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【やがて君になる】変化や多面性を許す愛

 「やがて君になる」、完結おめでとうございます……!
 このnoteを始める前、アニメをやっていた頃に書いていたメモを、これを機にちゃんと文章にまとめようと思います。
 大切なことですが、私は【7巻までのエピソード+1話は本誌で既読】で、【この文章は7巻までのネタバレ】を含みます。
 のんびり書いていたら最終巻発売の月になってしまいました。。。早いですね。。。

 さて、私は別の作品同士で同じ要素が描かれていると思ったとき、繋げたり照らし合わせたりして考えるのが好きなのですが、私が「やがて君になる」(やが君)を読みながら思い出していたのが、児童文学「ドラゴンラージャ」(DR)シリーズの、愛という概念について「愛とは一種の破壊です」と語られた場面でした。
 この文章はその場面のフレーズをキーとして、やが君の二人について考えてみたものです。以下のような目次にまとめてみました。

1.やがて君になる:「好きって暴力的な言葉だ」


*「やがて君になる」とは
 仲谷鳰さんによる、電撃大王で連載、最終回を迎えた漫画。
 特別な気持ちを向けられても分からない、応えられないと思っていた先輩・燈子と、同じように自分は誰のことも好きにならないと思っていた主人公・侑。誰のことも好きにならないと零した侑に、燈子は惹かれ、二人は恋人のように距離を縮めていきます。
 作品では同性同士の好意・愛情を通じて「特別な気持ち」「好きという気持ち」とは何か、ということが掘り下げて描かれています。
 また燈子はある理由で特定の人物像を目指して自己を形成しようとしていて、「自分が思う自分」「他人から見える自分」「他人が愛する自分」といった要素も繰り返し出てきます。

 早速ですが、章タイトルにしている箇所を以下に引用します。
〈〉内はモノローグ、「」内は台詞です。

〈「好き」って暴力的な言葉だ〉
〈「こういうあなたが好き」って/「こうじゃなくなったら好きじゃなくなる」ってことでしょ?〉
〈「好き」は束縛する言葉〉
〈だから「好き」を持たない君が/世界で一番優しく見えた〉
〈侑は実際とても優しい人だった/私をどこまでも受け入れて/ただそばにいてくれる〉
〈この心地よさを知ってしまったら/もう二度と/ひとりには戻れない〉
「侑 好きだよ」
〈これは束縛する言葉〉
「君はそのままでいてね」
〈どうか侑/私を好きにならないで〉

(『やがて君になる 2』「第十話 言葉で閉じ込めて」pp.169−172)

 「好きは束縛する言葉」と分かっていながら、侑を束縛しているところ、読み返す度に燈子のずるいところだなあと思います。
 愛する相手に愛されたいという気持ちを持たずに済んでいて、かつ愛する相手を愛することを許されている状況も、本当にずるいと思う……。
 侑は自分の愛で変化しない=自分が愛することで束縛され得ないと思っていたとしても、「君はそのままでいてね」と願ってしまうのだから、それは願う必要があることだと無意識に感じていたんじゃないのかとも思います。

 整理して解釈しようとしてみると、燈子が求めているのは、自分を受け入れて、ただそばにいてくれる人。燈子には自分が認識している元々の自分と、自分が「姉らしく」と演じている自分とに差異があると思っていて、後者の側面に惹かれる人を受け入れられない。前者を知ったら好きじゃなくなる、と思っている。
 侑は後者の側面に期待して自分を好きになるということはないから、自分を構成する要素が壊されることはないと安心している。好きにならないで、とは、自分を変化させないで/期待しないで/今のバランスを壊さないで、ということ。

 2巻で前者の側面を知った侑がみんなが前者を知っても大丈夫、と言っても、燈子にとっては後者が完全な理想であるから、そんなことは「死んでも言われたくない」。侑は燈子が自らを開示することを拒絶し、侑自身からも離れようとしたとき、自分は燈子から燈子自身を開示されても変わらない、「だから私なんでしょ」と乗り越えるわけですが。

