条件の愛情であると思われがちだ。だが、実は自分に対して思いやりを向けるセルフ・コンパッションも重要だ。

というか、セルフ・コンパッションなしにコンパッションは理解できない。

セルフ・コンパッション提唱者であるクリスティン・ネフの著書「自分を解き放つセルフ・コンパッション」では、平静さをたもつコンパッションとして、こんなフレーズ(冷静になれない時に口にする言葉)が紹介されている。

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