ぼくらはパートナーのキャリアを大切にしているだろうか?社会構造を「自分とは異なる性」の立場から見つめてみる
「男の俺が仕事を辞めるのは、みっともないし世間体が悪い」
Kさんの夫はそう言うと、家族の介護は君がやることになったと彼女に告げた。
その話し合いにKさんが呼ばれることはなく、彼女が夫の家族の介護を行うことは夫と義両親によって決定された。
1990年に大学を卒業したKさんは順調にキャリアを重ね、いつしか夫を超える収入を得るようになっていた。
だが、夫の家族の介護を誰がするかという問題は、収入の多寡ではなく「嫁がやるべきもの」という世間体によって決められたのでした。
育児休業と介護休業が法制化された1990年代、「働く母」として、そして「働く妻」として生きるとはどういうことだったのか?
当時の状況や思いについて、Kさんから詳しくお話を伺うことができました。
子育てや夫婦関係、そして親の介護に悩む方の参考になれば幸いです。
※Kさんに関する他記事はこちら
1991年まで女性の育休は存在しなかった
ーKさんが就職した一年後、育児休業が制度化されます。当時の職場には育児休業を手に入れるために苦労した女性が多く、Kさんは育休誕生以前の貴重な苦労話を先輩たちから聞く事ができました。
私が大学を卒業し就職したのは1990年です。
私が就職したところは労働組合がしっかりしていて、私も就職と同時に組合の一員となりました(といってもよく分からないことだらけで、年に数回、正職員が集まって職場の労働状態について話し合う程度の活動でした)。
そこで、新卒者対象の「労働者の権利」の勉強会があり、私もいろいろ教えてもらいました。
この時、ご年配の女性職員から、昔のご苦労を聞かせてもらったんですよね。
初めて聞くことばかりで、とても興味深かったことを覚えています。
今は当たり前になっている「産前産後休業」も、昔は今より短かったそうです。あるいは組織のトップの意向で、法で定められた制度であっても「あるようで無い」状態で扱われたり…等。とにかく昔は女がフルで働くことは、何かを犠牲にしなくてはいけないことで、本当に苦労した…というお話でした。
そのなかでも、特に心に残ったのは、昭和時代は「育児休業」がなかったため、子供を産んで産休が終わったらすぐに復帰されたそうです。
この辺りでやはり葛藤があった…と、皆さん、おっしゃっていました。
まだ首が座らぬ我が子を置いて職場に復帰し大変だったこと
同居している舅姑に子供を見てもらいながら働き続けたこと
周囲からの理解ない言葉に耐えたこと
職場の近くに子守をしてくれる人を見つけて頼み、休憩中に母乳を飲ませに行ったこと
そんな家事と育児と仕事の両立で苦労した話を聞かせていただき、既婚女性の大半が主婦になる時代に、フルで働き続けた女性たちの体験談はなかなか壮絶で、深く心に残りました。
彼女たち曰く、
「私たちは、働き続けながら『こういう制度が欲しい』と主張し、訴え続け、ようやく勝ち取ったのが、これらの権利なんですよ」
それが、「生理休暇」であり、「産前産後休業」(略して産休)です。
当時は女性が家庭を持っているのに働き続けることは「ワガママ」と言われていたので、そこに生理休暇や産休を獲得していくことは、権利とはいえ「女の甘え」だと反発されることもあったようです。
特に企業や組織のトップは男性が占めているので、女性が権利を使って休むことに対して、「その穴を誰が埋めるのか?」議論に至ることが多かったんです。
結局は「休みたがる女の始末を俺たち男がやってあげているんだ」という不満や、休業中の賃金を払わなくてはいけないことへの不満が重なり、あまり良い顔をされなかったんですよね。
だから、皆さんに迷惑をかけてはいけないと、無理して男性並みに働かなくてはと頑張る女性も多かったし、また、男並みに働けなければ辞めるしかなかったんです。
こうして、産休が今の形へと整えられていきましたが、その一方で、働く女性たちは更に「出産後も子供に寄り添える休暇が欲しい」と訴え続け、1991年に「育児休業」が誕生し、また「家族の介護のために仕事を休める制度が欲しい」と訴えたことで「介護休業」も生まれました。
当時は、育児も介護も女性の仕事になっていたので、こうした労働者の福祉に関する法律は、全て女性のため…という感じでした。
今では、皆さん当たり前のように「育休を取ります」と言っていますが、皆さんの親世代には無かったり、それほど浸透していなかった制度なんですよね。歴史的にはまだ新しいです。
でも、今こうして皆さんが普通に取得できるのは、先人の働く女性たちが「社会のために」と訴え続け、また、社会的な理解が追い付かない中でも、これらの制度を利用しながら社会的信頼を勝ち取って頑張ってくださったからなんです。先人の努力の賜物なんですよね。
ですので感謝しなくてはいけないと思います。
そして、今の若い世代も「こんな社会にしていきたい」と願うことがあるなら、ちゃんと社会に訴えかけ働きかけていくことが大切だと思います。