 その時点で侑は、燈子に好きでいてもらうために自分を閉じ込めたわけで、このあたりのすれ違い、認識の違いが6巻ラストの侑の「好きです」と燈子の「ごめん」まで響くんですよね……。

 と、このあたりのアニメを見ていて思い出した「ドラゴンラージャ」の該当箇所を、次に紹介します。


2.ドラゴンラージャ:「愛とは一種の破壊です」


*「ドラゴンラージャ」シリーズとは

 韓国発の児童書で、ドラゴンの被害に遭っていた辺境の村から、主人公・17歳のフチ含む一行が首都を目指す物語。著者はイ・ヨンドさん。
 軽妙なやりとりの中、児童書にもかかわらず死生観や宗教の問題、偏見の問題などが全く手を抜かれずに書かれていて、小学校高学年で読んだ私はものすごい衝撃と影響を受けました。

 まず、その「愛は破壊」という言葉が含まれているやりとりを要約しつつ引用します。
 登場人物は聖職者のジェレイント、それからフェアリークイーン・タレニアンです。フェアリークイーンの恋人であったかつての大魔術師・ハンドレイクも話題の中で出てきます。
(※DRにはいくつか人間以外に知能のある種族があって、ドラゴンも実はそうなのですが、フェアリーもそうです。種族が違うと価値観や思考の前提が大きく異なるので、それも作品の魅力のひとつです。ちなみに大魔術師ハンドレイクの時代は300年前まで遡るのですが、フェアリーは長生きなので物語時点の登場人物たちと会話し得たというわけです)

 かつて建国にも関わった大魔術師には生涯をかけた願いがあり、しかしその達成の邪魔をしてしまったのが、フェアリークイーンでした。人間ではない彼女は、身を砕くように(自分以外の何かに惹かれ)邁進する大魔術師に、「彼の夢は私の夢」的な小さな共鳴ができなかった。人間が複数の側面を持ち、彼が目標に邁進することと、自分に心をかけることが別々に同時に成り立つと理解できなかったのです。
 達成の邪魔をしてしまった後、彼女は自分を殺してくれとハンドレイクに嘆願するのですが、それでも彼女を愛しているハンドレイクはその願いを聞き入れませんでした。フェアリークイーンは、愛しているから殺せないという単純な理由を理解することもできず、むしろ彼は自分のために行動してくれなかった、彼は私に心をくれなかった、ずっとそう思っていた……。と、そういう流れからのやり取りです。
 ジェレイントが、ハンドレイクはタレニアンに何かしてくれと望んだことがあったか、と彼女に訊ねます。

「ハンドレイクが、あなたになにか要求したことがあるか、とたずねたんです。自分を理解してくれと訴えたことがありましたか。あなたにこうなってくれとたのみましたか。あなたに変化を要求しましたか。」
 タレニアンは口をあけたまま、なにも答えなかった。
「一度もなかったでしょう。われわれがふつう、愛と呼ぶものは一種の破壊です。相手にたいする積極的な破壊行為でしょう。その点で、あなたの言葉は正しかった。われわれは炎かもしれません」
「愛が破壊……?」
「そうです。相手をそのままにしておけないんです。どうにかして、自分を愛してくれるように望みます。その人なりの楽しみ、喜びを捨てさせ、自分といっしょにいることによって楽しみ、喜ぶことを望むんです。相手の気持ちを理解してやらずに。この点では、愛と憎悪はほとんど同じです。いずれも、相手を変化させようと必死になるものだから」

