「価値観」というもの正体
「海外にいったら価値観が変わった〜キャピキャピ」
昔はこういう人を見て、「クソ!!キャピキャピしやがって!!!」と思っていたが、あながち馬鹿にできないと最近は思う。
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「自分の考え」というのを把握できているだろうか。
正確にいうと、「自分の考えていること」と「社会が考えていること」を区別することができるだろうか。
人間、自分自身で考えていることというのは、かなり少ない。
「自分の考え」と思っていることの大半が、「自分がいまいる社会が考えたこと」だ。
A社にいると、A社の考えたことが。東京にいると、東京の考えたことが。日本にいると、日本の考えたことが。
しかし、この「社会が考えたこと」はじょじょ〜に、じょじょ〜に人の中に刷り込まれていく。
だから、人はその考えが、「自分」が考えたことか、「社会」が考えたことなのか、区別することができなくなる。
その結果、すべて「自分の考え」と勘違いしてしまう。
だからよく、「海外にいったら価値観が変わった〜キャピキャピ」とかいうのは、正確にいうと、自分の中には「自分の考え」と「社会の考え」があり、その「社会」の部分が変わった。という表現が正しいとわたしは思う。
じゃあ、「自分の考え」に気づくにはどうするべきか。
その一つが、さまざまな階層の環境を「たくさん変える」ことだと思う。
住んでいる街。働いている会社。関わっている人。いまいる国。
社会というのは、いろんな階層の環境で成り立っているから、そのさまざま階層を変えてあげる。
環境を変えるたびに、「考え方が変わったなぁ」という実感があると思うが、どれだけ環境を変えても、自分にとって変わらない考えが、ほんのちょっとだけある。5%くらい。
たぶん、その変わらない5%くらい。それがホンモノ「自分の考え」。
いわゆる「価値観」ってやつだ。
そして、それは環境を変え続けることでしか分からない。
もし仮にあなたが日本に住んでいたとして、これから海外に住むのだとしたら、街、国、仕事、人、すべての階層の環境を一度に変えることができる。
そりゃあ、「価値観が変わった〜キャピキャピ」にもなってまう。
でも、じゃあ旅がいいのかというと、そうではないと思う。
最低でも半年くらいその場にいつづけたい。
新鮮であるうちは、その環境の考えは染み付かない。
環境の考え方が自分の中に「定着する」には、インパクトにもよるが、ある程度長くその場にとどまる必要がある。
定着してくれないと、本当の自分の考えは浮き彫りになってこない
旅は発見があるし、楽しいし、最高だけど、「刺激的〜〜!!!!」で流れていってしまう印象だ。
自分の考えを知るというのは、とても時間がかかる行為だなぁ。
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「一人ひとりの個人が集まり、考え、そうしてできるのが社会だろ。社会が考え方ことが個人の考えになるって逆だろ。意味わからん、カス。」
そういう反論がある方は、デュルゲームの「自殺論」を読むといいかもしれないです。
この本は、ざっくりいうと、自殺の理由も、その決断にたどり着くまでの過程も人それぞれであるはずなのに、なぜ自殺数は一定ではなく、多い年と少ない年があるのだろう?ということを考え、述べてくれている。
社会は、ときに、自殺というあってはならない決断に達するまで、個人に影響を及ぼす。
しかも、その人にとっては無意識のうちに。
この本は、名前は怖いですが、社会が個人に与える影響の大きさをしることで、より生きやすく、そして他人にも自分にも優しくなれます。
オススメです。