ちなみに、この時、私たち新卒者に話してくださった先輩女性職員は、当時50代でした。皆さん、定年退職までもう少し…という方でした。今もお元気でしたら、80代になっておられると思います。
こんな感じで、社会人一年生で「労働者の権利」についていろいろ教えていただき、大変勉強になりました。
働くことと暮らしの両立が始まった90年代
ー育児休業が導入された1990年代、働く母として1年間の育休を取得されたKさんは、当時を振り返り「いい思い出になっている」とおっしゃいます。
最近は、男性の育休が話題になっていますが、私はとても良いことだと思います。
男性も育休を…と言われるようになったのはここ近年で、少し前までは、女性に限定された制度だったんです。
ですので、高齢男性のなかには「男の自分が育休を取る」という発想自体、そもそも持っていないかもしれません。
だから、若い世代のパパたちが育休を取得するのを見て、「意味が理解できない」「信じられない」と感じている方も多いんじゃないかな…と思います。
また、介護休暇(介護休業)については、私が20代の頃に、職場のベテラン先輩の女性達が、同居の舅や姑の介護のため年休を取られるようになり、職場でも「介護のためのお休みが取れるといいなぁ」と話していたんですよね。すると、その後、私の職場でも介護休暇が導入されるようになりました。
当時は、やはり育児と同様で、介護も女性の仕事でした。
ですので、家族の中で具合が悪い人が出てくると、嫁や娘が仕事を休んだり退職して、家族の介護に携わることがほとんどでした。
ところが近年、独身率が高まったこと、少子化で兄弟が他にいないこと等で、親の介護を男性も担うようになりました。そこから、男性が介護休業を取ることは特別なことではなくなり、普通に広がっていったように思います。
しかし、育児休業については、そもそも仕事が忙しすぎて休めないこと、キャリアに傷がつくのではないかという不安、人不足で代わりのスタッフがいないこと、家系的に保守的な価値観が強い…など、様々なことが足かせとなり、今もハードルが高いかもしれません。
でも、育児も介護も、家族と向き合うことですし、特に育児は、その瞬間、その時、子供の近くに居られることは、後々、何物にも代えがたい大切な宝物になるはずです。
お金につながらない体験かもしれませんが、人として大切な体験だと思うのです。
ちなみに私の場合は、私が育休を取って一年仕事をお休みしましたが、とても良い思い出になっています。
当時の夫の職場は、牧歌的で自由が割と効くところでしたので、夫も子供のために時間休を取ったり、有給を取ってくれたり…等。夫は、育休は取らなかったけど、割と自由に子供に関わることができました。
そうそう、昔、私が子供だった頃(昭和40~50年代)は、労働時間が済むと、お父さんはみんな帰宅していたんですよ。
夕方、外で遊んでいたら、仕事を終えた友達のお父さんが向こうから帰ってくるのが見えて、「お父さん!」と手を振って、その友達が走っていった姿を今も覚えています。
夕方5時をすぎると、お父さんたちは帰宅していたんです。昭和時代はのんびりしていたんですよね。
でも、どこからか、労働時間がおかしくなってきたんです。バブルの頃からでしょうか。
バブルの頃は、不夜城のように寝ずに働くのがカッコいいといわれる風潮があり、「働く」と「遊ぶ」がワンセットでした。
その後バブルが崩壊。どこも財政難に陥り、人件費削減とばかりに大量リストラが起きます。凄惨なリストラの後、職場に残った少ない職員は膨大な量の仕事を抱え込まされ、ボロ馬車のように働かないと仕事が終わらない、食べていけない…そんな社会になったんですよね。
そして今。
働くことと暮らしの両立は、女性だけでなく男性にとっても大切な課題になっています。世の中が、それだけ変わってきたのでしょう。良い形での変化だと思います。
「男の俺が仕事を辞めるのは、みっともないし世間体が悪い」
ー育休取得後に職場復帰されたKさんですが、夫の家族の介護のために退職することになります。その決定は、Kさんの意思とは無関係に決められました。当時の思いを振り返りながら、今の時代を母として父として生きる方へのメッセージをKさんからいただきました。
ちなみに私は、家族の介護のために仕事を退職し、今に至っています。
「家族の介護をどうするか?」となったとき、嫁である私がやるもんだ…と有無を言わさず、そう決められてしまったんですよね。
夫と義親で勝手に話し合って決められていました。夫は私に「男の俺が仕事を辞めるのは、みっともないし世間体が悪い」と言ったんです。
当時、私の方が夫より年収がやや上だったのに、やはり世間体で「女がやるもの」になっていました。
私も泣く泣く退職しました。
でも、その後、夫が仕事の愚痴や文句をこぼすことがあったんですね。その時、私はこう言ってきました。
「でも、あの時『どっちが仕事を辞めて介護をするか?』で話し合ったら、あなたは『男の俺が家に入るのは世間体が悪い』と嫌がっていたじゃない。
それで私に仕事を辞めさせたんでしょう?