(『ドラゴンラージャ 10 友情』「第十三章 大魔術師の挽歌」p.188)
「愛は、もしかすると、すべての種族にとって、同じように炎かもしれませんね。あなたは、彼の変化を望んだはずです」
「変化……?」
「万物を愛するハンドレイクではなく、自分のために生きるハンドレイクを望んだはずです。あなたは、世界を愛する人間というものに、耐えられなかったんでしょう。実際、誰がそんな人を受けいれますか。あなたも彼を自分の思いどおりにかえようとした。愛という名で、彼が彼のままでいることを許さず、彼を破壊して、作り直そうとしたんでしょう。どうです?」
 タレニアンは、なにも答えられず、ジェレイントの顔を見つめるだけだ。ジェレイントはうなずいた。
「あなたは、彼にあわせて自分の愛を変化させるのではなく、あなたの愛にあわせて彼を変えようとしました。少なくとも、私の聞いた話のかぎりでは」
 タレニアンはおずおずと言う。
「それでは、おまえが言う、本当の愛とはどういうものだ」
「相手をありのままに愛すること」
「そんなもの、無関心とどこが違う。相手をほうっておくというなら、無関心と同じじゃないか!」
 タレニアンの小さな体が、怒りでふるえている。だが、ジェレイントは淡々と応じた。
「そのふたつを区別することはむずかしいでしょう。私ととしても確信はありません。神がわれわれを愛しているか、無関心なのか、区別することはむずかしいのと似ています」

(『ドラゴンラージャ 10 友情』「第十三章 大魔術師の挽歌」pp.190–191)

 「愛というものは一種の破壊行為」と「好きって暴力的な言葉だ」「好きは束縛する言葉」は、とても似ているように思います。
 引用ひとつめの「相手の気持ちを理解してやらずに」に関して、燈子は確かに侑の気持ちを理解せずに行動していましたが、侑の気持ちは揺らぐことがないと思っていたから、理解しようとする必要性もないと認識していたのでしょう。

 「相手をそのままにしておけないんです。どうにかして、自分を愛してくれるように望みます。」という部分は「好きにならないで」と願っているので少しねじれていますが、自分と一緒にいてほしい、そして自分のためのあなたでいてほしいと、確かに燈子は思って(想って)います。

 そして、一方で侑は、引用したアニメ6話・原作2巻(第10話「言葉は閉じ込めて」)時点で〈わたしは本当のあなたを知ってて/それでも一緒にいたい/好きになりたい〉(p.155)と思っていて、「相手をありのままに受け入れる」「本当の愛」に近い気がします。
 「相手をありのままに愛する」愛の形だったからこそ、愛しているのか無関心なのか分かりづらい部分について、燈子が無関心であると認識し続けていたのも、改めて納得です。

 侑は元々優しいから、「侑は優しい」と燈子が認識してるその優しさが、侑自身が持っている性質としての優しさなのか、侑が燈子だからこそ向けている好意の現れとしての優しさなのか、ということも認識のズレを生んでいる一因に思えます。
 その優しさを発揮されている状態を、燈子は元々の優しさという認識でいたから「侑は変わらない」と言ってたけど、実際が好意の現れとしての優しさだった場合、侑が燈子に優しさを発揮して許し続けるということは、変えられ続けている、破壊され続けているということになるのでは? それから、燈子の愛を受け入れ続けているということにもなります。受け流すのではなく。

 だって侑は「変わりたい」って初めから思っています。同じく2巻第10話の、

〈わたしを見て嬉しそうにするこの人を可愛いと思えるようになりたい〉(p.136)
〈先輩と一緒にいられないなら/わたしに誰が好きになれるの〉〈いやだ〉(同 p.160)
「七海先輩」「わたしはどっちの先輩のことも好きにならない」「これまでもこれからも」「先輩のこと好きにならないよ」(pp.161-162)

 といった思いや言葉からは、侑が本当は好きになれたらいいのにと願いながら「好きにならないよ」と燈子のために自分を破壊・束縛していることが分かります。
 侑は、自分の愛にあわせて燈子を変化させるのではなく、相手にあわせて自分の愛を変えたわけです。

 しかし結局侑も変化してしまって(というか、自分の変化を伝えたくなるほど、相手の変化も求めたくなるほど変化が大きくなってしまって?)、それはでも、燈子の想いが届けられ続けていて、それが侑の心に響いたからで……。
 それなのになんで両思いになれないのか……というねじれはでも、元々燈子が好きになってくれた時点の自分から変化することは、好きになってくれる相手にとって許されないことだと思っていたから。

