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「パパもや」の正体を、家族社会学から読み解く
こんにちは。
妻に負担をかけないように、家事や育児を頑張っていたり、仕事も手を抜かずに頑張っている。
うまくいっているはずなのに、なぜか心が満たされず、モヤモヤする。
今日は、そんな「パパのモヤモヤ」の正体について、家族社会学の歴史から読み解いてみようと思います。
先日、あるシンクタンクの方からインタビューを受ける機会があり、ご担当の方が大学で家族社会学を選考されていたとのことで、興味が湧き、家族社外学の本を早速読んでみました。
日本の家族の歴史を知ることは、現代の夫婦関係の問題を考えるにあたっても有効だなと感じる点があったため、記事としてシェアしようと思います。
参考にした本はこちらです。
家族以外のネットワークへの深い関与が、夫婦依存を軽減する
古代日本は農耕社会でした。
集落の全員が協力しあって、畑を耕し農作物を収穫しました。作ったものは現代のように販売するわけではなく、そのまま、集落に住む共同体住民の食料となります。
今日を明日を生きていくために、集落の人間たちは、老いも若きも、男も女も分け隔てなく、みんなが働いていました。
老いたものは働けなくなったり、死んでしまうため、子どもを作ることは、若く頼り甲斐のある働き手を増やす点で、有効な選択でした。
ですが、古代の集落というのは、複数の家族による集合体ではなく、複数の男女が入り乱れた、個人の集合体であり、家族や夫婦としての小さな共同体としての絆は希薄でした。
古代日本では、子どものことを「集落(集合体)としての働き手」と捉えていたため、「誰の子」であるかは、重要ではなかったのです。
今では信じられないですけど。
母親ははっきりしていますが、父親が誰なのかははっきりしなくても追求することはなく、すくすくと育ってくれて有能な働き手となってくれればいいわけです。
その子の「血統」については、誰も関心を持ちませんでした。「集落としての農作業」にとって、「誰の子」であるかは重要ではなかったからです。
古代日本では、男女関係や恋愛関係、そして夫婦関係においても、関係性が緩やかであったと言われています。
好きになったらセックスをし、結婚をし、子どもを作り、そしていつのまにか別れているということもあったようです。
男も女も、同時に複数の人間と体の関係を持ち、それについて咎められることもなかったようです。
「誰かと付き合っている時に、他の人と付き合ってはいけない」というルールもなかったのです。
1960年代のフリーセックスのようですが、あの時代も古代社会のように、複数の人間が一緒に暮らす共同体に興味を持つ人が増え、コミューンと呼ばれる共同体がいくつも生まれたと言われています。
家族として、そしてなによりも「夫婦としての絆」が弱かったのが古代社会であり、その理由は夫婦としての絆よりも、共同体としての絆の方が強くならざるを得ない環境的な要因があったためです。
このように、夫婦としての絆よりも、共同体としての絆が生活に大きな影響力をもたらす場合、夫婦の絆は弱まる傾向があるようです。
カナダの社会学者、エリザベス・ボットは1950年代のロンドン東地区の住む労働者階級の家族について調査をしました。
その結果、個人が親戚や友人と親密なネットワークを作り上げており、そのローカルルールの中で生活し、必要があった際には、ローカルネットワークによって、支援を受けている場合、その個人は結婚生活(夫婦関係)を重視しなくなる傾向があることがわかりました。
ということは、夫婦関係が希薄になる原因というのは、「古代社会」という昔の話だからということではなく、夫婦以外の外部ネットワークが濃密になることで発生する、環境要因の産物であることがわかります。
女性は「家族以外」のネットワークが多様で深い
では、現代の夫婦はどのような環境にあり、どのような絆を形成しているのか?
ちょっと考えてみようと思います。
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