"情緒的飢餓"が妻を夫から遠ざける
「なぜだか分からないけど、触れられなくないの」
妻はそう言うと、ソファーから身をよじるようにして、ぼくから距離を空けた。
大人が二人座れるほどのその距離は、ぼくにとって途方もなく長い距離のように感じられた。
”なぜだか分からない”のなら妻を責めようもなく、時計の針が進む音がやたら大きく聞こえ、今まで訪れたことがないような沈黙の中、ぼくと妻はただただ困惑していた。
いったい、ぼくらになにが起こったのだろう?
あんなにも意気投合し、出会ってから一年足らずで結婚したぼくらにこんな危機がやってくるなんて思いもしなかった。
結婚から7年が経っていた。
ふたりの子ども(双子)にも恵まれ、もうすぐ4歳になる子どもたちに段々と手がかからなくなってきた矢先の出来事だった。
あれから4年が経った今なら、はっきりと分かる。
でも、当時のぼくには、ぼくらに一体なにが起こったのかまったく理解ができなかった。
今のぼくが持っている知識を当時のぼくが持っていれば、あんなことにはならなかっただろう。
きっと、誰でにも起こる夫婦の問題を、もっと上手に戸惑うことなく紐解いていくことができたはずだ。
当時のぼくに語りかける形で、当時のぼくと同じような悩みを抱えている方にも語りかける形で、この本を書こうと思う。
産後の夫婦の性生活の問題は、どちらかが我慢すればいい話ではなく、”ふたりにとっての幸せ”とはなにかを探す旅になるはずだ。
少なくともぼくにとってはそうだった。
この問題が解決される頃、きっとふたりは今まで以上に精神的な幸せを感じられるようになるはずだ。
ぼくらは子どもが生まれる前よりもお互いを大切に想い合うことができるようになった。今では相手の心の痛みを自分のことのように感じることができる。
”愛”がなんなのか、いまだにぼくにも分からないけど、でも、今ではそこに一歩近づけたような気がしている。
妻がぼくに話しかけてくれるとき、妻がぼくに微笑みかけてくれるとき、妻がぼくを優しく抱きしめてくれるとき、ぼくは愛の存在をそこに感じずにはいられない。
ぼくらの間には、限りなく近づいたぼくらふたりの間には、愛というものがあるのだと、今では強く感じることができる。
ひとりでも多くの夫婦が"ふたりの幸せ"を手に入れられるよう、この本を書きたいと思う。
妻に訪れる情緒的飢餓
産後セックスレスの原因のひとつは、”妻の情緒的飢餓”です。
”飢餓”と言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、産後の女性を取り巻く環境は大きく変わりますよね。
妊娠出産にともなうジェットコースターのようなホルモンバランスの急激な変化。
目の前の赤ちゃんを死なせないために丁寧に抱っこをし、家の中を整理し、2〜3時間おきに授乳とオムツ替えをおこなう。
寝る時間なんてほとんどない生活が始まり、肉体的にも限界を突破することが何度も起こります。
ぼくの妻や他の女性も、”育児中に気を失った”経験があります。
仕事中に気を失うことってないですよね。だけど育児だと起こるんです。
ハッと目を覚ました時に、目の前でオムツ姿の子供が遊んでいたならまだいいですが、中には子どもが玄関を開けて外に出てしまい、近所の方に通報された方もいました。
長期の育休を取っているなら別ですが、そうでないなら、ぼくら夫は仕事をしているため、妻を取り巻く環境の変化になかなか気がつくことができません。
妻とぼくら夫の育児に関する目線もどんどんずれていきます。
そして、妻は(わたしの気持ちをわかってくれていない)という寂しさを感じるようになっていきます。
ただでさえ自分の家に引きこもり、小さな赤ん坊の世話をするだけの毎日なのに、唯一の社会との接点である夫から冷たい態度を取られることによって、”見捨てられた”という感覚を妻は抱くようになります。
妻が困っているのでぼくら夫はつい解決方法を提案してしまいますが、妻が困っている時というのは”寄り添って欲しいタイミング”であり、”解決方法の提案が欲しいタイミング”ではないんです。
ぼくもこのタイミングの違いに気がつかず何度も失敗しましたが、”寄り添って欲しいタイミング”で夫からの共感を得られなかったことで、妻の心には孤独感が積み重なっていくんです。
ぼくらの場合、最初の子どもが双子だったため、育児は壮絶を極め、ぼくらはお互いを気にかけ合うこともできず、ただただ双子のお世話人としての生活を送っていました。
男性が育児に積極的に参加していたとしても、女性の気持ちに寄り添うことは別の問題なんです。
家事育児をする男性がいい夫なのではなく、妻の話を聞き、妻の心を理解し、そこに共感の感情を寄り添わせることができる男性がいい夫なんです。
ぼくは当時、そこに気がつくことができませんでした。ただ、家事育児をする自分をいい夫だと勘違いしていたのです。
そして、妻の心の声を聞き逃し、妻はぼくとの生活に心の安定を見出すことができず、わかってもらえないという寂しさをつのらせていったのです。
(この人はわたしのことを理解してくれない)
(この人になにも言ってもムダなんだ)
そんな絶望感が、やがて妻に”情緒的飢餓”を引き起こしたのです。
情緒的飢餓が怒りを呼び寄せる
なぜだかわからないけど、妻から強い口調で責められたことはありませんか?