侑はあれを告白への断りの返事だと受け取っただろうか/
そうじゃないんだよ/
ただ今まで君の気持ちを顧みなかったことを謝りたくて…/
だけどそんなこと言って何になる/
だって結局答えは同じだ/
私は侑の気持ちに応えられない
(『やがて君になる 7』「第35話 一人と一人」p.18)

 侑に「好きです」と告げられ、零れた言葉が「ごめん」だった燈子。
 「侑の気持ちに応えられない」というのは、侑の期待に応えられない、侑が今好きでいてくれる自分のままではいられない、という意味に受け取れます。

 そこで変わりゆく燈子に届いたのが沙弥香の言葉なのだから、本当に切なくてままならないものですね……。

3.佐伯沙弥香:「好きって信頼の言葉」

 一年生のときからの想いを伝え、入学当初から見てきたあらゆる側面について「ぜんぶ好き」と告げた沙弥香。
 自己の多面性に人一倍自覚的だった燈子が、「いつから私のこと好きだったの?」に始まり直球で投げる質問の一つ一つに、沙弥香は真摯に答えます。
 会った頃の自分と今の印象は違うだろうけど、それでも好きでいられるもの? という質問に対する答えは、以下のような言葉で落ち着きました。

「好き……って
「今のままのあなたじゃなきゃ嫌だってことではないけど/どんなあなたになってもいいってことでもないと思う
「だからなんだろう……
「あなたは私の好きなあなたでいてくれるだろうっていう/信頼の言葉/かな」

(『やがて君になる 7』「第38話 針路」p.111–112)

 燈子は「沙弥香の期待は優しいんだ」と言いますが、彼女の「好き」は確かに、相手のありのままを愛する、そしてそこに変化も許すような優しくて大きな愛。

 沙弥香の告白を受け止めて、断って、侑が好きだと認めた燈子は、侑の「好きを持たない」というきっかけであり理由だった特別さがなくなっても、自分が侑を好きだということになると気付くことに。

 2巻で「だから私なんでしょ」と侑に言われた燈子でしたが、侑はその前に「ほんとは寂しいくせに」とも告げています。
 そして7巻で、自分の求める侑、侑が備えていた特別さはもうないから仕方ないと思う燈子はでも、「寂しい」と感じている。
 初めの寂しさは「誰か」を求めていたかもしれないけれど、侑との関係を積み重ね、侑とともに変わっていった燈子が感じた寂しさは、侑の不在に対する寂しさ。だけど「だから私なんでしょ」と言ってくれる侑はもういないから、燈子から会いに行くことになります。「だから」がなくても侑でいい、侑がいいんだと分かったから。

 変化が許されると知った燈子は、きっと侑からの「好き」を受け止める覚悟ができたことにもなって、だから侑に会いに行けた。
沙弥香が背中を押したことになるというのが、繰り返しですけど本当にままならなさすぎて切なくて苦しいのですが……。

4.相手の中の自分を認める両想い

 「好きが欲しい」と願った侑は、ある意味燈子にとっての楽しみ、喜び(=好きを持たない自分という安心)を捨てさせて、自分からの「好き」前提でそばにいることを願ってしまったわけで、それは「相手の気持ちを理解してやらずに」と言えるかもしれません。
とはいえ、それは燈子が「相手の気持ちを理解しようとしなかった」結果の決壊とも言えるのですが。
 だけど燈子ももう一度、「好き」を持つ侑に会いたがる。侑からの「好き」を欲しがる。

 侑の伝えた「好き」が「相手の気持ちを理解してやらずに」で終わらなかったのは、二人が両想いだったから。ーーというか、両思いになれるような信頼関係を、これまでに築いてきたからだという解釈をしたいです。
 侑は、自分が変わってほしいと願っているだけで、先輩のためではなく自分のための望みかもしれない、というところも呑み込んで燈子の背中を押してきたわけですが、そういう侑のためとして始まった願いや望みが燈子に届いたから、全部二人のためになったと思いたい。