私の人生を勝手にいじっておいて、今頃「やっぱり辞めたい』だなんて虫が良すぎるんじゃないの?
『俺が働く』と決めて言った以上、最後まで責任を取って頑張りなさいよ」
すると、私を退職に追い込んだ引け目があるから、黙っちゃうんですよね。
「あの時、あなたが主夫になってくれていたらよかったのにね」と笑っています。
お陰様で、夫は定年までキッチリ勤め続けました。
それなりに出世し、部下からも慕われて、良い上司だったようです。
その間、夫は家でよく私に仕事の相談をしてきたんですよね。私も夫に専門的なことをいろいろアドバイスしてきました。
ですので、夫が仕事を続けつつ、私も夫のコンサルのように関わり続けてきたので、二人三脚で社会人人生を歩んできたような感じです。
でも、私にはなんのキャリアもなく「主婦」という肩書きしかありません。社会的な立場を築いた夫とは大きく差がついてしまいました。
これからの若い世代は、パートナーとよく話し合い、世間体に振り回されることなく、二人で必要な役割や担当を分担し合い、助け合ってやっていってほしいなぁと思います。
パートナーに対してリスペクトの念を持ち、パートナーの能力が生かせる場をちゃんと守ってあげてほしいです。
大変なときは、片方に押し付けるのではなく、ちゃんと二人で助け合って協力し合い、大変な時期を共有して乗り越えていく。
二人で良いことも大変なことも分かち合い、二人で同志のような気持ちで暮らして欲しいなぁと思うのです。
◇
ぼくら夫婦は、お互いに相手のキャリアについて分かり合えているのだろうか?
これからの人生を、どのような仕事をして生きていきたいと思っているのか?
子育てや介護に翻弄されず、一人の人間としてどのような生を刻んでいきたいと思っているのか?
妻とそんな話をしたことがあっただろうか。
Kさんのお話を聞きながら、そんな思いをしみじみと感じました。
そして同時に、働く女性の歴史に興味がわき、詳しく調べてみることにしました。
社会構造を「自分とは異なる性」の立場から見つめることは、もうひとつの視点が手に入ったような不思議な感覚でした。
蛇足となりますが、お付き合いいただければと思います。
こちらを読んでいただけると、1990年に働く母として生きたKさんの軌跡がより鮮明になるかと思います。
働く女性の歴史とは?
1990年代の働く女性について理解するには、1930年代年まで話をさかのぼるととてもわかりやすかったです。
1930年代、日本は日中戦争を経て、第二次世界大戦へと向かいつつあり、成人男性はどんどん徴兵され、日本の産業界は人手不足に陥っている状況でした。
その人手不足を解消させるために、女性の職場進出が国策として進められていったのです。
その国策は1942年に国民動員計画と呼ばれ、女性ができる仕事については男性の就業を禁止するようにまでなりました。ちょっと今では考えられないですよね。
事務の補助、現金出納係、店員、外交員、集金人、出改札係、車掌などの17種の職種に関しては、男性の就業が禁止され、女性しか働くことができなかったのです。
国による女性の就業を後押しする動きがあったおかげで、ホワイトカラー職に占める女性の割合はどんどん増えていきました。
それまでは企業における女性の定年は30歳だったのですが、企業の中には女性社員の定年を男性と同じ55歳に引き上げるところも出てきました。
そして、終戦間近の1944年には、航空機工場などブルーカラー職にも多くの女性が強制的に進出させられるようになります。
戦況が悪化し、ナショナリズムに染まった国家は、息子を戦場へ、娘を工場へと送り出すようになったのです。
当時の厚生省のある役人はこう発言しています。
「父母は息子を兵隊として捧げるやうに、誇りをもって娘さんを生産戦線に送つていたゞくやう・・・働かぬ娘ははづかしくて家にをられぬくらゐまで滲透徹底させたい」
※出典:「働く女性の運命」
男性しかいなかった職場に大量の女性(1945年頃には300万人)が入るようになり、多くの労働組合には婦人部が作られ、この婦人部による運動が今も続く女性の権利獲得へとつながっていきます。
その後の1947年の労働基準法によって生理休暇が認められたことも、この当時に暫定的に実施されていたことがきっかけでした。
ちなみに、生理休暇については1917年まで話をさかのぼるとわかりやすくて、明治時代の西洋化によって「生理中は体調不良になるという知識」が外国から入ってきたのですが、一般大衆までは広がりませんでした。
ですが、大正時代末期に「職業婦人」として「女医、女教員、看護婦、産婆、保健婦」などの知的専門職に就く女性が増え、「労働と母体の保護」を訴える声が大きくなっていきました。