それが発端となって、相手を責め合ってしまう夫婦喧嘩をしたことはありませんか?
ぼくも何度か経験がありますが、あれって本当に後味が悪いですよね。嵐のように感情が巻き起こって、相手を言い負かしたくなりますよね。
実は、お互いを責め合う喧嘩も、妻から突然責め立てられることも、すべて”情緒的飢餓”が原因なのです。
夫が妻が置かれた環境を理解せず、妻の精神面をケアしようとせず、(妻にとっては)余計なアドバイスばかりをしたり、正論ばかりを言っていると、妻は”心の安全性が失われた”ように感じるようになります。
夫との間にあったはずの絆が見えなくなってしまい、足元の地面がグラグラと揺れたように感じ、急に不安に襲われる。
「安心感が失われた状態」というのは、体が出している「警報」だと、心理学者のスー・ジョンソンは言います。
夫から精神的なサポートを得られないと、妻は”不安”を抱くようになるのです。
不安でたまらなくなると、妻の体はその心理状態を”命の危険”と判断し、”警報”を鳴らすようになります。
この”警報”は脳の反応なんです。だから理屈が通じる話ではないのです。
脳は”考えずに感じ”、体は脳の反応によって”行動”するようにできています。
「こうすべきだ」と、ついぼくら男性は言ってしまいますが(ぼくもよく言っています)、人の脳で起こっている反応は意外にも”考えている”のではなく、”感じている”ことなので、正論や理屈は通じないのです。
1930年代のアメリカの乳児院では、話しかけられることが少なかった赤ちゃんがバタバタと亡くなり、夫婦関係が悪い男女はどちらも心臓発作になりやすくなると言われています。
不安や孤独というものは命に直結しているのです。
そのため、妻は自分の命を守るために本能的な行動を取るようになります。
(夫と一緒にいると心が不安定になる)
そう不安を抱くようになり
(不安なままだと命が危ない)
と脳が感じ、警報を出すようになるのです。
(わたしの命を危ぶむ存在である夫を排除しなければ)
警報が出された妻の脳は、体に”攻撃”や”逃走”の指令を出し、夫と戦おうとしたり、距離を取ろうとします。
愛情不足により情緒的飢餓に陥った妻は、不安に駆られ、警報を発し、攻撃や逃走という選択を取るようになるのです。
これらはすべて無意識のうちに行われているので、理論的な説明を当事者がすることはできないのです。
そのため、当事者である妻も夫も、何が起こったか分からず、ただただ戸惑うことになります。
さらに言うと、人は危機状態に陥るとIQ が14ポイント低下し、徹夜明けやアルコール依存と同じ状態になってしまいます。
夫からの理解を得られないことで、"命の危険"という危機的状況におちいったと妻の脳は判断し、長期的に物事を考えられなくなるのです。
"今ここ"の危機的状況を打破するために、妻は短期的な目線で思考と行動を選択するようになります。
そのため、目の前の危機を脱するために、夫から精神的そして肉体的にも距離を取るようになるのです。
それが妻にとって、自分の命を守るための最善策だからです。
同時に、夫も妻から強い口調で責められたり、距離を取られることで、命の危険を条件反射で感じ、IQが低下し、短期的な行動(強い態度や無理に距離を縮めようとすう)に出やすくなります。
これが産後の夫婦に訪れるセックスレスの根本的な原因のひとつです。
次回は、この課題を掘り下げた"産後の夫婦の目線のズレ"問題をもとに、産後セックスレスの原因に迫りたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?