「ちりつも」を上手に伝えるのはむずかしい
「塵も積もれば山となる」
この言葉考えた人、ほんとうに天才。
派手な失敗や不幸は、そりゃ起こったときには足元がグラグラ揺れ、景色がたちまちゆがみ、視界もまっくら、冷や汗だくだく。。。
そしておもう。もう終わりだ、、、と。
でも、人間以外と(というかほぼ絶対)終わらない。
このような出来事は、突風のようにやってきて、満足いくまで揺さぶると、突風のようにまたピューンと過ぎ去っていく。
そして、いい経験・教訓になるのだ。
なんなら会話のネタにできる。見た目が派手な分、共感を得やすい。
ほんとうに厄介なのは、1回だけを見ると取るに足らず、気にするに値しないがことが積み重なり、ほんとうに少しずつその人の中で膨らみ、気づいたら手がつけられないほど大きくなってしまった、、、どうしよこれ、、、というものだ。
長い期間をかけることで、その取るに足らない1回が、自分にとってはどでかハンマーでぶん殴られるような、衝撃的な一撃と変化する。
しかし、相手からしたら、ピコピコハンマーで軽く「ぽん」と叩いた程度の認識なのである。
そして難しいのが、愚痴をこぼして気持ちを発散しようにも、相手からの共感を得にくい。
その1回はやはり取るに足らず、インパクトにかけるから。
神妙な面持ちで、ピコピコハンマーで毎日「ぽん」と頭を叩かれることを相談しても、相手はなかなか深刻に捉えてくれない。
だから、助けを乞うこともむずかしい。
ちりつもで溜まった鬱憤を深刻さを持って伝えるのは、話し手がわの話術も必要だし、聞き手がわの想像力も不可欠だと思う。
あいてのちりつもを取るに足らないと馬鹿にするような、想像力の欠ける人間にはなりたくないなぁ。