そして、1917年の全国小学校女教員大会で「生理休暇の要求」が初めて行われ、その後、1928年には労働者階級であるバスの女性車掌たちによって「労働組合による初の月経時の休暇要求」があり、その流れが多くの工場で働く女性労働者たちにも波及していきます。
政府による月経時の女性労働者の環境調査なども行われるようになりますが、事態は大きく変わらず、転機となったのは第二次世界大戦後のGHQによる日本占領でした。
GHQによる日本の民主化原則には「男女平等」が掲げられていたため、女性労働者たちによる「働く女性の環境改善」要求が強くなり、また共産主義者による労働闘争も激化しており、対ソ連対策として日本の民主化を急いだGHQは、1946年3月ついに生理休暇を保証することになったのです。
そして、その背景には日本とアメリカの女性官僚たちによる活躍がありました。
GHQの経済科学局の女性局員であったマリア・ミード・スミス・カラスが率いる形で、GHQの関与で作られた労務省(今の厚生労働省)の女性官僚たちと各都道府県の婦人少年地方職員室の女性職員たちが力を合わせ、日本女性の社会的地位の向上に尽力していきます。
そして、その成果が「生理休暇」であり、「男女同一労働同一賃金」だったのです。
話は少し戻りますが、戦後、戦争から戻ってきた男性たちに職を用意するため、政府は職場から女性を排除し始めました。多くの女性の車掌が活躍していた国鉄でも、女性を中心として人員整理が行われました。
1940年代から1950年代は、職場における女性の待遇が悪化し、女性たちがその体制に声を強く上げ始めた時期でもありました。
特に、1948年に女性比率が50%を超えた小学校教員の間では、産休時に仕事が回るように「産休代替教員」の成立に向けて、多くの働く女性たちが声をあげていました。
「戦後女性教員史」には、1940年代後半から1950年代の女性教員について、こう書かれています。
産前代替教員が得られない状況で、「女性教員は、校長や同僚に気兼ねをし、教え子や父母への申し訳なさから、産前に休暇をとることができず、体育の授業等、妊娠した体には重い業務も行ない、勤務中に陣痛が起ってから産婆へ直行する」ことも多かったという。
1951年の調査によると、女性教員の流産・早産・死産は34%に及び、その数字的論拠を持って、女性教員たちは産休代替教員法制化を訴えていきます。
法制化のため、国会の廊下には毎日女性教員が溢れかえり、議員バッジをつけた人間は誰ひとりとして逃さないように陳情を続け、ついに1955年、産休代替法は成立されたのでした。
しかし、成立当時の産休代替法は現場にそくしたものではなく、産休代替法を守らない学校も多かったため、女性教員たちは粘り強く交渉を続け、1961年ついに産休代替教員の配置が義務化されることとなりました。
そして、その後の働く母たちによる粘り強い活動により、1975年ついに特定の職場(学校、医療施設、福祉施設、保育所など女性が多い職場)における育児休職制度が法制度化されます。
その後、1991年に職種や性別を問わずにに取得できる育児休職制度がやっと法制度化されたのでした。
◇
Kさんの「働く母としての実体験」をお聞きし、そしてそれに触発され、働く女性の歴史(特に女性教員の歴史)を調べるなかで、ぼくはあることに気がつきました。
それは、いままでぼくは「女性側の視点」で世界を見ていなかったということです。
自分の家族、会社、そして過去のこの国の歴史においても、ぼくは知らず知らずのうちに男性側の視点で世界を見ていたんだと思うんです。
日本の歴史を「女性」というフィルターを通して見ることや、Kさんという働く母として、働く妻として生きてきた方のフィルターを通して世の中を見ることで、ぼくは今まで見落としてきたものがたくさんあるんじゃないのかなと思うようになったんです。
「男性と女性では見えている世界が違う」とよく言いますが、ぼくは男女は住んでいる世界自体が違うと思うんです。
多くの人はそこに二つの世界があることに気がつきません。目に見えているとしても、当たり前の光景としか受け取らず、違和感に気がつかないのかもしれません。
男も女もみな、同じ世界に住んでいると思っているんです。
でも、ぼくら男女は、この国の中で同じように暮らしていながら、実はまったく違う世界を生きてきたんだなって思うんです。
ぼくの隣にいる女性は、ぼくと違う世界を生きている。
それを知ることで、男女間の理解は始まるのかなと思うのです。
※Kさんに関する他記事はこちら
※本記事の参考文献
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