 それから、愛しているから相手に変化を求めずにはいられない、というのと同じように、愛しているから相手のために変化せずにはいられない、愛する相手のための自分になりたいと自ら変化を望む、ということも、強烈な願望として起きるんだろうなと思います。
(自分に合わせて相手を変化させようとする破壊的な愛ではなくても、自分を変えたいと願い、変化させてしまうくらい、きっとそもそも愛とは破壊的に大きなもので、自分を相手に合わせて変えることは、自分を相手に帰属させるとも言えるから、もしかしたら束縛的ですらあるのかも。……ちょっと逸れました。)

 侑の愛はそれこそ、自分を変化させて燈子を受け入れようとして(自分の中に閉じ込めようとして)、それでもどうしようもなく相手を変えてしまいたくなって、決壊したわけですが、侑は「好き」を閉じ込める以外にも燈子のための自分でありたいと願ってきたわけで、甘えるのを許すこと、生徒会の一員として支えること、そういった侑が燈子に向けた一面は変化でもあり、信頼を築くことになった要素かと思います。
(特に恋愛的なものと関係なくても、人間関係全般に言えることかもしれませんが。そしてそこまで考えると、きっと接する相手ごとに相手に見せる自分の要素は異なるわけで、誰でも新しい人に出会ったとき、変化することになるのかもしれないけれど……。)

 もう一度ここで沙弥香の優しい期待のことを思い出すと、「ありのままに愛する」と「変化を許す」は似ていて、「変化を許す」とは「相手の多面性を受け入れる」ことであるようにも思えます。
 すると、きっと相手の気持ちを考えずに変化を望む、ということは、多面性、つまり相手の中に自分と関係ない他の要素があることを認められず、相手の中の自分の存在感に対して物足りないと思ってしまうから起きるのかも。
(そう考えると、人間は単数ではないという認識を持てなかったタレニアンが暴力的な手段に出たことも納得はできるような気が……)

 両想いの実感によって、相手の気持ちを無視した変化を望まずに済むのだとすれば(あるいは無関心、というのがここでも出てきますが)、それは相手の中に自分がいると分かっているから。相手の中にいる自分を認められているから。

 侑のことが好きだと改めて自覚した燈子は既に愛されていることを知っているし、侑との関係性と一緒に築き上げてきた自分自身のことを認めることもできている。だから話がしたいって言えたんだ、と思います。燈子はどこまでもずるくて、でも二人がお互いの中にお互いを認められたと思うと本当に嬉しいのです。

最後に:Bloom Into Youという副題

 さて。こうしてあれこれ考えたあと、改めてやが君の副題が「Bloom Into You」と付けられていることに気付くと、何て完璧なんだろうと思います。

 君の中へ開花する。君の中に咲き誇る。

 燈子の、姉のようになりたいと思う自分ではなくて他に積み重ねてきた燈子自身が開花する?
 侑が「好きが欲しい」と願い続けた末に燈子に対する特別な気持ちを手に入れたこと?
 二人が一緒に変わっていった末に同じ気持ちが相手の中に生まれたこと?

 そのどれでもあると受け取ることができるように感じています。
 最終巻発売が迫る今、物語がどう終わるのか、二人の想いがどのように花ひらくのか、心から楽しみです。

余談:
やが君を見たり読んだりして思い出すのが、ロックバンド・BaseBallBearの「変わり続ける君を 変わらず見ていたいよ」(short hair)という歌詞のフレーズ。
愛は相手を変化させてしまうことを、まるごと肯定しているというか、変化さえ愛してしまえる状態を愛と歌っているというか。
大好きな曲なのでぜひ聴いてみてください~ 本田翼さんもかわいい🌟


引用文献

イ・ヨンド(2006)『ドラゴンラージャ 10 友情』ホン・カズミ訳、岩崎書店
仲谷鳰(2016)『やがて君になる 2』KADOKAWA
仲谷鳰(2019)『やがて君になる 7』KADOKAWA

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